【山内昌之氏書評】日本史の一大転換点となった承久の乱

【山内昌之氏書評】日本史の一大転換点となった承久の乱

【書評】『承久の乱 日本史のターニングポイント』/本郷和人/文春新書/820円+税
【評者】山内昌之(武蔵野大学特任教授)

 承久の乱(一二二一)は、日本史の一大転換点である。この乱以降、武士が朝廷に代って権力を握り、六百五十年にわたって日本の政治に君臨することになった。また、近畿中心の西国の朝廷貴族に対して、東国の武士が優位に立った最初のモメントでもある。

 名前の割に承久の乱の真相が知られていないのは、宇治と瀬田の戦闘があっという間に終わったからだ。本郷氏は、乱の見どころはその前段階にあり、後鳥羽上皇と北条義時という屈指の政治家の駆け引きや陰謀の数々を描いている。

 なかでも、将軍源実朝を「官打ち」(意図的に高い官職に就ける)にして東国武士との間に亀裂を入れ、自らも「西面の武士」を育成して鎌倉幕府の力を削ごうとする上皇の手際が強調される。所領を一所懸命に守る東国武士は、源頼朝に次ぐリーダーとして義時の手腕を認めて京都に攻め上る。鎌倉勢は一万数千騎、朝廷軍は千七百騎というのが著者の見立てである。

 乱後の処断は迅速である。前線で鎌倉勢に刃向かった武士や公家は容赦なく処刑された。後鳥羽上皇の敗因は、西国の守護とその動員力の実体を見誤ったことにある。

 東国と違って頼朝に任命され関東から西国に下った守護たちは、在地の武士をまだ掌握しきれていなかった。東国武士の動員力と戦闘力にはかなわなかったのだ。著者に素朴な質問を二、三すると、膂力(りょりょく)衆にまさり、戦も厭わないほど敢闘精神も旺盛に見える後鳥羽上皇が何故に前線近くに本営を進め、錦旗もどきのシンボルを掲げて北条泰時らを威圧しなかったのかということだ。

 実際、『増鏡』には鎌倉を発った泰時が戻ってきて義時に院御出兵とあらば如何と尋ねる光景が出てくる。父は、武器を捨て降伏すべしと答えたというのだ。朝廷とはそうしたものでないという一般論はよく分かる。ただ、院出兵ありせばシミュレーションはどうだったのか、泰時がいくら降伏を説いても欲深い東国武士は認めないのではないか等々、本郷氏の明解な説明を聞いてみたかったのだ。

※週刊ポスト2019年3月1日号


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