小日向文世、元カノの名前叫びオーディション合格!2年間で8回の手術…そこから俳優に

小日向文世、元カノの名前叫びオーディション合格!2年間で8回の手術…そこから俳優に

©テレビ朝日

2001年木村拓哉さん主演のドラマ『HERO』(フジテレビ系)の検察事務官・末次役で注目を集め、個性派俳優としてドラマ、映画、舞台では欠かせない存在に。ドラマ&映画『犬飼さんちの犬』(2011年)、映画『サバイバルファミリー』(2017年)、ドラマ『欠点だらけの刑事』(2018年、テレビ朝日系)など主演作も多数。

今月13日(木)に最終回が放送されたドラマ『リーガルV〜元弁護士・小鳥遊翔子〜』(テレビ朝日系)では、勝つためには手段を選ばない非情な弁護士会のドン・天馬壮一郎を怪演。パワハラぶりも話題になった小日向さんにインタビュー。

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◆夢を抱いて上京した年の冬、スキーで複雑骨折

ー『リーガルV〜元弁護士・小鳥遊翔子〜』のパワハラぶりにはビックリしましたー

「ワインでしょう? 真っ黒な役ですよね。やれと言われればやるんですけど、女性秘書の頭から赤ワインをかけたり、胸元からドバドバ注いだり…ひどい男だよね(笑)。

頭からワインをかけるシーンは白いドレスだったから一発勝負だったんですよ。胸元のほうはセーターのなかにボトルを突っ込んでワインを注いだのに、化繊(かせん)だったので、なかなかうまくワインが染みなくてね。苦労しました」

ー結構ショッキングなシーンでしたー

「いやあ、僕は変態だと思いながらやっていましたよ。『これ大丈夫? こんなことして視聴者から絶対文句がくるんじゃないの?』って聞きながらね。少なくともワインの会社から文句を言われそうだなって思いました。『ワインのCMは来ないね』って(笑)」

善人から悪人まで演じる役柄の幅が広いことで知られる小日向さん。今や映画、ドラマ、舞台に欠かせない名優だが、俳優を目指したのは20歳を過ぎてからだった。

「子供のときから絵を描くことが好きで、高校に入る春休みに姉の影響で油絵を描き始めたんですけど、あの匂いが好きだったし、面白いなあと思って。高校3年間は美術部に入って、ずっと絵を描いていました。東京の美大に行きたいというのが夢だったんですけど、全然勉強ができなかったからダメでした」

高校卒業後、グラフィックデザイナーを目指し、北海道から上京。お茶の水にあるデザインの専門学校に通い始めた小日向さん。しかし、その冬、とんでもない事態に…。

「姉がスキーのバスツアーに申し込んでいて、デザインの学校が終わったその日の夜、姉と一緒に夜行バスで出発したんですよ。それで、夜中に群馬県のスキー場に着いて一眠りして、翌朝スキー場のリフトに乗って、一発目の滑りで転倒ですよ。

デザイン学校の課題でずっと徹夜作業が続いて睡眠不足だったのと、ひどい風邪をひいていてね。体が弱っていたときにアイスバーンで転んだんですよ。

うちの姉が笑いながら『何やってんのよ』って言ってたんだけど、僕はもう左腕が反対側に曲がっちゃってましたからね。『ウーッ、ダメだ。折れた』って言ったら姉が『えーっ!?』って(笑)。

せっかくこれから楽しいスキーというときに一発目で『折れたー』ですからね(笑)。それで群馬県の国立病院に運ばれてすぐに手術。姉が付き添ってくれて、それで兄貴が姉を迎えに来たんだけど、迎えに来たついでに2人はしっかりスキーを楽しんだみたいですよ(笑)。

僕は手術をして『東京でギプスを外してもらいなさい』って言われて年末に退院して帰ったんですけどね」

1ヵ月後、ギプスをはずしたところ中の骨がずれたままで、もう一ヵ所は脱臼したままはずれていることが発覚。大手術になるため、親元で手術することをすすめられた小日向さんは、地元の北海道で再手術をすることに。

「僕の19歳の誕生日の1月23日に、飛行機の機内でシートベルトを片手で装着出来なくて、当時のスチュワーデスさんに付けてもらって北海道に帰り、それですぐに入院して手術したんですけど、それもまた失敗だったんですよ。

退院して東京に戻って来た後、すぐにまたおかしくなって、また手術。今度は骨盤を移植することにして、なおかつ脱臼したところには、大腿部の筋を巻くという手術。大腿部と腰と腕、3ヶ所を同時に手術したんです」

結局2年間で8回も手術をすることになったという。

「18で上京して、結局2年間棒に振ったみたいな感じだったんですよ。一番長いときで千葉県の病院で大腿部と骨盤の手術、退院間近にまたリハビリでやっちゃって、また手術をし直したのも含めて5ヵ月半入院していましたからね。

僕のそばには若い女性といったら看護婦さん(看護師)しかいなかった(笑)。だから僕にとってはもう天使のような存在。みんなきれいでね、白衣の天使でした(笑)」

※小日向文世プロフィル
1954年、1月23日生まれ。北海道出身。1977年、23歳のときに串田和美さんが主宰する「オンシアター自由劇場」に入団。数々の舞台で劇団の看板女優・吉田日出子さんの相手役をつとめる。

1996年に「オンシアター自由劇場」が解散するまで19年間在籍。2000年、三谷幸喜演出の舞台『オケピ!』(00年)、ドラマ『HERO』(01年)、映画『サイドウェイズ』(09年)、映画『アウトレイジ』(10年)等に出演。2019年1月には出演映画が一挙に3本、『マスカレード・ホテル』、『かぞくわり』、『そらのレストラン』公開予定。『ぶらり途中下車の旅』(日本テレビ系)では3代目ナレーターをつとめている。

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◆散々痛い思いをしたのだから好きなことをやる!

普通の生活に戻ることができたのは骨折してから2年後。もう一度デザイン学校のグラフィックデザイナー科に戻る気はなくなっていた小日向さんは、写真をやっていた幼なじみにすすめられ、写真学科に編入することに。

「さんざん痛い思いをしたから自分がやりたいと思ったことは全部やらせてあげようと思って写真をやることにしたんです。でも、カメラマンって派手なイメージだけど、意外と地味じゃないですか。僕はどちらかというとファッション関係のカメラマンをやりたかったんだけど、なれるのは一握りじゃないですか。

僕は高校時代も地味で、勉強できない、卓球部に入ったけど1回戦で負けて頭を坊主にしなきゃいけない、あとは地味に絵を描いて、女子から全然モテない…。

そんなやつが、『小日向文世というやつがこの世にいるんだ』っていうのを自己アピールするにはどうしたら良いのか。もうこうなったら写されるほうにいこうって考えたら『俳優』って出たんですよ」

−それで俳優になることに?−

「そう。自分に甘いから『よし、じゃあやりなさい』って(笑)。それで、俳優をやるにはどこか劇団に入ればいいんだと思って、名前を知っている文学座の試験を受けたら一発で落ちて(笑)」

−当時はすごい倍率だったでしょう?−

「すごかったですよ。その当時文学座は中村雅俊さん、松田優作さんがすごい人気でしたからね。上智大学で試験があったんですけど、30人の定員に対して6000人受けにきていました。そりゃあ落ちますよね(笑)。

それで次の年にまた受けようと思って、原宿の喫茶店のソフトクリーム売り場でバイトを続けていました」

−それはどのくらいの期間ですかー

「写真学校時代から1年ぐらいしていましたかね。そしたらそこの社員の人が『中村雅俊のコンサートのスタッフやる気ある?』って聞いてきて、『俺の知り合いが社長やっていて、コンサートのスタッフを集めてるんだよ。中村雅俊は文学座だぞ』って。

『だったら来年コネで文学座に入れるかもしれないな』って思ったから『やる!』って(笑)。ものすごい安易な生き方をしていますから(笑)。それでコンサートのスタッフをやっているうちに、中村さんの付き人もやることになって。さらに矢沢永吉さんの写真や、舘ひろしさんがいたクールズのコンサートの写真撮影を頼まれたりしていましたね」

−中村雅俊さんは小日向さんが俳優志望だということは知っていたんですかー

「知ってました。『お前、役者やりたいんだって?』って聞かれましたから。それで『やりたいんです』って言ったら『ちゃんと劇団に入ったほうがいい』って言われたので『そのつもりです。来年、中村さんがいる文学座じゃなくて、もうひとつ別のところを見つけたんですよ。「オンシアター自由劇場」っていうところです』って言ったら中村さん知ってたんですよね。『あぁ、あそこか。無理だな』って(笑)。

その当時、自由劇場には吉田日出子さんがいたし、結構知られていたんですよ。そしたら受かったので、すぐに中村さんに電話したらすごく喜んでくれました」

ー「オンシアター自由劇場」の試験を受けたのは、いくつのときだったんですかー

「上京して5年目、23歳でした。いやぁ、願書をもらいに行ったときのことをはっきり覚えています。薄暗い劇場で、『何か悪いことしてるんじゃないかな、この人たち』って思いましたよ(笑)。

地下に降りて行ったら、なかでうごめいている人がチラッと見えるわけですよ。『何かいかがわしいところだなぁ』と思ったけど、それは何か舞台の稽古をしていたんですね(笑)」

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◆失恋したばかりの彼女の名前を叫んで合格?

−「オンシアター自由劇場」は主宰者が串田和美さん、吉田日出子さんが看板女優でしたね−

「そう。吉田日出子さんがいるということで受けたんです。ファンでしたから。北海道にいるときにテレビの『木枯らし紋次郎』に吉田さんがゲストで出ていて、すごい女優だなぁと思ってファンになったんです。

あと僕が子供のときには『明星』とか『平凡』という雑誌があったんですけど、それに吉田さんが当時シェアハウスみたいなところに住んでいるという記事が出ていたんですよね。一軒家でミュージシャンの男たちと女1人で住んでいるって。それで面白い人だなぁと思って」

−今でこそシェアハウスも多くなりましたが、当時は珍しかったでしょうね−

「そうそう。だから吉田日出子さんがいるから受けようと思って。だけど試験が全然駄目で、落ちると思ったから、帰り際に吉田日出子さんに握手だけしてもらって帰ったんです。

試験も結構変わっていたんですよ。ひとつ朗読をやって、ちょうどそのときに自由劇場がやっていた芝居の主役のセリフを読まされて。後々その主役を僕がやることになるんですよ。それで、その主役をやった芝居を中村雅俊さんが見に来てくれたんですけどね。

そのときその主役のセリフを朗読させられるのと、後は即興で一人一人前に出て行って、『じゃあ君はイカをやれ』とか『クラゲをやれ』とか、海の生き物やらされていて、『僕は何をやらされるのかなあ』と思っていたら、『君はね、でかい声で叫んでくれ』って。

多分おとなしそうに見えたんでしょうね。だから、当時北海道の病院で恋に落ちた看護婦さんの名前を呼んだんですよ。別れた後でしたけど、当時はまだ忘れられなかったんでしょうね。

名前を叫んで『好きだ』って大きな声で言って、それで受かったんですよ(笑)もう絶対に落ちると思っていました」

自由劇場の試験に合格し、俳優生活がスタートするかと思いきや、役がつくまでは思いのほか時間がかかったという。専門学校でデザインと写真を学んでいた小日向さんは、裏方として重宝はされるが、なかなかセリフのある役を得ることができず、いい役につくことをひたすら願う毎日だったそう。次回は俳優としての躍進、驚きの結婚生活等を紹介。(津島令子)


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