プレジデント 2024年5月31日号 掲載

■アスリートにわがままな人間が多い理由

アスリートは概して、わがままな人間が多いと思います。自分の体から最大のパフォーマンスを引き出すことが最大のミッションであるため、それを中心に生活するからです。

オリンピックでも活躍したある短距離走者は、突然スケジュール変更をすることで有名でした。目標のレースに向けてトレーニングする中で、選手は自分の調整に役立つような競技会を自分で決めて出場登録します。しかし、彼は当日になって何らかの違和感があると、すぐ出場を取りやめてしまうのです。

トップ選手が急に出場を取りやめると、レースに関わるいろいろな人に影響が出ます。だから客観的に見ればわがままなのですが、こういうことができないとトップレベルでは結果が出せません。体のコンディションが刻々と変わっていく中で、出場を約束したかしてないかには関係なく、「今日はこうなんだ」と自分の感覚を優先する。自分の感情をちょっとでも抑えると、それがパフォーマンスに影響してしまうんですね。

半面、アスリートは競技以外の部分――たとえば食生活や恋愛の欲望は極端に抑圧しています。だから禁欲的に見えつつ、勝利に関するところではものすごくわがままという、ちょっと歪んだ状態と言えるかもしれません(笑)。

■わがまま以前に自分は何をしたいのか

そんなアスリートの世界から見ると、多くの日本人はわがままに生きにくい、言い換えれば自己を解放しにくい世界で生きているように感じます。しかも、実際にわがままにふるまう以前に、自分のしたいこととはそもそも何なのか、あまりよくわからなくなっているのではないでしょうか。眠りたいときに眠る、食べたいときに食べるような日常の中に潜んでいる欲望は解放できても、「本当はこの仕事がしたかった」「人生で一度あの国で暮らしてみたかった」のような、心からの願望・欲望を認識する機会が少ない気がするのです。

これは子供のころから、「周りのことを考えなさい」と言われて育ってきたことが一因にあるのではないかと思います。お気に入りのおもちゃで遊んでいるときに他の子から「貸して」と言われたら、貸したくなくても「いいよ」と渡してあげなくてはいけない。他人の気持ちを考える日本の文化は素晴らしいものです。一方で自分の欲求と他者や社会の要求が一致しないとき、折衝すると「わがまま」と思われることを恐れて、自分の内側に葛藤を抱え込むくせを多くの人が身につけてしまっています。「みんなは何を考えてるんだろう」と気にするあまり、「自分は何がしたいんだろう」という自問自答が弱い。だから、いざ自由にどうぞと言われたとき、多くの人が「さて、自分は何がしたかったんだっけ」と戸惑ってしまうのです。

人生の後半戦に入ると、人は自分が社会のために生きているのか、それとも幸せになるために生きているのかを考えるようになります。「このまま自分を抑圧して、幸せを感じることをないがしろにしていいのだろうか」と疑問を抱く瞬間がふと訪れるのです。

そして、年を重ねると抑圧し続けていくことの弊害が大きくなるように思います。抑制力が弱くなって、ストレスが他者への嫉妬や攻撃につながったり、自分と同じような自主規制を他人に強いたりする人もいます。自分で自分の自由を奪った分だけ、他人の自由も奪いたくなってしまうのかもしれません。こうした弊害や、自分の中に溜め込んだ葛藤とどうやって折り合っていくか。それが多くの日本人にとって、人生後半の大事なテーマになるような気がします。

感情を抑圧している方に伝えたいのは、「自由に生きても、思ったより世の中は壊れない」ということです。一人の力はそこまで大きくないし、あなたが思うほど人は他人のことを気にしていません。

そしてもう一つは、多少わがままに生きて、ストレスを内側に溜めないほうがいいということです。溜めた結果、何らかの形で爆発したり、他人に対して攻撃的になったりすることが一番よくありません。自分のわがままを完全に封じるのではなく、ときどき小出しにしたほうが、自分にとっても社会にとってもプラスになることが多いのではないでしょうか。