もはや、あの佐野眞一ではなかった…2人のデータマンが見た「ノンフィクションの巨人」最後の日々【2025年5月BEST】
プレジデントオンライン6/16(月)17:15

ノンフィクション作家・佐野眞一氏。1947年1月29日―2022年9月26日 - 写真提供=「佐野眞一さん お別れの会」事務局
■「あなたが優秀な記者だってことは佐藤君から聞いている」
私がホテルに到着した時、佐野さんはラウンジで編集者と打ち合わせ中だった。別のテーブルで待っていてくれと言われ、私は打ち合わせが終わるのを持った。しばらくすると、編集者は佐野さんに深々と頭を下げ、横のテーブルでコーヒーを飲んでいた私に「すみません、終わりましたのでどうぞ」と自分の席を譲った。ちなみにこの日、私との話が終わった後も、別の編集者が同じ場所まで来た。佐野さんはその場所を動かず、訪問者だけが次々と入れ替わる。帝国ホテルという舞台装置も相まって、その“大物感”に私は圧倒された。そんなフリーライターなど見たこともなかった。
私は佐野さんとの挨拶を済ませると、記者時代にコメントを求めたことがあると告げた(98年の夏頃、大手スーパー・ダイエーの経営危機について、佐野さんに電話取材をしたことがあった)。佐野さんは「そうか、そうでしたよね」と口にはしていたが、たぶん、私のことなど何の記憶にも残っていなかったように思う。そんな昔話は時間の無駄だと言わんばかりに、佐野さんはすぐに本題に切り替えた。
今度、『週刊新潮』(新潮社)で、旧満州(中国東北部)で暗躍した麻薬王(里見甫)に関するノンフィクションを連載することになった。単行本化も計画されており、かなりの大作になりそうだ。ついては、データマンとして取材を手伝ってもらえないか。佐藤さんも一緒だ。連載中の収入は保証する。
そんなことを一気に話し、「ぜひ、頼む。あなたが優秀な記者だってことは佐藤君から聞いている」のだと何度も繰り返した。
佐藤さん、いいかげんなことを言いすぎる。正直、断ることのできる雰囲気ではなかった。佐野さんは強引に話を進めていく。私の意志など、何も関心がなかったのだろう。まるで圧迫面接だと思いながらも、佐野さんが話す新連載のアウトラインは興味深かった。
実は、私も旧満州に興味がないわけではなかった。記者時代に特集記事を書いたこともあり、付け焼き刃程度の知識はあった。
私は佐野さんに満州について問われた際、「傀儡国家であり、許し難い日本の植民地政策のひとつであり、しかし日本にとっては“戦後”の社会モデルにもなった」と話した。具体的には?と聞かれ、私は「たとえば新幹線と団地」と答えた。
佐野さんはこれに上機嫌で反応し、「その通りなんだよ!」と上ずった声をあげた。おそらく、私を同じ理解を持った同志のように感じてくれたのかもしれない。
だが――いまだから打ち明けるが、私が口にしたのは借り物の言葉だった。記者時代に満州特集を手がけた際、キャップ格の先輩記者が何度も口にしていた言葉が、私に刷り込まれていただけだった。
そうとも知らずに佐野さんは私を勝手に評価し、一緒に仕事してくれと懇願したのだ。
結局、私はその場で「引き受けます」と応じるしかなかった。佐野さんは「じゃあ、よろしく頼むよ」と言いながら、私の手を強く握った。
経緯はともかく、大物ノンフィクション作家に仕事を依頼されたことも、正直、嬉しくないわけではなかった。しかも、取材スタッフのなかには、名うてのデータマンとして知られる佐藤さんもいる。そのうえ提示されたギャラも悪くはなかった。
こうして私は佐野さんのデータマンとなったのである。それから10年近く、私は佐藤さんと一緒に、濃淡に差はあれど“佐野作品”に関わることになった。











