かつての日本代表選手はそのほとんどが高体連や大学の出身者であったが、現在はJクラブのユース出身者が多くを占めている。

ユースに落ちた選手が高校の名門へ行く。そんな寂しい現状もあるが、逆にそうした状況をうまく生かすことで以前よりも結果を残している高校もある。鳥取県の米子北高校はその一つに挙げられるだろう。

米子北高校は現在14年連続(19回)で全国高校サッカー選手権に出場しており、地方の中でも人口が少ない鳥取という地にありながら近年、非常に優秀な選手を輩出している。

ここではそんな米子北高校の出身で、「世界に飛び出したサッカー選手」たちをご紹介しよう。

佐野海舟





【高校以降のキャリア】米子北高校町田ゼルビア鹿島アントラーズマインツ(ドイツ)

先日マインツへの移籍が決まった佐野海舟は、米子北高校の名前を広めた一人であろう。

岡山県津山市出身で、高校は隣県のサンフレッチェ広島ユースを目指したが不合格に。次に関西の高校を希望したがこちらも受からず、鳥取県の米子北へ進学した。

父親はアルペンスキー大回転の選手で、天性の身体能力は息子にも受け継がれていた。1年からレギュラーを獲得すると、3年連続で全国高校サッカー選手権に出場。プロからも注目される存在となり、2019年に当時J2だった町田ゼルビアへ加入した。

昨年、鹿島アントラーズに移籍。次々とこぼれ球を拾う姿が“佐野回収”としてすぐに話題となり、当時の岩政大樹監督から「日本代表に入れる才能」と高く評価された。その言葉通り同年に代表入りを果たすと、今年のアジアカップにも出場している。

なおその出足の速さは数字でも証明されており、Jリーグが公開する今季の『トップスピード』項目において全体の15位となる34.9km/hを計測している。

佐野航大





【高校以降のキャリア】米子北高校ファジアーノ岡山NECナイメーヘン(オランダ)

昨シーズン小川航基との日本人コンビでオランダを席巻した佐野航大は、佐野海舟の3歳下の実弟だ。

海舟とは入れ替わりだったため一緒にはプレーしていないが、同じ米子北高校に通い3年連続で全国高校サッカー選手権に出場。2021年のインターハイでは決勝で松木玖生(現FC東京)を擁する青森山田高校に敗れたものの、大会の優秀選手に選ばれている。

卒業後はJ2のファジアーノ岡山へ加入し、地元出身のスターに。海外志向はなかったがU-20日本代表の試合を重ねる中で世界との差を痛感し、昨夏NECへの移籍を決断した。

昨年までU-20代表の活動がメインだったため、U-23代表は今年3月に初招集されている。アピールする時間が短くパリ五輪は惜しくもバックアップメンバーとなったが、A代表への初招集と兄弟での競演は時間の問題だろう。

昌子源





【高校以降のキャリア】米子北高校鹿島アントラーズトゥールーズ(フランス) 鹿島アントラーズ町田ゼルビア

日本サッカーの最高峰であるJ1リーグで首位に立つ町田ゼルビア。そのクラブでキャプテンを務めているのが米子北高校出身の昌子源だ。

兵庫生まれで中学はガンバ大阪のジュニアユースに所属した。同期には天才・宇佐美貴史がおり、後年「悔しい思いしかしていない。挫折ですよね」と語っているように中3の頃にはチームを離れ、そのままサッカーを辞める予定だったという。

しかし父親の知人の紹介で鳥取の米子北高校へ進学する。昌子の父親はサッカーの指導者でインストラクターも務めており、そのアシスタントだったのが米子北高校の中村真吾コーチ(現在の監督)、さらに父の大学時代の後輩が当時の城市徳之監督だった。

昌子はそれまでFWだったが高校でセンターバックへ転向している。これが大きな転機となり、2年夏のインターハイ準決勝でプロ注目のFW赤崎秀平(佐賀東高)を抑え込み脚光を浴びた。

その後2011年に鹿島アントラーズへ加入し、米子北高校出身初のJリーガーに。さらに昌子は同校出身初の日本代表となり、2018年のロシアワールドカップに出場すると世界的なFWであるコロンビア代表のファルカオを封じ込めた。