12日に行なわれた天皇杯の2回戦において、名古屋グランパスを相手に1-0と勝利を収めた「JSC」。
前半は0-0とスコアレスに終わったものの、後半に上元直樹が先制点を決めてそのまま逃げ切り、ジャイアントキリングを成し遂げた。


そんな「JAPANサッカーカレッジ」とはどんな存在なのか?北信越フットボールリーグでは2003年から1部リーグでプレーし、4回の優勝と10回の2位を経験している有力な存在なのだ。
「JAPANサッカーカレッジ」が設立されたのは、日韓ワールドカップが行われて日本にサッカーの情熱が高まっていた2002年。新潟を中心に様々な学校を展開している「NSGグループ」が、サッカー部門を独立させる形で創設したのがそれだ。
サッカーに特化した専門学校ということで、選手を目指すための部門だけではなく、指導者やトレーナー、レフェリー、フロント業務を行うビジネス、さらに現場をサポートするマネージャーを育成するカリキュラムを実施している。
北信越や関西では「JAPANサッカーカレッジで学んだ人がいなければ事業が回らない」と言われるほど様々なクラブに卒業生が就職し、現場だけではなく広報などにも人材を輩出している。
そしてサッカー専攻科の生徒については選手としてJAPANサッカーカレッジのトップチームか、あるいはセカンドチームの「CUPS聖籠」やサードチームの「NIIGATA J.S.C.」に所属してプレーすることになる。
サッカーの現場に関わるために必要なあらゆることが学べる。それが「JAPANサッカーカレッジ」である。選手としてはここから排出されたトッププレーヤーはいないが、実は各クラブのフロントやスタッフに様々な人材を数多く送り込んでいる。
地域リーグやJFLでより上を目指そうというクラブには必ずJSC出身者がいる。そう言えるほど、ある意味では「日本サッカーを草の根から支えている」といえる学校だ。

北信越リーグの「上位コレクター」


そしてJAPANサッカーカレッジのトップチームは2000年に新潟県サッカーリーグに参戦し、2002年に優勝を果たして北信越リーグに昇格。それからなんと22年にわたって残留し続け、優勝は4回、2位は10回、3位は5回。つまり4位以下になったことは2回しかないという安定した成績を残しているのだ。
鹿島アントラーズやアルビレックス新潟とは選手のやり取りも多かった時期があり、2006年には貢藤慎一や佐々木竜太、2007年には黒河貴矢、2009年にはマイケル・ジェームズが所属していたことも。
また、専門学校のみならず開志学園と提携して高等部の教育も行っており、これまで酒井高徳や泉澤仁、本間至恩など様々なサッカー選手を輩出しているのだ。
ピッチでプレーする選手だけでなく、試合をマネジメントするスタッフ、さらにクラブを運営するための広報に多くの人材を送り込んでいるのが「JAPANサッカーカレッジ」なのである。

日本においては様々な専門学校があるが、これほどまでにサッカーに特化したカリキュラムが用意されているのは「JAPANサッカーカレッジ」のみといえる存在。
近年は新潟医療福祉大学サッカー部がより存在感を見せているが、ピッチ上以外の部分ではまだまだJAPANサッカーカレッジの存在感は大きい。今様々なクラブに「サッカーのプロ」を送り込めている学校として、今後も注目を集めるだろう。
なお、名古屋グランパスを破ったJAPANサッカーカレッジは、7月10日にザスパ群馬とレノファ山口FCの勝者と対戦する予定だ。