上田仁(31歳)は、今夏からドイツ・ブンデスリーガ1部のケーニヒスホーフェンで戦う。

Tリーグ創設から5年、実業団を辞めてプロ卓球選手を選んだ男の物語は、ひとつの区切りを迎えた。

話を聞いた。

シングルスをやりきりたい

――来季のTリーグに上田選手がいなくなると、寂しくなりますね。
上田仁:そう言って頂けることが多くて、ありがたいです。

上田仁/高木和卓
写真:2022-2023シーズンの上田仁(写真左)/撮影:ラリーズ編集部

――昨季、T.T彩たまでシングルスの出場機会が減ったことも、ブンデス行きを決断する理由の一つだったんですか。
上田仁:それはありますね。単純に、僕の力不足なんですが。

卓球選手である以上、どうしてもダブルスは評価されにくい。バドミントンのようにダブルスも専門競技として見てもらえるんだったら話は別なんですけど、やっぱりどうしても“おまけ感”が強いんです。

――“ダブルスの名手”としての評価も高い上田さんでも?
上田仁:もちろん、それが今の自分の立ち位置、責任なので、ダブルスで勝つために練習してきました。

でも、今のこの状態だとおそらくダブルスだけをずっとやって、きっと引退っていう方に進んでいくって考えたとき、やっぱりシングルスをやりきりたいっていう思いがありました。

写真:上田仁(シェークハンズ)/撮影:ラリーズ編集部
写真:上田仁/撮影:ラリーズ編集部

“勝てなくても、違うところで”の罠

――2年前に岡山リベッツからT.T彩たまに移籍した理由でもあった、練習環境はT.T彩たまにはあったわけですよね。何か調子が落ちた理由があったんですか。
上田仁:練習環境があることはもう本当にありがたくて、やっぱり僕はそこに救われたんです。一年目のシーズンはすごく良かったですし。

ただ、今季は自分が勝てなくなったときに、どうしても自分の強化より、アドバイスをしたり、サポートをするっていう方向に自分のマインドが行ってしまった。

自分が勝てなくても、違うところで自分の力を見せたい”と。これは自分の弱さなんです。自分の競技として成績を求めなきゃいけないはずなのに。

あれ、僕は選手かな、指導者かなと、すごく葛藤がありました。

――一番悩んだのはいつ頃ですか。
上田仁:12月クリスマスにホームマッチ3連戦があって、メンバーも揃ったとき3連戦、僕は一度も試合に出てないんです。

岸川監督もメンバーを迷っていたとき、僕は「若い二人と迷っているなら、僕は外れてもいいです」って自分で言ったんです。

チームのためにという思いと、勝ててない自分はもう選手としては違うんじゃないかという迷いがあって。そのとき初めてダブルスが五十嵐・曽根で出たのかな。負けはしたんですけど、二人はいい試合をしました。

どうしても“自分が自分が”って、前に出ていけない性格なんですよね。

上田仁
写真:上田仁/撮影:ラリーズ編集部

自信がないときに前に出られるか

――これまでも、そういうことはあったんですか。
上田仁:ありましたね。岡山リベッツのときもありましたし、坂本さん(T.T彩たま前監督)の頃もありました。

自信があるときは誰でもいける。負けが込んでても行けるか行けないかっていうのが、大きいところで、もちろん自信がないときは誰も行きたくないんですけど。

上田仁
写真:上田仁/撮影:ラリーズ編集部

上田仁:選手は出るためにどうするかだけを考えなきゃいけないはずなのに、出るべきか出ないべきかっていうことを考えてる時点で、それは勝てないよなと。

その意味では、守りに入ってきたこの自分をもう1回打破するための決断、みたいなとこもありますね。

――なるほど。
上田仁:いつも思うのは、何のためにプロになったんだろう自分は、ということに戻るんです。

チャレンジすることで、卓球も人生も広く豊かにしていこうと思っていたはずが、気づいたら自分から小さくまとまろうとしていた。

「あれ、やっぱり勝ちたいんじゃん」

――指導者としてのオファーをいくつももらったと聞きました。それでも選手を続ける選択をしたのはなぜなんでしょう。
上田仁:僕は、負け続けても応援してもらえる選手に価値があると思ってきました。負けても負けても“頑張れ”って言ってもらえることを、自分が今までやってきた功績だとどこかで思ってたんですよね。
――そうだと思っています。
上田仁:でも、矛盾していることに気づいたんです。負けても価値がある選手になりたいんだって言ってるくせに、負けたらしっかり凹んで気持ちが落ちていった。あれ、やっぱり勝ちたいんじゃん、そりゃそうだよなって。

負けることに価値があるっていうのは僕が決めることじゃなくて、周りが決めることなんですよね。

負けてることがすっごく悔しかったし、きっとその気持ちがあるってことは、やっぱりまだ選手をやりたいんです。

上田仁
写真:上田仁/撮影:ラリーズ編集部

言語化は得意だけれど

――指導者のオファーそのものは嬉しくないんですか。
上田仁:いまは、とてもありがたく思っています。妻にも言われました、それはあなたが卓球界でしっかりやれてきた功績なんだよって。当時なぜあんなに悲観的に捉えていたんだろう。

でも、自分は指導者としての実績はありません。コーチや指導者も、やってみないと分からない大変さとか絶対あるはずです。自分の今の段階で何もやってないのに指導者はこうだっていうのは違うと思っています。

――解説も評判良いですよね。そういう点も指導者向きなんでしょうか。
上田仁:それは単純に、自分がいろんな指導者に教わってきて、自分の引き出しにあるものを言語化するのが比較的得意なだけだと思いますね。

上田仁
写真:上田仁/撮影:ラリーズ編集部

ケーニヒスホーフェン入りの経緯

――具体的に、どうやってブンデス入りを進めたんですか。
上田仁:Tリーグに復帰するシーズン(2020-2021)から、板垣さん(現ケーニヒスホーフェン監督、青森山田高校時代の恩師)から声をかけてもらっていました。ただ、当時は、岡山リベッツ創設メンバーとしてやらせてもらって、休養を許してもらったリベッツで復帰したいという思いが強かった。

その翌年、坂本(竜介/T.T彩たま前監督)さんからオファーをいただくんですが、そのときも板垣さんからも“ドイツはどうだ”って。

板垣孝司
写真:ケーニヒスホーフェン監督・板垣孝司さん/提供:本人

――そのときはなぜ行かなかったんでしょう。
上田仁:自分の決めつけなんですが、“代表終わった自分のような奴が、いまさらブンデス行っても”という思いがありました。

自分も高校生のときに行ってましたが、若手が世界で勝つために経験を積む場所、という認識があって。

妻や自分の両親は当時から“今しか行けないよ、絶対いい経験になるから”と言ってくれていたんですが。

――なのに、今回は決断した。
上田仁:やっぱり、嬉しかったんでしょうね。

今回、いろんなオファーをいただいたんですが、そのほとんどが指導者としてのものでした。

一人の選手として単純に評価してくれているのが、すごく嬉しかった。

あ、これ坂本さんにオファーをもらったときもそうだったなと思って。“お前はまだまだ強くなれるよ”っていう言葉をもらったときのありがたさを思い出して、今回の板垣さんからのオファーに嬉しいのは、やっぱり自分にはすごく選手としての気持ちがあるんだなと。

上田仁
写真:上田仁/撮影:ラリーズ編集部

“お前はまだまだ強くなれるよ”

――嬉しかった、か。実感がこもってますね。
上田仁:自分にまだ可能性あるなって思わせてくれる瞬間ですよね。

もっと若い頃にはそういう声掛けは多くあるかもしれないんですけど、30歳を超えてきて、今、もしかしたら若手より欲してる言葉かもしれないです。

上田仁
写真:上田仁/撮影:ラリーズ編集部

【後編】上田仁「日本には30歳を越えた選手の指導がほとんどない」に続く)

取材・文:槌谷昭人(ラリーズ編集部)