2020年5月に立ち上がったオンラインサロン『蹴球ゴールデン街』では、「日本のサッカーやスポーツビジネスを盛り上げる」という目的のもと、その活動の一環として雑誌作成プロジェクトがスタートした。雑誌のコンセプトは「サッカー界で働く人たち」。サロンメンバーの多くはライター未経験者だが、自らがインタビュアーとなって、サッカー界、スポーツ界を裏側で支える人々のストーリーを発信している。
今回、多様な側面からスポーツの魅力や価値を発信するメディア『REAL SPORTS』とのコラボレーション企画として、雑誌化に先駆けてインタビュー記事を公開する。

第2弾は、川崎フロンターレで長らくブラジル人選手の通訳を務めている中山和也さんに、通訳の知られざる仕事や、自身がブラジルで経験した衝撃の事件について語っていただいた。

(インタビュー・構成=五十嵐メイ、写真=大堀優)

Jリーグクラブの通訳という仕事

──川崎フロンターレでは、通訳としてどういった仕事をしていますか?

中山:一番の仕事は、皆さんが「通訳」と聞いて想像する通り、試合中や練習中に監督やコーチからの指示をブラジル人選手に伝えることです。選手に家族がいる場合は、家族の通訳も行います。

 チームに通訳が2人いる場合はグラウンドを中心とした通訳業務と、家族のケアを中心とする業務に分担して行っている場合もあります。川崎フロンターレでは昨年まで2人体制だったので、分業制で行っていました。

──ブラジル人選手の人数によって通訳の人数が決まったりするものなのでしょうか?

中山:特に選手の人数は関係ないと思います。10年間くらいは僕1人でブラジル人選手の通訳をしていました。多い時で4人、そのうち2人は家族がいて子どもが3人いた時もあります。ここ2年間は選手が3人中2家族、子どもは4人でしたが通訳は2人体制でしたね。その時のクラブの考え方によって通訳の人数が決まっていくと思います。

──ピッチ内での仕事においては、試合と練習では通訳の仕方が変わったりするのでしょうか?

中山:試合中は、監督の指示に合わせて同時通訳をすることもありますが、現在はルールが変更されたこともあり、テクニカルエリアで指示を出せるのが1人なので監督が指示を出し終わった後に通訳しています。試合の状況などを見ながら臨機応変に対応していかなければいけません。

 練習では、同時に通訳してしまうと日本人選手の妨げになってしまう可能性もあるので、監督やコーチの指示が終わった後に通訳をします。

──ピッチ外の仕事は具体的にはどんなことをおこなっているのですか?

中山:初来日の選手は身の回りの買い物も一緒に行ったりします。例えば役所や病院、子どもがいる場合は幼稚園や小学校の三者面談に同行する場合もあります。選手が外出先で困ったら電話がかかってくることもありますし、選手本人だけではなく、家族が生活していく上で関わること全てをお手伝いしています。

──中山さん自身のご家族との予定と被ってしまうことなどは今までありませんでしたか?

中山:もちろんありました。その時は娘が選手の子どもと同じ幼稚園に通っていたので、娘の晴れ姿も一緒に見ることができました。これから先はもしかしたら、違う場所で行われている行事に行かなければいけないことも出てくるかもしれません。

──もし被ってしまった場合はどうするのですか?

中山:選手との相談ですね。実は、入学式や入園式はそんなに訳すことが多くありません。式の流れを事前に説明しておき「もし何かあったら連絡して」とお願いするかもしれないですね。

──通訳としてどういった部分にやりがいを感じていますか?

中山:選手の活躍にどこまで影響するかは分かりませんが、選手ができるだけストレスなく試合に臨み活躍をしてくれることを一番に考えて仕事をしています。もちろんチームが勝ってくれることが何よりうれしいですが、その中でもブラジル人選手が活躍できた時は「自分も勝利に貢献できたのかな」と特にやりがいを感じます。


「仕事仲間」というより「家族」

──大変だと感じたことはありましたか?

中山:以前チームに所属していたブラジル人選手の奥さんが、かなり重い病気にかかってしまったことがありました。奥さんの病気が発覚して僕のところに病院から連絡がきましたが「再検査が必要だから」という感じで病院に連れていきました。

 命に関わる病気だったので自分も深刻だったし、どう伝えるのがベストなのかというのを瞬時に判断しなければいけませんでした。病院に着くまでに頭の中で考えを張り巡らせて、病院に到着してから選手と奥さんに内容を伝えました。

 病気を伝えた時の2人の反応というのも何となく想像はついていましたし、当時小学生だったお子さんもいたのでお子さんのことも考えて、どう伝えるのがベストなのかを必死で考えましたね。お子さんに伝えた時にはやっぱり「お父さん、お母さん」って大泣きしてしまいました。選手と奥さんもかなりナーバスになっていたので、子どもをどう落ち着かせるかというのもその場で考えなければいけませんでしたし。

 今では奥さんも病気を乗り切って暮らせているのでよかったなと思っています。大変というよりは、今までの通訳人生の中で一番衝撃的でしたね。

──そういう場面にも居合わせるとなると、通訳と選手の関係は「仕事仲間」というよりは「家族」という表現のほうが当てはまりそうですね。

中山:本当にその通りだと思います。ただピッチで言葉だけを通訳すればいいというわけではありません。

 一人で来日する選手はブラジルにいる家族が恋しいというようなことを話す選手もよくいます。文化のまったく違う国で家族と離ればなれになるというのは、考えている以上にストレスを感じることだと思います。常にアンテナを張って、彼らの生活ストレスを軽減できるようにケアすることも通訳の大事な仕事です。選手と人間関係をどうやって築いていくかということがとても大切だと思います。

 今は新型コロナウイルスの影響で生活に制限がありますが、以前はブラジル料理を食べに連れて行ったり、自宅に招いて一緒にバーベキューをしたりして気分転換をしてもらったりもしていました。

『キャプテン翼』に憧れ念願の留学先「ブラジル」で学んだこと

──中山さんご自身は、ブラジルとどんな接点があったのですか?

中山:『キャプテン翼』(高橋陽一/集英社)を読んでブラジルへの憧れを募らせていたのが中学校1年生くらいの頃です。大空翼くんに憧れていて、中学校を卒業したらブラジルに留学したいと思っていました。

 実は自分の家の前にブラジルの方が住んでいたんですよね。その方はそこまで流暢に日本語は話せませんでしたが、奥さんが日本の方でした。僕が家の前でボールを蹴っていたら「ブラジルでは、はだしで道路でサッカーをするんだよ」といったように、ブラジルの様子を教えてくれました。知らない国の話、ましてや自分の大好きなスポーツが盛んな国の話を聞けるので、毎回ワクワクしながら聞いていたのを覚えています。その方とロベルト本郷の姿を被らせていた部分もあって、小さい頃からブラジル留学をしたいと思っていました。

 中学を卒業したらブラジルに行く気満々で、進路を決める三者面談でも「高校へは行かない」と言っていました。先生も両親も「ちょっとそれは……」といった微妙に困っているような反応でした(苦笑)。今考えると当然の反応だなと思いますが「とりあえず高校だけは行ってくれ」と説得されて渋々進学をすることにしました。

──高校卒業後に念願のブラジルへ渡ることはできたんですか?

中山:高校の進路相談でもブラジルへ留学させてくれという希望を伝えていました。翼くんと同じ道を歩みたかったので、まったくブレませんでした。ところがまた両親に反対されてしまって。反対された理由ははっきりとは覚えていませんが、賛成を得ることはできませんでした。

 そこでサッカーの専門学校があるということで、群馬県にあるサッカーの専門学校に進学しました。ところが、4月に入学して1月には辞めてしまいました。どうしてもブラジルに行きたかったので両親に「辞めてブラジルに行きたい」と話しました。3度目の正直ですね。両親も「さすがにここまで言うなら行ってこい」という感じで留学を許してくれました。

衝撃の誘拐事件も…ブラジルでの経験が全て今に生きている

──念願のブラジル留学の夢をかなえて、留学した経験が現在の職業に生きているなと思うことはありますか?

中山:たくさんありますよ。短い期間ではありましたが、ブラジルで現地の人と一緒に暮らした経験によって、ブラジルの文化をより深く理解することができました。先ほども話しましたが、文化の違う国で選手に生活をしてもらうためには、ただ言葉を訳すだけでは全然足りません。

 例えば、日本人は時間を守りますよね。練習開始の時刻が決められていたら、全員その時間にそろっているのが当たり前です。一方で、僕がブラジルでサッカーをしていた頃に経験したできごとなのですが、11時から練習試合があると伝えられていたので、時間どおりに試合会場に行ったら、誰一人として来ていなかったんですよね(苦笑)。チームメートだけではなくて、対戦相手も審判も誰もいませんでした。ぽつりぽつりとそろいはじめて、試合を開始できたのはなんと2時間後でした。

 日本だったら「試合の時間を間違えたかな」とか「中止になったかな」とか、いろいろ考えますよね? ブラジルは、それが普通だったので「まあ、そうだよな」という感じでその間、ずっと待っていましたね(笑)。

──それはすごいですね(苦笑)。ブラジルでは皆さん単純に時間にルーズなんでしょうか?

中山:ブラジルという国は、日本に住んでいては考えられないような貧困問題を抱えています。例えば街中で、携帯電話を触っているだけで強盗に狙われてしまったりします。

 僕がブラジルにいた頃に友だちの家でご飯を食べていたんですけど、そこに突然知らない人たちが乗り込んできたんですよね。状況がつかめないままご飯を食べていたら、その人たちが銃を突きつけてきて……。その家にいた全員が車に押し込められて「俺たち誘拐されてるみたいだ」って。

 ご飯を食べていた家の家族に銀行員の方がいて、その方が金庫の鍵を管理していた人だったんです。それで、強盗がお金を盗むのにその人を拉致しにきたところに、僕が居合わせてしまったんです。翌日放置されていた車からなんとか脱出することができましたが、日本では考えられないですよね。

──とんでもない事件に巻き込まれてしまったんですね。

中山:僕の体験したことはほんの一例でしかありませんが、ブラジルでは毎日生きるのに必死な人たちがたくさんいます。そういった環境も少なからず影響しているのだと思いますが「今を楽しむ」という考え方を持っている方が多いです。

 例えば、遅刻の理由を一つとってみても「向かう途中で友だちに会って話し込んでしまった」という、日本では考えられない理由で遅刻するんです。日本人だったら「仕事に遅刻してしまうから、またね」といって別れますよね? ブラジルでは、その「またね」がないかもしれないというのを、皆さん心のどこかで感じているのかもしれないです。

 初来日のブラジル人選手が遅刻をしてきたとして、日本の常識だけで叱ってしまえば、今後の関係に摩擦が生じてしまう可能性もあります。そういった時に、ブラジルで生活することで文化により深く触れたという経験が生きてくると思います。

 また、言葉一つをとってみても「ブラジルで使われている言葉だ」と褒めてもらえることもあるので、そういう時に留学の経験が生きているなと思います。

──中山さんから今後通訳を目指す方へのアドバイスなどはありますか?

中山:通訳は翻訳と違って、その場で瞬時に判断しなければいけないことが多いです。その時に、自分が積んだ経験や、相手のことを深く理解できているというのは武器になると思います。もし、通訳を目指しているのであれば、できる限り現地で生活をすることが自分の強みにもなると思います。

 僕のように日本では到底経験することがないようなできごとに遭遇することもあります。その経験も、今振り返ると今につながる大切な経験だったと思います。

 日本の常識だけが全てではないです。数え切れないくらいの文化や考え方が世界中に散らばっています。もし今、うまくいかないなと感じることがあっても、考え方や見方を変えることが解決につながる場合もあります。そういう場合も、日本から出てみるというのは自分の人生にとって大きな糧になると思います。

<了>






PROFILE
中山和也(なかやま・かずや)
1978年12月11日生まれ、岩手県出身。幼少期からサッカーを始める。プロサッカー選手を目指しブラジルに留学後、サッカー選手育成機関CFE(エドゥー・サッカーセンター)に選手兼スタッフ兼通訳として所属。帰国後は静岡FC(選手)、麻布大学附属渕野辺高等学校GKコーチ、横浜FCでの通訳を経て、2009年から川崎フロンターレでブラジル人選手の通訳を務める。