2021年7月22日、澎湃新聞は、ほぼ無観客開催となり莫大(ばくだい)な経済損失が免れない状況となった東京五輪について「日本にまだ救われる道はあるのか」とする記事を掲載した。以下はその概要。

ダンボールのベッド、電子部品をリサイクルして作ったメダル、ペットボトルを再利用した表彰台、1000億円をかけながら空調設備を取り付けなかった新国立競技場……環境保護とエコロジーの理念にこだわった東京五輪だったが、組織委員会には大きな経済的な負担がのしかかっている。

2013年に東京が誘致に成功した際、日本政府は東京五輪を経済再興の起爆剤とみなし、市民も1964年の五輪同様に経済成長を期待した。しかし現状は、新型コロナの感染が収まらない中で無理やり五輪を開催し、少しでも損失を減らすことしか期待できない状況になっている。

誘致成功当初73億ドルとされた開催コストは、昨年9月のオックスフォード大学による計算では158億4000万ドル近くと2倍以上にふくらみ、夏季五輪史上最多額となった。それでもコロナがなければチケット、観光、スポンサー、金融、保険などでの収益で補填(ほてん)できるはずだったのだ。

無観客開催により、もともと見込んでいた900億円の収入は十数億円にまで減るという。さらに、観光収入や外国人観光客の消費による収入の損失は1500億円前後に上るとの予測がある。これにより発生する東京五輪の赤字を、日本の納税者が補填する状況はもはや避けられないかもしれない。

それでもなぜ、なおも開催しようとするのか。止めてしまえば放送の版権やスポンサー費用に関する賠償や返金だけで組織委員会は火の車になってしまうからだ。しかも、五輪経済はもはや開催地である東京だけの事情にとどまらない。米国の五輪放送権を独占しているNBCは、2016年のリオ五輪を超える12億5000万ドルを支払っている。そして、国際オリンピック委員会も、参加各国・地域のオリンピック委員会に今大会に向けて5億4900万ドルを分配しており、中止となれば財政危機が起こりかねない。

それゆえ、東京オリンピック組織委員会は、なにがなんでも開催しなければならないのだ。(翻訳・編集/川尻)