改革開放路線が取られてから40年以上がたち、急速な経済成長によって中国は大きく発展した。改革開放が大きな成果を得た大きな要因は資本主義経済の利点を大きく取り入れたことだ。

市場経済を取り入れて経済発展を図ることは、改革開放前にも試みられたが、政策決定層やブレーンからは「市場経済=資本主義の復活」と認識されていたため、このような政策は「社会主義の道から外れた修正主義」と批判された。それに対し、改革開放は伝統的な社会主義理論にこだわることなく、国の生産力を発展させるものなら、資本主義国のものであろうと容認し、各種の改革が進められた。

中でも、対外開放は社会主義を発展させるのにプラスになるとされ、深センも資本主義国との交流の「窓口」となり、多くの外資を引きつけた。2001年の世界貿易機関(WTO)加盟により、中国経済はグローバル経済にますます組み入れられた。

中国の対外開放で重要な役割を果たした深センに変化が起きている。

7月末に『財経』に掲載された記事は、世界の多国籍企業が深センに投資しなくなったことを明らかにした。

データだけ見れば、「外資が好む都市」といえる。例えば、2015年からの7年間、深センの外資実質利用額はそれぞれ、65億ドル、67億3200万ドル、74億100万ドル、82億300万ドル、77億1000万ドル、86億8300万ドル、11億200万ドルとなっている。2021年には過去最高の100億ドルを突破した。

『財経』記事は外資がどこから来たものかに注目した。深センの対外開放についての研究によると、香港・澳門資本と外国資本に分けられ、香港・澳門資本が多く、外国資本は日本、米国、韓国、フランス、英国がメインだ。

2015年以降の毎年の海外直接投資(FDI)トップ5は、香港のほかに、最もよく見られるのは英領バージン諸島、ケイマン諸島などのオフショア金融センターで、シンガポールもたまにトップ5に入っているが、米国、日本、欧州がトップ5に入ることはほとんどなく、トップ10にさえ姿を見せていない。

また、近年、深センが受け入れたFDIのうち、不動産業投資が常に1位で、不動産業を含むサービス業投資が占める割合は約80%に達しているが、科学技術製造業の多国籍企業の姿は見当たらない。香港資本は、中小規模の労働集約型の企業が多い。

ただ、2015年に深セン前蛇口自由貿易区がスタートし、広東自由貿易の重要な一部分にして中国政府が進める「一帯一路」の重要拠点としても位置付けられている。

■家電市場での競争激化、中国北部への投資を好む日系家電企業

家電市場の発展の歴史を概観すると、1950年代前は、米国が世界の家電市場のトップだったが、1970年代に入ると、日本の家電製品が台頭し、過去の「安かろう、悪かろう」のイメージを一変させ、世界各国で受け入れられた。2000年代になると、韓国の家電製品が台頭した。このことから、中国が改革開放によって経済発展を実現した時期と日本家電の「黄金時代」の時期が重なっていたことが分かる。

中国の家電需要が旺盛だった1980年代には、日系家電大手が中国大陸に生産拠点を置くことはあまりなく、日本で生産したものを中国に輸出するという形をとっていた。当時の中国の家電市場は日系をはじめとする外国ブランドが80%のシェアを占めていた。

1996年以降、康佳、創維、TCL、長虹、海爾、海信という中国大陸の家電企業が台頭し、日系企業を主とする外国ブランドの市場シェアは急速に中国企業に奪われ、2010年までに、中国における外資ブランドの市場シェアは20%に低下した。さらに、中国系カラーテレビ大手が国際市場に参入し、日韓のカラーテレビ企業と競争するようになった。その中で、日系カラーテレビ企業は中国に生産拠点を設けて自社の生産コストを引き下げることを余儀なくされた。

『財経』記事は、「康佳、創維、TCLの生産拠点が深セン地区に集中するようになってから、日韓などのカラーテレビ企業が深センにあまり投資しなくなった。松下も東芝もシャープも、ソニーもサムスンも、中国の北部へ投資するようになった」と指摘し、松下、東芝、シャープ、ソニーの例を挙げた。

松下電器は1980年代末に中国に合弁工場を設立し始めた時、北京市と天津市を選んだ。その後、松下電器は中国大陸に80社以上の企業を設立し、上海、済南で事業展開したが、深センにはほとんど進出しなかった。

東芝は1991年に大連にテレビ工場を設立し、杭州に輸出拠点を置いた。東芝は中国の24都市に33の工場と研究開発機関を相次いで設立したが、いずれも深センとは関係がなかった。その後、東芝は中国の電化製品の生産工場を閉鎖し、すべてベトナムに移転し、研究開発と精密部品生産は本土に移転した。

シャープは中国本社を上海に置き、生産拠点は上海市や常熟市などに置いている。

ソニーの中国での投資総額は8億ドルを超え、カラーテレビ関連の生産拠点は主に上海市、江西省、廈門(アモイ)市にあり、広東省では中山市にテレビ工場を投資し、恵州市に部品工場を建設した。

■コンピュータ時代、多国籍企業の出入りが頻繁に

カラーテレビ市場の競争が激しさを増していた1990年代、深センと周辺地域のコンピュータハードウェア製造業も急速に発展してきた。当時、深センは多国籍企業のIT大手から特に重視されていた。当時、深センに投資していた多国籍企業は米国企業がメインで、深センのコンピュータ産業発展で大きな役割を果たした。1992年には米国のシーゲートが深センに投資し、1994年にパソコンのハードディスクを生産した。

だが、現在の深センでは、こうした多国籍企業の姿を見かけることはほとんどない。

深センに投資した大手多国籍企業の大半は中国を離れていない。多くのコンピュータ企業は自社で生産するのではなく、OEM工場にアウトソーシングしているが、依然として深セン以外の中国各地に多くの工場と研究開発センターを持っている。『財経』記事はコンパック、中国恩普(深セン)有限公司、デル、レノボなどの例を挙げている。

1995年、米国系コンパック(Compaq、株式の90%を占める)と中国四通集団(株式の10%を占める)は合弁でコンパックコンピュータ技術(中国)有限公司を設立し、深セン華僑城東部工業区に、1本の本体組立生産ラインと3本のコンピュータ電源生産ラインを含むコンパックの世界第5の生産工場を設立した。

だが、2001年にHPがコンパックと合併すると、深セン工場が廃止された。HP自体は上海市、重慶市(2010年)にパソコン生産拠点を持ち、台湾の精英(エリート)、和碩(ペガトロン)、富士康(フォックスコン)がOEM工場としている。

中国恩普(深セン)有限公司が1988年に設立され、インテグレータ、医療製品、ケーブルを生産している。だが、1992年にHPが北京市に中国本社を設置すると、HPの中国での生産の中心は、青島市、上海市を含む華北と長江デルタにシフトした。1996年、中国恩普(深セン)有限公司がSMK会社に株式を譲渡した後、HPは再び深センに投資していない。

遅い時期に深センに工場を設立したデル(Dell)は、2004年にアモイに移転し、2005年に第2工場を設立し、2010年には売り上げ340億元を達成した。

大手米国企業のうち、IBMは深センに最も影響を与えているパソコン会社だ。1994年に中国の長城コンピュータグループと合弁会社を深センに設立して以降、IBMの中国投資の半分が深センに集中している。IBMグローバル調達センター本部、グローバルサービス執行センター本部をいずれも深センに置いた。このことから同社の深センへの愛着がうかがえる。

レノボ・グループが2004〜2005年にIBMのパソコン事業を買収した後、IBMの深セン工場はすべてレノボの生産拠点となっていた。レノボが深セン工場の閉鎖を計画しているとうわさされてきたが、レノボは否定した。レノボは20億元を投じてつくった南部インテリジェント製造拠点が2020年3月に深センで着工したことで、このようなうわさに完全に終止符が打たれた。

リコーは1991年1月に深セン市皇崗北路に生産拠点を建設し、コピー機、ファックス、プリンター、軽量印刷機およびその部品の生産をメインとし、投資総額は7000万ドルに達した。その後、宝安区福永街道にリコー工業団地を設立した。2020年までに、リコーは皇崗北の工場を閉鎖し、東莞市に移転した。

■天津を重視?世界の携帯電話企業

80〜90年代は、中国は固定電話をどう普及させるかということが大きな課題だったが、時代が進むにつれ、人々は携帯電話を持つようになった。筆者が1997年に初めて北京を訪れた時は、携帯電話を持っている人をあまり見かけなかったが、2001年に留学生活を始めた時は、多くの人が持っていた。

携帯電話産業は1990年代末に台頭し、華為(ファーウェイ)のスマートフォンが世界3位になった。中国産のスマートフォンが出てくるまで、中国の携帯電話市場で見られたブランドはモトローラ、ノキア、シーメンス、エリクソン、ソニー、サムスンなどだった。これらの企業の中国での生産拠点は、おおむね深センを避けている。

1992年、モトローラは1億2000万ドルを投じて天津開発区に中国生産拠点を設立した。10年後には、世界のモトローラの携帯電話の9割がここで生産されている。最盛期にはモトローラの天津への投資額は30億ドルを超え、中国での総投資額は一時フォルクスワーゲンを上回ったこともあった。

モトローラと深センの主な直接的な接点は、2003年に75億ドルを投じるファーウェイ買収計画だろう。交渉が最終段階まで進んだ時、新しく就任したサンダーCEOはファーウェイの提示額が高すぎたため、同社の潜在的価値を見出せず、この取引を白紙に戻した。この取引はサンダーCEOが中国市場で犯した最も重大な過ちの1つだといわれる。

2007年、モトローラの中国地区事業は完全に崩壊し、覇者の地位はサムスンに取って代わられた。2002年にサムスン電子が中国に進出した際も、同じく天津を選んだ。2003年、天津で生産された携帯電話は5000万台で、中国全体の携帯電話生産量の25%を占め、一時は天津が中国の携帯電話製造センターの一つとなったようだ。

ノキアは1994年に中国に進出したばかりで、2008年末まで北京市と天津市に工場を設立した。

エリクソンは1995年に北京を中心に中国に工場を設立し、最高時には北京の生産拠点で年間4000万台の携帯電話を生産していた。

シーメンスは1993年に上海に携帯電話の中国生産拠点を設立した。

30数年にわたって、家電、パソコン、携帯電話は、その時代を最も代表する3つの製品であり、中国もこれらいくつかの製品の世界的な生産拠点であり続けてきたが、この3つの製品を生産する大手外資企業が深センに工場を設立するのはまれだった。

■世界的大手企業、「深セン再認識」の風潮

改革開放が始まってから多くの外資を引きつけていた深センにとって分岐点となったのは2001年のWTO加盟だった。2001年からの20年間、多国籍企業の投資は分散的なものだった。

2001年以前には、日本はグローバル500社の企業28社が深センに投資しており、米国でも27社が投資しており、前述のIT企業のほか、米国のジョンソン・エンド・ジョンソン、ブリストル・マイヤーズ スクイブ、ワールプール、コダック、ダウなどの企業が深センの外資重点企業リストに入っていた。

だが、2001年以降、特に2008年以降、深センで比較的多額の投資を行った多国籍企業は数えるほどしかなく、同時期に多くの大手多国籍企業が長江デルタ地域、さらには中・西部地域で多くの投資を行ったのとは対照的だ。

ただ、2001年以降、多国籍企業に「無視」されていた深セン地区で、中国大陸の民営の科学技術企業が躍進し、深セン-東莞-恵州地区に中国大陸で最も豊かなイノベーション・エコシステムを構築したことは注目に値する。2001から2014年までは、多国籍企業が深センにあまり進出しなかったため、同地域のイノベーション・エコシステムが形成されなかったが、多国籍企業が担う役割を中国系の民間企業が果たした。

ただ、状況は変わってきている。イノベーション・エコシステムが形成された深セン-東莞-恵州地区は、2014年以降、一部のIT多国籍企業を再び引きつけている。多国籍企業が注目しているのはこの地方のイノベーション・エコシステムで、20年前のように低コストの製造要素だけに注目しているのではなくなっている。このことは、多国籍企業が中国を「低廉な労働力の供給地」として見ておらず、「世界の市場」「イノベーションセンター」として見ていることを示している。

「深セン再認識」の風潮を最初に巻き起こしたのは、インテルだと『財経』記事は指摘する。2013年にインテルのブライアン・クルザニッチ(Brian Krzanich)CEOが就任すると、深センを立て続けに訪問し、2014年2月に年次情報技術サミットを深センに移して開催しただけでなく、初のスマートデバイス・イノベーションセンターを深センに設立すると宣言した。クルザニッチCEOはまた、インテルが1億ドルを投資し、深センに「インテル中国スマートデバイスイノベーション基金」を設立し、新たな市場機会を開拓すると高らかに宣言した。

インテルの後に続いて、クアルコム、マイクロソフト、アップル、アクセンチュア、ABBは相次いで深センにイノベーションセンターを設立し、深センのイノベーションセンターがグローバルな連携とイノベーションに位置づけられることを次々と宣言した。この傾向は今も続いている。

中国日本商会が公表した今年の『中国経済と日本企業2022年白書』は、ジェトロが行った調査を引用し、「今後海外で事業拡大を図る国・地域で、中国と答えた日本企業は45.9%(1位は米国で49.0%)で、依然中国は重要な市場と認識している。

ただ「深セン再認識」については現在のところ、日本企業はその流れに積極的に乗ろうとする動きはないようだ。