プロボクシングの元WBC世界バンタム級王者の辰吉丈一郎(54)がスーパーバンタム級の4団体統一王者、井上尚弥(31、大橋)が東京ドームでルイス・ネリ(29、メキシコ)を倒した衝撃的な試合について最大級の賛辞を贈った。「なにより凄かったのは」と注目したのは1ラウンドにダウンを喫したもののカウント8まで膝をついて回復を待った対応力。米で最も権威ある専門誌「ザ・リング」はパウンド・フォー・パウンドのランキングを更新。タイソン・フューリー(35、英国)に判定勝利して、ヘビー級の4団体統一王者となったオレクサンドル・ウシク(37、ウクライナ)が1位となり井上は2位に後退したが、辰吉が敬意を示すように井上の評価は揺るがないだろう。

 「井上尚弥は試合慣れしている」

 平成のカリスマが令和のモンスターに敬意を表した。
18日にエディオンアリーナ大阪で行われた次男の寿以輝(大阪帝拳)のノンタイトル戦を見守るため会場に1時間も前に到着していた辰吉と話をする機会があり、井上尚弥vsネリ戦についての感想を求めた。
まず見たかどうかも怪しかったが、案の定、リアルタイムでは見れなかったという。この試合はAmazonプライムビデオの独占ライブ配信だったが、視聴方法がよくわからず、るみ夫人の助けを借りながら、スマホをあれこれといじっていたが、「どうやってつなげるかわからんうちに試合は終わっていたわ」という。
「なんでテレビでやらんの?」
辰吉の現役時代は地上波の黄金時代。
1994年に行われた辰吉と薬師寺保栄のWBC世界バンタム級王座統一戦の平均視聴率は、驚異の39.4%を叩きだした。だが、2022年の村田諒太と、ゲンナジー・ゴロフキン(カザフスタン)のミドル級2団体統一戦から本格的なネット配信時代に突入し、ビッグマネーが捻出されるようになった。AmazonプライムビデオやNTTdocomoのLeminoが用意する莫大な配信料に地上波の放映料では歯が立たなくなり、ボクシング放映からの撤退を余儀なくされたが、辰吉が抱くシンプルな疑問に同意する声も少なくない。井上×ネリ戦は、Amazonプライムビデオの過去最高の視聴数を記録した。もしテレビの地上波中継があれば、歴代最高視聴率をマークし、大谷翔平の連日の活躍のように日本国民全体に、その衝撃が、周知されることになったのかもしれない。
話が脱線したが、辰吉は、その後、ネットにアップされていた映像でしっかりと衝撃的なモンスターの6ラウンドの戦いを確認したそうだ。
「凄かったなあ。井上選手のどこが凄いか?あの子は試合慣れしているんよ」
――試合慣れとは?
「世界戦をもう何試合やってんの?見極めとか、距離感とか、ステップ、体の位置、試合の運び方、パンチへの体重の乗せ方とか、色々あんねんって」
井上は今回のネリ戦で世界戦22勝。WBA世界スーパーフライ級王者の井岡一翔(志成)の記録に並び日本人として世界戦の歴代最多勝利となった。
「せやけど、今回の試合で何が凄かったかというと、あの1ラウンドのダウンしたときの対応」
井上は1ラウンドに至近距離で左のアッパーを打ち込み、右のフックを返そうとした瞬間、ガラ空きとなった顔面にネリの左フックがカウンターとなって炸裂。プロ初のダウンを喫して、東京ドームを埋めた43000人のファンを凍り付かせた。
「おそらく見えていないパンチ。あのタイミングで打たれたら一番効くんよ。でも、井上選手は、あの時すぐに立たずに膝を立ててカウントギリギリまで待っていた。おそらくやけど、ああいう場面を想定して練習していたんやろうな。初めてダウンをしたら、普通、焦ってすぐ立とうとするやん。それを冷静に待ってダメージを回復させた。あれをああいう舞台でできるのが、ほんま凄いわ」

 井上はすぐには立たずカウント8まで膝をついていた。
試合後に井上は「8カウントまで膝をついて休む。そこの数秒が大事。日頃から考えるようにしていることが咄嗟にできた。ダウンしてすぐに立つと足のふらつきとかが出る」と説明している。
まだ残り時間は1分以上あったが、井上は、あらゆるディフェンステクニックを駆使して、最大の危機を乗り越え、2、5ラウンドに左フックでダウンを奪い返し、6回にコーナーにはりつけて右ストレートでネリをキャンバスに沈めた。
東京ドームでのボクシング興行は、1990年2月のマイク・タイソン(米国)対ジェームス“バスター”ダグラス(米国)の“世紀の番狂わせ”以来、34年ぶりだったが、そのタイソン戦のアンダーカードにプロ2戦目の辰吉も出場し、バンタム級ノンタイトル10回戦でチュチャード・エアウサンパン(タイ)と対戦していた。辰吉が左ボディーでダウンを奪い、2ラウンドにKO勝利したが、辰吉も、偶然にも、この試合でプロ初のダウンを喫していた。やはり東京ドームには魔物が棲んでいるのだろう。
辰吉は、井上を「稀」「別もの」と表現した。
「あの子は、ほんまに凄いことをしている。2階級で4団体統一って、簡単にできることちゃうよ。ほんまに稀な選手やから、それができたのにマスコミの取り上げ方もそうやけど、それを当たり前のようにやっているから怖いわ。井上選手は別もん。他のボクサーと比べたらあかんねん」
リング誌が選ぶパウンド・フォー・パウンド(階級関係なしの最強ランキング)の最新ランキングでは、13キロの体重差をものともせずにフューリーからスタンディングダウンを奪い、2−1の判定勝利で史上3人目の2階級4団体統一を成し遂げたウシクに抜かれて、1位から2位に後退した。ネリ戦が評価されて、2年ぶりの1位に返り咲いてから、わずか10日間の“天下”だったが、今なお現役を貫く“レジェンド”の辰吉が「別もの」と評価するように井上の“凄さ”になんら変わりはない。
井上は9月に都内でIBF&WBOの同級1位のサム・グッドマン(豪州)、もしくは元IBF世界同級王者のTJ・ドヘニー(アイルランド)との防衛戦が予定されている。
(文責・本郷陽一/RONSPO、スポーツタイムズ通信社)