陶器市の店先で、思い悩むことがある。子どもが巣立って、食卓がにぎわうのは年に数えるほど。手に取った器をいくつ買うべきか。そんな自分の度量が問われるとき、人間の大小を同じ「器」という言葉であらわす不思議を考えたりする◆詩人の石垣りんさんの随筆を思い出す。生涯独身だった彼女は、皿小鉢をそろいで買う必要もなかった。〈それでも、ひとつと思うところをふたつ買うときには、誰か来たらなどと、心のどこかで思っている。その器はまだからっぽなのに、期待というものがすでに盛られているのを感じます〉◆家族の規模が小さくなり、全世帯の4割近くが1人暮らしという時代。うち3軒に1軒は65歳以上である。食卓を囲む相手もなく、ひっそりと亡くなった後で見つかる…。そんな「孤独死」の高齢者は年間推計6万8千人にも上る◆孤独を感じている人の死亡リスクは、肥満の2倍も高いらしい。福祉の支援が必要なのに、「困っていない」と拒む人も少なくない。どうすれば心のすき間は埋められるだろう◆「人は皆、それぞれの“器”を持って生きています。形や大きさを比べるのではなく、満たすことに集中できる人が、人生を楽しめるのです」とは綾小路きみまろさんの言葉。誰かの気配や社会に関わるよろこびで、ひとつしかない器が満たされるといい。(桑)