酔うと歌いたがる人、いますね。でも泣いたり怒ったりするよりよほどマシですよね? 日頃カラオケボックスで気心知れた仲間と歌うのを好みながら、他方、見も知らぬおじさんたちに緊張混じりに交じって「ワインレッドの心」を眉間にシワ寄せて歌ったり、ママさんと「銀座の恋の物語」をうっとりデュエットするのもまた好むワガママ中年男もいるようですが。 知らない人たちと歌で心が繋がり、突如結成される赤の他人カラオケユニット。永久に再結成叶わぬ偶然の歌謡団がもたらす奇妙に調和した一夜が忘れられず、博打打ちが放られたサイコロの転ぶ先から目線を切れないように、中年男も夜のとばりに我が身を投げることをやめられない。夜な夜なギャンブルのごとき気持ちで身を投じる先こそが、「スナック」です。 このとき、予想不能の夜を盛り上げる重要な演出装置が、「突き出し」なのです。ポンと出された瞬間おおっ、となるスナックはもう、間違いない。一見のお店でも一瞬で身体のこわばりが解かれ、必ずいい歌が歌えます。

千差万別の突き出し、テンションが上がるのは……

ただ店によっての内容の差は、居酒屋業態のそれよりはるかに大きいでしょう。せんべい、ナッツ、割きイカなどの乾き物から始まって、冷ややっことかザーサイとかチキチキボーンとか簡単料理か出来合いの総菜の場合もあるし、切ったバナナ、むいた柿、も存在します。中年がスナックに行くときは必ず二軒目以降で腹は減っていないし、疲れた中年はそもそもが食べ物にこだわりがないのでほんとは全然それでかまいません。それでも一瞬でテンションが上がる瞬間があります。それは、『地方のママの手料理』ですね。

すぐに思い出すのは、青森の古い飲み屋街で、雪を踏みながら路地を進み、ふらりと入った青いネオンのスナック。ドアを開けると常連の爺ちゃん客とママさんが昔話をしている。脇にちょこんと座ると、ママは小さな流し台に立ち、イカの刺身をさっと切って出してくれました。透き通るような身の白さと甘さ。古び、暗く、寂しい路地の印象との落差も相まって、突き出しをつつきながらしびれる喜びと身体の解放感覚を味わいました。

二軒目も飛び込み。雪に、紫のネオン光をわずかに投げる店のドアを引く。客はいない。座って、おしぼりを受け取り、中年男性のマナー通り顔もまんべんなく拭き上げ、水割りグラスも受け取って口を着けたころ、向かい合わせに立つママさんはカウンターの下でなにやらごそごそと手を動かしだす。覗き見ると、アルミの千寿鍋がコンロにかかっていて、オタマで中身をかき回しながら味噌を溶くところ。やがてできあがったのを小鉢に盛って、トンと私の前に置かれたのは、湯気のたつ「じゃっぱ汁」でした。簡単に言えば青森のあら汁ですね。

青森のスナックで出会った「じゃっぱ汁」。
青森のスナックで出会った「じゃっぱ汁」。

雪の降る夜、石油ストーブ、新鮮なアラの旨味。いまだに思い出すだけでツマミになります。お、そういえば二軒とも歌うの忘れて話しこんじゃいましたね……。しびれる突き出しは話の枕となって、するすると土地の話も引き出します。

思わずうなり声をあげた、山形・米沢のツマミ

海の幸もいいのですが、山の幸は中年の骨身に染み入ります。特に煮物、それも山菜の。数年前の春先、山形・米沢に旅したときの夜が忘れられません。戦後、幹線道路を行き来する人々を狙って設けられたと聞く小さなアーケード飲み屋街にて。目についた一軒に飛び込むと、ママさんはまず「くきたち」のお浸しを出してくれました。福島県などでも食べられているという春の野菜『茎立菜(くきたちな)』。小松菜のような感じもする菜の花の仲間で、さわやかな味でクセも全くなし。いい香りだなぁ、なんて言っていると続いて出してくれたのが、ワラビの一本漬けでした。醤油味の漬物です。これですよ。んん〜、とおじさんうなり声あげました。新鮮なのを取ってきて醤油オンリーで漬けこむママもいたり、どの店も自分の味を持っています。

さわやかな味で「くきたち」のお浸し。
さわやかな味で「くきたち」のお浸し。

この後二軒くらいスナックをハシゴした記憶があるのですが、どこでも出てきます。青々とあっさり漬けたやつ、甘辛いやつ、微妙な違いがあって飽きないんですね。私はこういう突き出しこそ、突き出されたい。土地の人が仕事帰りにホッと落ち着いて飲むためのツマミ。これを他所からお邪魔してご相伴にあずかる。ママたちが、季節になると山菜やらキノコやらを山にとりに行く自慢話をききながら。これが私は贅沢に感じます。

あの頃の味を追体験しているのかもしれない

キノコ採りといえば、北関東の実家にいたころ、山へと「狩り」に向かううちのばあさんにくっついていくのが好きでした。かれこれ三十数年前、小学生の私はばあさんの駆るカブの荷台に座り、ときどき近所の山へ入りました。ちゃんと持ち主とは話をつけていて、何十年と入っているばあさんにとっては、変な言い方になりますが、「庭の山」。私にはなにもない草むらに見えても、「ほれ、そご見てみろ」とばあさんがピッと指さす先には春ならワラビなど山菜、秋ならいろいろなキノコが必ず生えていました。キノコは食べられるものと酷似していても食用不可のものもあって、ばあさんの目利きだけで「それは取って」「それはダメだ」と判定しながら、私も採取していきます。当時ばあさんは50代の女性。同世代の近所の女性もおしなべてこの判定技術を体得していました。

農協の米袋一杯に持ち帰ったキノコは、醤油や砂糖で煮て食べることが多かったですが、味はもう覚えていません。昭和が終わる頃には、「山が痩せちゃって、あんま採れねえだよ」とばあさんが嘆く状況になり、すっかり私も口にできなくなってしまったからです。地方のスナックに惹かれるのは、あの頃の味を追体験できる気がしているのかもしれません。

その後。ばあさんはキノコが採れなくなろうと少しもめげず、令和の世を迎えています。楽しみは、まだまだあるんです。たとえば今も裏山に生えているフキを山ほど採ってきては、指先を真っ黒にして筋取りし、家じゅうにフキの青臭い匂いを充満させながら、これまた醤油で真っ黒けに煮ては嬉々としています。

帰省して、コーヒーブレイクしようとネスカフェゴールドブレンドの瓶を手に取ると、そうか未開封か、漆黒の粉がちゃんと充填されてるな……と思いきや空き瓶さえ無駄にしないばあさんの手によって真っ黒なフキがパンパンに詰まっていたりします。学生のころはトラップにひっかかったようで閉口しましたが、今は、あの無邪気な罠に引っ掛かりたいなぁと思っています。

文・写真=フリート横田

フリート横田
文筆家、路地徘徊家
戦後〜高度成長期の古老の昔話を求めて街を徘徊。昭和や盛り場にまつわるエッセイやコラムを雑誌やウェブメディアで連載。近著は『横丁の戦後史』(中央公論新社)。現在、新刊を執筆中。