コロナ禍によって学生の姿が消え、一時は寂しかった江古田駅周辺にも、だいぶ人が戻ってきた。あちこちでイベントが催され、文化的な雰囲気が漂う江古田だが、それには今回、紹介する『マザーグース』の貢献が大きいのだ。

江古田とともに発展してきた『マザーグース』

西武池袋線江古田駅の北口を出てすぐ。線路をななめに突っ切る商店街のゆうゆうロードの入口近くに『マザーグース』はある。

一見、普通のパン屋さん。そして店のすぐ横には、『フェアリーテイルズ』というフリースペースがある。ここはイートインスペースとして使われているだけでなく、イベントスペースとして貸し出されていて、ミニコンサートやバザーなどが行われている。地域に開放されたスペースなのだ。なぜにこのようなことを始めたのか説明する前に、まずは店の歴史を紹介しよう。

『フェアリーテイルズ』は地域の集会所。
『フェアリーテイルズ』は地域の集会所。

『マザーグース』は1916年、初代の萩原賢一さんが巣鴨で創業した。当時の屋号は『萩原パン』だったが、店をかまえず、大八車でパンを売り歩いていたらしい。その後、1926年頃に江古田に移転。以来、ここでずっとパンを焼き、売り続けてきた。

1926年頃というと、江古田がそれまでののどかな農村から、大きく変わり始めた時期だった。1922年には、現在の武蔵大学の前身、旧制武蔵高等学校が開校。1923年には関東大震災が発生し、焼け出された都心の人々が大勢、移り住んできた。1930年には武蔵野音楽大学の前身、武蔵野音楽学校が代々木八幡から移ってきて、1939年には日本大学芸術学部、通称、日藝がやってくる。さらに1930年前後には駅の北側に高級住宅地が開発された。江古田駅の周辺は戦前、文化的な人々が集っていたのだ。パンを売るにはうってつけの土地だったと言える。

人気のお好み焼きパン280円。パン生地の上に焼きそば目玉焼きマヨネーズ。カリッとした焼きそば麺がオツな味。
人気のお好み焼きパン280円。パン生地の上に焼きそば目玉焼きマヨネーズ。カリッとした焼きそば麺がオツな味。

地域に根ざしたベーカリー

その後、2代目の栄一さんも店に入り、戦後の『マザーグース』は発展した。店のすぐ横でレストランを開業し、当時は珍しい焼きたてパンの食べ放題を取り入れて大人気に。さらに池袋のサンシャインシティには、ベーカリーレストランを出店。加えて練馬区内の小学校・中学校の給食にパンを卸し、1日4万食のパンを作っていた。江古田をベースに、広く商売を続けてきたのだ。

彩り野菜ピザ250円。かなりのボリュームです。
彩り野菜ピザ250円。かなりのボリュームです。

現在、3代目のひとみさんは、すぐには店に入らず、銀行・ホテルで働いていた。その後、結婚を経て保険会社の営業職に。店を手伝うことはあったが、基本、違う道を歩んできた。そんなひとみさんが正式に跡を継いだのは9年前。長い歴史があるだけに、それまでの仕事を受け継ぐことで精一杯だったが、商店街の仕事に関わるようになって、じょじょに変わってきたという。

ほぼ江古田の顔になっている萩原ひとみさん。
ほぼ江古田の顔になっている萩原ひとみさん。

「地域のいろいろな人たちと関わるようになって、視野が広がったんですね。自分がそれまでやってきた銀行やホテルの仕事の経験を活かせるようになったんです」

『フェアリーテイルズ』の中。奥にはグランドピアノが。
『フェアリーテイルズ』の中。奥にはグランドピアノが。

ひとみさんは跡を継ぐ前に日本パン技術研究所に通い、知識、技術を身につけたが、パン作りに関しては、基本、長く働いてもらっている職人に任せているという。『マザーグース』のパンは、食パンやコッペパンなどのスタンダードなものから、ちょっと変わった惣菜パンにハード系など幅広いが、どれも丁寧に作られていて、確実においしい。だが、ひとみさんは製パンはもとより、店のあり方にも注力している。

まずは人に来てもらっての商売

前述のレストランの後にはコンビニエンスストアが入っていたが、諸事情があって撤退。次の店子を探していたが、3年前、街の人が気軽に集まれる場所にとイベントスペースにあらためられ、多くの人が活用している。

これも人気のミニパンシリーズ。左から時計回りにミニカレー、あんドーナツ100円。ミニソーセージ130円。
これも人気のミニパンシリーズ。左から時計回りにミニカレー、あんドーナツ100円。ミニソーセージ130円。

また地域のイベント「えこだパンさんぽ」などのイベントにも関わっている。「えこだパンさんぽ」はひとみさんもメンバーの1人として江古田エリアのベーカリー10店に声をかけ、企画段階から関わったスタンプラリー形式のイベント。2016年から始まり、2021年で5年目を迎えた。ほかにも江古田の各会場でさまざまな展示やイベントが催される「江古田のまちの芸術祭」にも、協力している。『マザーグース』を経営するだけでなく、地域のイベントに積極的に取り組んでいるのだ。

「商売をやるには、まず人を呼ばなければなりません。それにはみんなが協力してやったほうがいいと思うんです。江古田は商店会が10もあって、それぞれ個性があるんですが、街を盛り上げるためには、みんな喜んで協力してくれます。つながりが強いからこそ、イベントもうまくできるんです」

マザーグース
住所:東京都練馬区栄町29-2/営業時間:8:00〜20:00/定休日:無/アクセス:西武鉄道西武池袋線江古田駅から徒歩3分

取材・文・撮影=本橋隆司

本橋隆司
大衆食ライター
1971年東京生まれ。大学卒業後、出版社勤務を経て2008年にフリーへ。ニュースサイトの編集をしながら、主に立ち食いそば、町パンなど、戦後大衆食の研究、執筆を続けている。