挑発的なタイトルになりました。でもそうじゃないですか?『ドラゴンボール』を週刊少年ジャンプ連載時、最終回まで読んだ人ってどれぐらいいます?   『ドラゴンボール』は1984年の終わり、週刊少年ジャンプで連載スタートした。作者の鳥山明は前作『Dr.スランプ』で社会現象レベルのヒットを飛ばしていたため、集英社の大きな期待とプレッシャーの中の船出だった。 どんな願いも叶えてくれるという7つのドラゴンボールを集めようと、主人公の孫悟空が世界中を冒険する当初のコンセプトは、天下一武道大会で大きく道筋が変わる。 悟空が天下一武道大会でピッコロ(息子)に勝った後、ベジータたちとの戦いでこのマンガは最大のピークを迎える。次のフリーザとの対決も盛り上がるが、黄金時代はここで終わり。未来からやってきたトランクスとセル編の途中から離れていった人は多いのではなかろうか。魔人ブウ編に至っては「ドラゴンボールってまだやってるのか」と思われていたのでは。 ジャンプは「努力・友情・勝利」をキーフレーズ(さすがにもう古すぎて現代では通用しないと思う)に、特に『リングにかけろ』『キン肉マン』『北斗の拳』など、バトル系マンガ誌として部数を飛躍的に伸ばしていった。鳥山明もジャンプのこの王道路線を継承した。 『ドラゴンボール』が、5年早く先に連載していた『キン肉マン』の影響をモロに受けていたことを指摘したい。この2作には類似点が多い。『キン肉マン』もやはり最強を決める大会である超人オリンピックの後、バッファローマン率いる悪魔超人が登場。ここから次の悪魔将軍までがクライマックス。バッファローマンが自らを1000万パワーと名乗ることで初めてキャラクターの強さを数値で表すようになった。 『ドラゴンボール』に数値が登場したのもやはり天下一武道大会後のベジータ編だった。数値で強さを表現すれば、絵の描写で説得力を出そうとはしなくなる。読者は一時的には支持するものの、数字に頼るようになった作り手は次第に蝕むしばまれていく。(もうひとつの共通点。それまでのバトルと段違いのレベルになった途端、ギャグ風味は一掃され、シリアスさが強調される。レギュラーだった和み系の脇キャラが消えた。『キン肉マン』だとキン骨マン、イワオ、マリ、カツラの中野さん。『ドラゴンボール』だとウミガメ、ウーロン、ランチなど)。 それでも『キン肉マン』は夢の超人タッグ編、キン肉王位争奪編と、ボルテージが下がることなく完走した。最終回のラストシーンも見事なものだった。しかし『ドラゴンボール』の最晩年は目を覆うものだった。鳥山明は重量級の特急列車から降りられなくなってしまった。終盤のやる気のなさは誰の目にも明らかで、敵味方問わずキャラクターのインフレ化は著しく、慢性的なワンパターン地獄に陥っていた。 仕方がなかった。『ドラゴンボール』が連載終了してもジャンプの売り上げを維持できるほどのヒット作が生まれていなかった。『遊☆戯☆王』と『ONE PIECE』と『NARUTO』が現れるのはもう少し先のことだ。      

アメコミを完全に日本人として咀嚼した絵

終わりたいのに終われない大人の事情が無駄な延命を図った結果、多くのファンが大団円を見届ける前に去っていった。実はいまだに最終回を読んでいない人が多いだろうからここに記しておく。

歳月が流れて、ブルマは初老を迎えている。しかし悟空やベジータのサイヤ人はいつまでも若いまま。「サイヤ人は戦闘民族だ。闘うために若い時代が長いんだ」と、ベジータは老けた妻に説明する。本来ならここに悲哀が入ってもいいはずだが、鳥山作品の性質上、描かなかった。僕は鼻白むものがあった。

一個の惑星の生物をすべて殺戮させるほどの戦闘能力を持ちながら、しかも不老長寿だって? それに神龍のおかげで何度も蘇らせてもらえる。誰がそんなキャラクターに自己投影はもちろん、憧憬を持つだろうか。

『ドラゴンボール』と『あしたのジョー』をストーリーで比較してみたい。《不良少年矢吹丈は丹下段平と出会う。少年院を出所後プロボクサーになるが、ライバルの力石徹を試合で殺してしまう。失意から再起し、数々のライバルと出会い、世界タイトルマッチでホセ・メンドーサとの戦いの後、真っ白な灰になる》。

・・・思いっきり端折ましたがだいたいこんなストーリーラインです。

ところがドラゴンボールは、《悟空が次から次へと現れる強い敵と戦う》で説明が済んでしまう。ストーリーなどないに等しい。『ドラゴンボール』のキャラクターは今も絶大な人気を誇る。「オス!オラ悟空」「みんなこのオラにほんのちょっとずつだけ元気をわけてくれ」といった名セリフ、かめはめ波などの必殺技や名シーンはあるものの、山あり谷ありの実人生はない。

僕は以前にも当連載で「『タッチ』は『あしたのジョー』である」という回を書いた。今回も『あしたのジョー』に最大級の賛辞を送るような書き方になっているが、正直なところ『ジョー』より好きで思い入れのあるマンガはいっぱいある。しかし『あしたのジョー』は、ギリシャ神話、聖書、シェークスピアと肩を並べる「ストーリーの原型」であることは歴史的事実だ。

話を戻す。ではなぜ鳥山明は国民的マンガ家にまで成功したのか? それはひとえにアメコミを完全に日本人として咀 嚼したあの絵。ドラクエシリーズが大ヒットしたのも鳥山明が描くキャラがあってこそ。

もちろん僕は『ドラゴンボール』を全否定しているわけではない。11年間に及ぶ週刊誌連載は地獄の苦しみだったに違いない。考えながら走るしんどさに、金持ちになり、モチベーションを失った天才はソフトランディングするのが精いっぱいだった。「真っ白に燃え尽きた」鳥山明がジャンプで長期連載を始める日は永遠に訪れない。

現在もドラゴンボールはテレビアニメとして『GT』『改』『超』と、原作とは独立したキャラクターとストーリーが放映中だ。『ガンダム』や『スターウォーズ』同様、続編や前日譚(プリクエル)やリメイクやスピンオフといった神話の続きが今後も描かれていくだろう。名作にはならなかったけどキャラクターは残ることになりそうだ。

手厳しいものになってしまった。このテキストに異論反論したい人は多いだろう。鳥山明とイチローが落とした莫大な税金のおかげで有数のハコ物が建てられた愛知県人は特に。みんなそれぞれ自分の『ドラゴンボール』愛を語ればいいと思う。

 

あーでもとやかく書いたけど、今回20 年ぶりに全巻読み直してみたらやっぱり面白いんだよねえ。

文=樋口毅宏 イラスト=サカモトトシカズ
『散歩の達人』2019年11月号より

樋口毅宏
作家
1971年東京都豊島区雑司が谷生まれ。出版社に勤務したのち、取材で出会った白石一文氏の紹介により、2009年『さらば雑司ヶ谷』(新潮社)でデビュー。2020年3月には、雑誌「散歩の達人」の連載をまとめた『大江千里と渡辺美里って結婚するんだとばかり思ってた』を上梓。