2021年から連載が始まった漫画『ひらやすみ』。主人公・生田ヒロトのキャラクターの魅力はもとより、風景描写が緻密で街が眼前に立ち上がってくる。 その描写の源となる散歩術に迫るべく、作者の真造圭伍さんと阿佐ケ谷の街を歩いた。

真造圭伍 Shinzo Keigo

1987年、石川県生まれ。漫画家。代表作に『森山中教習所』『トーキョーエイリアンブラザーズ』『ぼくらのフンカ祭』など。
現在、「週刊ビッグコミックスピリッツ」にて『ひらやすみ』を連載中。6年ぶりとなる短編集『センチメンタル無反応』(小学館)も好評発売中。

『ひらやすみ』

生田ヒロト、29歳フリーター。近所に住むおばあちゃんから一戸建ての平屋を譲り受け、美大に入学したいとこのなつみと2人暮らしをしている。変わらないようで、少しずつ変わっていく日々を描く。小学館刊。各巻715円。

この日の出発は、『わいたこ いちばん店』。作品でも第1話冒頭に登場するたこ焼き店だ。真造さんが頼んだのは、塩とソースの2種盛り。迷いがない。
「今日はこの2つの味にすると決めてきました。めんたいマヨもおいしいです」。
オーダーのスムーズさに見入っていると、ふと真造さんが斜めがけしている鞄に目が留まる。主人公のヒロトと同じ鞄!にわかに作品が色づき、動き出した。

1巻第1話「ヒロトとなつみ」より ©小学館
1巻第1話「ヒロトとなつみ」より ©小学館

『わいたこ いちばん店』

定番のソースのほか、塩、ポン酢、めんたいマヨ、激辛ソースなどバリエーション豊富で、2種盛りもできる。6個450円〜。ビールなどアルコールの提供もあり、店内カウンターで立ち飲み利用もおすすめ。

●11:30〜21:30LO(日・祝は19:00LO)、無休。☎03-5356-7741

次に向かったのは『ぼてふりの四文屋』。12時からオープンしている店で、真造さんはここでもオーダーに迷いがない。
「気を使わない雰囲気で居心地がいいんです」。
作品内では重要な場面の舞台になっているが、この「気を使わない雰囲気」が物語の流れを後押ししている。

3巻第19話「真反対の男」より ©小学館
3巻第19話「真反対の男」より ©小学館

『ぼてふりの四文屋 阿佐ケ谷南口店』

おでん、刺し身などの海鮮、串煮込みをメインに、旬のものを提供。こぢんまりとした店だが、メニュー豊富でさまざまな楽しみ方ができ、外席もある。作品にも度々登場するが、真造さん自身も、よく訪れるという。

●12:00〜21:30LO、無休。☎03-5929-7370

いつもの散歩コースから物語が始まっていく

このように、『ひらやすみ』には阿佐ケ谷各地のスポットが登場する。見知った場所が思いがけなく絶景に見えたり、こんなところがあったのかと驚くこともある。ヒロトが働く釣り堀のモデルである『寿々木園』は、住宅地の中に突如現れる秘密基地のような場所だ。
「釣り堀を舞台にして描きたいと思っていました。連載前に何度かここに来たんですが、そのときは何も決まらなかったんです」。
どこか現世と隔絶しているようなこの場所は、一見のんびりしたキャラクターのヒロトにとても合っている。そして、実際に来てみると、バイト先はここしかないな、という気がしてくる。

『寿々木園』

大正12年(1923)創業の釣り堀。金魚と鯉を釣ることができる。かつては辺り一帯田んぼで川が流れていたが、現在はマンションに囲まれている。作品内では、主人公のヒロトが働いているところ。

●8:00〜日没、金・雨天休。1竿1時間650円。☎03-3398-0607

まだ作品には登場していないが、阿佐谷けやき公園は阿佐ケ谷の街を一望できる開放的なスポットだ。屋上で陽を遮(さえぎ)るものもないが、真造さんは目ざとく日陰を見つけては腰を下ろし、裸足になった。
「ここでは寝転がってほしいです。仰向けで青空を見ることなんて、あんまりないでしょう?」。
いつかこの場所を描きたいとのことなので、どんな場面になるのか楽しみだ。

『阿佐谷けやき公園』

2022年4月に新設した杉並区立阿佐谷地域区民センターの屋上フロア。中央部には芝生が植えられ、ベンチも多数。南半分はガラス張りになっていて、行き交う中央線の列車を見下ろすことができる。運が良ければ富士山が見えるかも。

●9:00〜21:00、第2火休。

「散歩をするときは、何も考えないようにしてます」

真造さんは、阿佐ケ谷の道を熟知している。細道をためらうことなく進んでいき、「ここには猫がいます」と地元ならではの情報を随所に差し挟んでいく。また、ときどき何でもなさそうな風景にカメラを向ける。
「散歩のときは、何かを探そうと思って歩いていると逆に見つからない。探さないほうが、いいものが見つかったりします。だから歩いているときは、何も考えないようにしてますね」。
ヒロトと、いとこのなつみが住む一軒家は、駅北口を出て、『古書コンコ堂』や阿佐谷1丁目歩道橋の先にあるという設定だ。2人の、ぎくしゃくしつつも信頼し合ったやりとりを思い浮かべながら周辺を歩くと、いつもの道がすこし劇的に感じてくる。

3巻第25話「U.F.O. 埋まってたりして」より ©小学館
3巻第25話「U.F.O. 埋まってたりして」より ©小学館

『古書コンコ堂』

阿佐ケ谷に店を構えて10年以上。文学、人文、歴史、デザイン、美術と幅広いジャンルの本が揃う。真造さんもよく立ち寄り、画集や漫画を買っているとのこと。作品内でも外観が描かれている。

●12:00〜20:00(土・日・祝は19:00まで)、火休。☎03-5356-7283

真造さんは、現在は高円寺在住。「もう少し自然があるところに暮らしたいです」。
真造さんは、現在は高円寺在住。「もう少し自然があるところに暮らしたいです」。

「季節によって、光って違いますよね。そういう移り変わりを描きたいんです」

実際に散歩をして、真造さんは阿佐ケ谷の街を歩き慣れている上に、街を見る観察眼が抜きん出ていることを実感させられた。それは、どのように作品に生かされているのか話を伺った。

――作品の中で、街の風景を描いている見開きがときどきあります。場所の情報だけでなく、音や光の具合、風の向きまで伝わってくるのですが、やはり見開きには思い入れが強いですか。

真造 そうですね。この漫画では、においがする感じや、そのときの空気が伝わるように描きたいという気持ちがあります。そのために、どうやって描けばいいのかということを、いつも考えていますね。

――たとえば、ヒロトとなつみが終電がなくなって青梅街道を歩くシーン(1巻P.72〜73参照)は、実際に歩いて描いたのでしょうか。

真造 むかし、酔っ払って終電がなくなった後に友達と歩いて帰ったことがありました。ちょうどこのシーンと同じように春で、まだ寒いんですけど、これから暖かくなるだろうな、という時季。21時くらいだとビルの明かりがまだあると思うんですが、深夜感を出すためにあえて周辺を暗くして、2人にだけ光が当たっているようにしたかったんです。

――ヒロトは作中で、「季節の変わり目が好き」と言っていますが、真造さんもお好きですか。

真造 そうですね。季節によって、光って違いますよね。9月だと西日が差してきますが、それは夏とは違うんですよ。そういう移り変わりを描きたいなと思って、光が当たる様子を観察したり、写真に撮ったりしてます。

道端にサボテンが生えたアルミ缶が並ぶ。真造さん「世話している人と話したことがあります」。
道端にサボテンが生えたアルミ缶が並ぶ。真造さん「世話している人と話したことがあります」。
「あ、キンモクセイの香りがしますね」と言って、木を見つけては顔を寄せる真造さん。
「あ、キンモクセイの香りがしますね」と言って、木を見つけては顔を寄せる真造さん。

――『ひらやすみ』誕生のきっかけとしては、阿佐ケ谷の街の風景か、登場人物か、一軒家の平屋か、どれが最初だったのでしょうか。

真造 この作品では、「キャラもの」を描きたいと思っていました。個人的に登場人物が生き生きとしている作品が好きなんですね。だから、自分がいいなと思うものを描きたかった。ヒロトは最初のネーム段階では、悩みもあって、自分はこのままでいいのかな、というタイプでした。でも担当の編集さんから、もうちょっと突き詰めたほうがいいんじゃないかと言われて、いまのようになったんです。

――ヒロトのキャラクターと阿佐ケ谷の風景描写が、とてもしっくりきて、穏やかな空気が流れていますね。

1巻第4話「くよくよキラキラ」より ©小学館
1巻第4話「くよくよキラキラ」より ©小学館

『阿佐谷北1丁目歩道橋』

中杉通り沿い、両側が寺院で緑が多い。ヒロトが大学をサボりがちだったなつみを誘って、「ココを頂点に道が下り坂になってんの。なんか開放的でよくない?」と語る場所。「阿佐ケ谷で、まだ誰もここを描いた人はいないだろうと思って描きたかった」と真造さん。

真造 連載を始める前、一時期入院していたんですが、そのときに入院していても読みたいと思うような漫画を描けたらいいなって思ったんです。ずっと入院していると、「外って素晴らしい」と思うんですよ。葉が揺らいでいるだけでも感動する。病院内には無機質なものしかないから、外に出られるだけでありがたいと感じました。

――ヒロトは、のんびりしているようで、どこかはかなげなところがあるように感じます。今後の展開が、まったく想像できません。

真造 今後は決めてないんですよ。ふつうの主人公は、なにか苦難があってそこから変わっていくのがセオリーですが、この作品は逆にしたかった。変わらないでほしい、という人がどうなっていくのか。いろいろまわりが変わっていく中、どうしていくのか、という話なんだと思います。

取材・文=屋敷直子 撮影=鈴木愛子
『散歩の達人』2022年11月号より