板橋区本町に「関東最恐」と言われている縁切りスポットがあるという話を聞きました。 その名も縁切榎(えんきりえのき)。 縁切りと言うとなんだか物騒な感じですが、飲酒などの悪癖を断つことや、悪縁を断ち切り良縁を繋ぐといった開運の意味で現在は人気の様子。 縁切榎は一体いつから関東最恐の縁切りスポットとして知られるようになったのでしょうか。 今回はその由来や歴史を探るため、実際にこの木のある場所を訪れてみることにしました。

縁切榎

縁切榎は、板橋区本町、中山道板橋宿にある榎です。

榎はニレ科の樹木で、街道の一里塚に植えられる樹木として決められたものだったといいます。

江戸時代のある頃から、この木の下を嫁入り行列が通ると必ず不縁になるという噂がまことしやかに囁かれるようになりました。

噂は拡大し、そこから縁切榎の縁切り信仰が誕生。

幕末の1861(文久元)年に皇女和宮が徳川家茂に嫁ぐ際にも、「縁起が悪い」とのことからこの木のある場所をわざわざ迂回したと伝えられています。

男女の悪縁を切ることや過度の飲酒などの悪癖を断ち切ること、やがては「悪縁を切り、良縁を結ぶ」ものとして信仰の対象となり、現在も多くの人が祈願に訪れています。

フィールドワーク①縁切榎を探して

まずは都営三田線の板橋本町駅からスタートしましょう。

この板橋宿は中山道六十九次で日本橋から数えると1番目の宿場であり、川越街道の起点となる場所でもあったといいます。

かつての板橋宿には旅籠屋や茶屋などが多く並び、活気あふれる宿場だったそう。

また、板橋宿には飯盛女(江戸時代に宿場で売春を行なっていた女性のこと)を置くことが認められていて、飯盛旅籠という専門店が軒を連ねていました。

現在は中山道の標識と首都高速5号池袋線が見えるのみ。宿場であった当時の面影はほとんど感じられません。

都営三田線の板橋本町駅A1出口から石神井川方面に歩いて左折すると、あっという間に交差点・縁切榎前に到着。

交差点のすぐ脇にあるのが縁切榎で、その目の前を通っているのが旧中山道です。

フィールドワーク②関東最恐の縁切り場所

縁切榎は思ったよりも敷地が小さいのが意外でした。

コンクリートの建物の間、そこだけぽっかりと緑が生い茂っていて、異空間のような不思議な空気が漂っています。

説明板には、皇女和宮が徳川家茂に嫁ぐ際にこの場所を避けて通ったこと、過度な飲酒などの悪癖や男女の悪縁を断ち切りたい時は、この榎の樹皮を煎じて飲むと効果があると言われていたことなどが書かれています。

縁切榎の小さい敷地の中に入ると、絵馬の自動販売機がありました。

縁切り祈願の際は絵馬を書いて納めるのが良いそう。絵馬を記入するスペースも取られています。

なお絵馬には願い事が誰かの目に触れないよう、書いたことを隠すためのプライベートシールも付いています。

訪れる人々の切実さをひしひしと感じるひととき。

社の傍には本当にたくさんの絵馬が納められていて、縁切榎を頼る人々の多さに改めて驚きました。

調査を終えて

ずっと「縁切り」という言葉に怖いもの・物騒なものというイメージがついていたのですが、縁切榎を訪れてみてそれが変わりました。

本来、縁切りというものは縁結びと一緒に行うものだそうです。

そして、縁切り祈願は誰かへ意識を向けるのではなく、自分自身が前向きな気持ちになれるように祈願するものであるとされています。

悪縁や悪癖を断ち切り、さっぱりとしたところで己により良い縁が巡ってくるように祈る。まるで心身のデトックスのようだと感じました。

「なんだかモヤモヤする」「どうしても前向きになることができない」「やめたいのにやめることができない自分が嫌だ」といった気持ちを持っている方がいたら、縁切榎を訪れてみるのもいいかもしれません。

取材・文・撮影=望月柚花

望月柚花
ライター・フォトグラファー
1993年生まれのライター兼フォトグラファー。高校中退から数年間のひきこもり、アルバイト、副業ライターを経て、2020年よりフリーランスライターとして活動。趣味は読書と散歩、深夜のラーメン。