GWは大阪へ行ってきた。甥の吹奏楽部の演奏会を観に行ったのだ。ホールの分厚い扉を開けて、階段状になっている座席を見渡す。ステージを覆う緞帳(どんちょう)ははじめて見る絵柄だが、見た瞬間に蘇る記憶があった。

札幌の教育文化会館の小ホールの緞帳は、馬の絵だった。

私は二度、教育文化会館の舞台に立っている。一度目は、中学の演劇部の舞台。夏休みに行われる大会・中文連で、私はクールな農夫を演じた。二度目は高校時代、劇団に所属していたとき。私は父を亡くしたばかりの女子高生の役で、舞台上で涙を流した。

私は中学・高校時代、演劇に打ち込んでいた。よく「打ち込めることがあっていいね」と言われたが、それは本当にそうで、何かに打ち込めるかどうかは自分では決められない。私は演劇に打ち込もうと決めて打ち込んだわけではなく、波にさらわれるように、気づいたら打ち込んでいた。それは、とても幸運なことだったと思う。

イキイキとした表情で演奏する高校生たちを眺めながら、私はあの頃の熱を思い出していた。

中学では演劇部に入った。小6の学習発表会(学芸会のことを北海道ではこう呼ぶ)で名前のある役をやって、演劇の面白さに目覚めたからだ。私がいた演劇部は部員が多く、顧問もオリジナル脚本を書くくらい熱心だった。

いい役をもらえることが多かったこともあり、部活は楽しかった。しかし私は2年生の終わりに不登校になってしまったため、演劇部の活動を全うすることができなかった。

その後しばらく演劇とは離れていたのだが、最初に入った高校を辞めてフリースクールに通い出した頃、フリースクールのOBのお兄さんがとある舞台のチケットをくれた。札幌で活動するアマチュア劇団の舞台のチケットだ。そのお兄さんも出演するという。私は、当時札幌にあった「ルネッサンス・マリアテアトロ」という小さな劇場(いまはもうない)に、その舞台を観に行った。

私はその舞台に感銘を受けた……というわけではない。その舞台はオリジナル作品ではなく、既存の戯曲を使用していた。私はその戯曲を読んでいたからストーリーを知っていたし、演出にも役者の演技にも、感激するようなことはなかった。

ただ、パンフレットに書かれていた「劇団員募集」の文字を見たとき、なぜかスッと「あ、入ろう」と思った。たぶん、再び演劇ができるならどこでもよかったのだと思う。

書かれていた電話番号に連絡して、稽古場を見学に行った。稽古場は、地下鉄東西線の西28丁目駅から少し歩いたところにある。西28丁目駅は札幌市児童相談所の最寄り駅で、不登校時代に何度か両親に連れてこられたことがあった。

稽古場は今にも朽ち果てそうなほどに古くてボロい、大きな物置小屋のような建物だった。建て付けの悪い引き戸をガラガラと開け、靴を脱いで入る。中はだだっ広いカーペット敷きの空間で、左の奥の床が10㎝ほど高い。そこが舞台なのだとわかった。煙草の匂いと、古い建物特有の匂いがした。

部屋の中央には会議室のような折りたたみテーブルと椅子が数脚置いてあり、数人の大人がいた。先日観に行った舞台で芝居をしていた人たちだ。なんだかみんなパッとしなくて、アンダーグラウンドな雰囲気があった。その日のことは、それ以上は覚えていない。

劇団の主催者であるMさんは長髪の男性で、たぶん当時60代だったと思う。それ以外は、20代〜40代の男女15名ほどが在籍していて、毎公演出演するコアメンバーは8人ほど(ちなみに、公演のチケットをくれた知り合いのお兄さんは私と入れ違いに退団した)。

公演は、既存の戯曲を使ってMさんが演出するときと、団員がオリジナルの脚本を書くときがある。ちゃんとした会場を借りて公演をすることもあれば、稽古場で公演をすることもあった。稽古場公演は、稽古場の床に座布団を敷き詰めてお客さんを入れた。

劇団の主催者はMさんだが、中心となって劇団を引っ張っているのは40代前半の男性であるT田さんと、30代前半の女性であるS子さんだった。彼らはオリジナル作品の作・演出もする。T田さんの作品はドタバタのコメディで、S子さんの作品はしっとりしたヒューマンドラマだ。その劇団は中心メンバーが30代・40代だからか、20代中心の他の劇団と比べると、地味で渋い雰囲気だった。

そんな中に、17歳の私が飛び込んでいった。S子さんは後に、私がはじめて見学に行った日のことについて、「玄関に厚底靴が置いてあってビックリした。入ったら女子高生がいたから、『うちはTEAM NACS(大泉洋が所属する北海道発の人気劇団)じゃないけど大丈夫?』って思ったよ」と笑っていた。

私は劇団に入ってはじめて、自分より一回り以上年上の人たちと一緒にものを作る経験をした。今思うと、子供だった私はずいぶんと礼儀知らずで非常識だったし、劇団の大人たちはいい距離感で見守ってくれたと思う。ただ、当時はそのありがたさに気づかなかった。劇団の大人たちのことは好きだし、演技の面では尊敬していた。しかし私は、心のどこかで彼らのことをなめていた。「若者である自分の感性が最先端でイケてて、劇団のおじさん・おばさんたちは流行に疎くてダサい」みたいな感覚があったのだ。だから、同世代の友達といるときほどには楽しくなかった。

それでも他の劇団に移らなかったのは、その劇団が作る芝居が好きだったからだ。特にMさんが演出する、オーソドックスで奇をてらわない演劇が好きだった。

私はその劇団でいくつかの公演を経験した。役が与えられず、音響係を担当したこともある。

その劇団はコンスタントに公演をしていて、ほぼ毎晩稽古があった。みんな仕事を終えてから集まるので、稽古が始まるのは夜の7時〜8時頃。公演前は終電で帰ることもざらだった。

劇団の人たちは、正社員として働いている人もいたし、アルバイトで生計を立てている人もいた。家庭を持っている人も、独身の人もいる。私は通信制高校に在籍しながらバイトをしていたためわりと時間に融通が利き、学業と劇団との両立ができた。全日制高校だったら、これだけの稽古をこなせなかったと思う。

劇団の人たちは、時間もエネルギーも、生活のほぼすべてを芝居に捧げていた。ここにいる人たちにとっての芝居を「趣味」という言葉で表すのは軽すぎる。私はこのときはじめて、家族と仕事以外のものに人生を捧げている大人に出会った。

私は演劇が好きだったが、演技が上手いわけではなかった。家でも自主的にセリフの練習をしたが、演じている自分の映像を見ると、イメージよりもずっと棒読みだ。今でもよく「あまり感情が表に出ないよね」と言われるのだが、生まれつき表情や声に感情が乗りにくいのか、感情を込めて演じているのに淡々として見えてしまう。特にテンションを上げなきゃいけない場面が苦手で、私はテンションを上げているつもりでも、上手く上がらずに空回ってしまうことが多かった。

また、声が通りにくいのも悩みだった。発声練習を頑張って腹式呼吸ができるようになっても、他の役者に比べると圧倒的に声量が足りない。生まれつき声が低いのもあって、かわいらしい女の子や子供の役は声が出しにくかった。

それでも人数が少ないおかげで、基本的には役を与えられた。新しい台本をもらうたびにじっくり読み込んで、「この場面ではどんな気持ちなんだろう」と役の感情を想像する。どの役の人物も、演じているうちにたまらなく好きになった。

数々の公演を経験したが、もっとも印象に残っているのは『煙が目にしみる』という舞台だ。他の公演はすべて稽古場で行ったが、この公演はイベントの参加作品で、教育文化会館の小ホールで行った。

火葬が終わるのを待つ2組の家族と2人の幽霊を描いた物語で、私はお父さんを亡くしたばかりの高校生・早紀を演じた。余談だが、私は後に小説を書いたとき、主人公の名前をこの役から取って「早季」にした。今のペンネームはその小説の主人公から取っているので、間接的にこの役からつけたことになる。

お父さん(幽霊)は早紀に話しかけるのだが、早紀はお父さんの姿が見えないし声も聞こえない。クールぶっていて生意気な早紀だが、クライマックスでは「お父さん、なんで死んじゃったの!」と感情を昂らせる。演じていると、お父さん役の人が本当の父親に思えてきて涙が出た。お父さん役の人が言う、「早紀、お前は俺の娘だ。かわいくてかわいくてたまらない」というセリフが好きだった。

そんなふうに私は高校時代を演劇に費やし、その後、東京の専門学校に進学するため退団した。退団するときは東京での新生活のことで頭がいっぱいで、劇団を離れることに対して、あまり寂しいとは思わなかった。

最近、「青春」をテーマにした本について書評を書く仕事があった。

それまで私は「自分には青春時代がなかった」と思っていた。全日制高校に通っていないため、同世代の仲間とわいわい過ごした体験がないからだ。全日制高校の友達から見せられるプリクラの中にこそ、私が手にしなかった「青春」があると思っていた。

しかしその本を読んで、青春にはさまざまな形があることに気づいた。同世代とわいわい過ごす時間以外も青春と呼べることに、今さら気づいたのだ。

高校生の私は、薄暗い稽古場で歳の離れた大人たちと夜な夜な芝居の稽古をしていた。どれだけ稽古に励んでも思うように演じられず悩んだし、自分の才能のなさに打ちひしがれたり、華のある役者や声が通る役者を妬んだりもした。芝居をすることで笑った回数よりも、悩んだ回数のほうが多いと思う。

それでも、今思うとあれが私の青春だった。

青春時代を過ごした劇団は、今はもうない。西28丁目の稽古場もないし、主催者のMさんも亡くなってしまった。

今度札幌に帰ったら、久しぶりに西28丁目に行ってみようと思う。厚底靴を履いたあの頃の私に会いに行くような気持ちで街を歩くのも、きっと面白いだろう。

文=吉玉サキ(@saki_yoshidama)

吉玉サキ
ライター・エッセイスト
札幌市出身。北アルプスの山小屋で10年間働いた後、2018年からライターに。著書に『山小屋ガールの癒やされない日々』(平凡社)、『方向音痴って、なおるんですか?』(交通新聞社)がある。山では迷ったことがないが、下界では方向音痴。