再び感染者数を増やしつつある新型コロナウイルスの影響で、夜の街で自由に酔っぱらうことができなくなり、そんな生活はもはや新しいスタンダードとなってしまった。そこで、せめて「家の近所で軽く一杯」くらいの喜びは日々のなかに残っていてほしい。そんな想いから続けてきた本連載の“ご近所”番外編シリーズ。 今までに何軒かの酒場を取材させてもらい、以前からぼんやりと感じていたことがもはや確信に変わった。それは、僕の地元である「石神井公園」という街には、言葉では説明できない不思議な“酒場磁力”のようなものが宿っているということ。 いや、きっとどんな街にも、興味と愛情を持ってその懐に入ってみれば、そういう何かはあるのだろう。しかしながら今回の取材中、店主たちの作りだすあまりにも心地よい空気のなかに浸って酒を飲んでいたら、自分の住む街に対するそんな想いがより強くなっていくのを感じざるをえなかったのだ。

石神井に生まれた新たな名店

今回の舞台は『兄兄酒場 BELL』。
今回の舞台は『兄兄酒場 BELL』。

今から約2年前、駅周辺のなかでもあまり目立たない通りの、雑居ビルの地下1階という立地に、ひっそりと新たな酒場が誕生した。

しかも店名が『兄兄酒場 BELL(にいにいさかば ベル)』。その下に看板の並ぶ『笑へい』や『はやかわ』といった店名なら、せめてジャンルくらいは頭に入ってくるけれど、「兄兄酒場」で「BELL」と言われても、失礼な話、何がなんだかわからない。僕は「どんな店なんだろ? こんど行ってみよ」くらいに考えつつ、しばらくは様子を見てしまっていた。

ところが、ここがまず石神井のおもしろいところ。この街は、店とそこに来る常連という縦のつながりに加え、店と店、酒飲みと酒飲みという横のつながり、ネットワークがものすごく強い。まるで全員の頭の辞書から「ライバル心」というものが欠落してしまっている感じというか。すぐにあちこちの店主や飲み友達から「BELL良かったよ」という話を聞くようになった。

それはつまり「間違いない」ということ。いきなりハードルを上げてしまったが、今回はそんなお店の魅力にできるかぎりせまってみたい。

店内は一見小洒落たバー風。
店内は一見小洒落たバー風。
こちらがBELLの主要メンバーのみなさん。
こちらがBELLの主要メンバーのみなさん。

写真左から、“兄兄(にいにい)”こと、店主の知花尚治さん。店長の米倉和輝さん。広報の鈴木芳美さん。

ちなみに、兄兄と芳美さんはご夫婦で、芳美さんが店頭に立つのは月に一度程度。普段は別の仕事をしつつ、BELLの広報活動や、メニュー表作りなども担当されている。

遊び心満載の店内。
遊び心満載の店内。
来るたびに変わる日替わりメニューは、常にそそられるラインナップだ。
来るたびに変わる日替わりメニューは、常にそそられるラインナップだ。

さて、とりあえず今日も、こんな時代でもひとまず生ビールは飲めるという確かな幸せを噛みしめさせてもらおう。

生ビール中ジョッキは380円とリーズナブル。
生ビール中ジョッキは380円とリーズナブル。

ゴクゴクゴク……プハーッ! 最高!

 

なんて言ってたら、頼んでおいた一品目がやってきた。

パンコントマテ580円。
パンコントマテ580円。

解説するとこちら、スペインのカタルーニャ地方の料理で、カタルーニャ語で「パ・アム・トゥマカット」。スペイン語で「パン・コン・トマテ」。元来はパンを美味しく食べるため、トマトの断面をパンにこすりつけて食べるものだったそうだが、巡り巡って石神井にまでたどり着いたパ・アム・トゥマカットは、ご覧のとおりのシズル感! BELLは常連たちを飽きさせないため、グランドメニューですらもけっこうな頻度で変わっていくそうだが、そのなかにあって不動の地位を誇る人気の一品だ。

大口でかぶりつくと、想像よりもパンがふわりと柔らかく、たっぷりのトマトのジューシーさと渾然一体となり、そこに炙った香ばしさや適度な塩気、オイルのコクが加わる。再びあわてて、ビールビール!

ちなみに兄兄、トマトが嫌いで味見はしてないんだそう。それでなんでこの味が出せるの!?

こちらは店長の和輝さん考案メニュー、春キャベツの天ぷら400円。
こちらは店長の和輝さん考案メニュー、春キャベツの天ぷら400円。

みずみずしい春キャベツの甘味が軽快な衣のなかでほっこりと蒸されており、ひと口ごとに全身の細胞が活発になるような美味しさ。

すでに幸せすぎる〜。
すでに幸せすぎる〜。

『兄兄酒場 BELL』ができるまで

このあたりでBELLの、そして兄兄の歴史について触れておこう。

兄兄は現在42歳で、沖縄県のちょうどまんなかあたりにある読谷村(よみたんそん)の出身。兄兄とは沖縄でいう「お兄さん」みたいなニュアンスで、それが由来だっというわけだ。父親は建築業をしており、中学生くらいになるともう工事現場での仕事を手伝わされ、将来は建築業に関わる仕事に就くことを期待されていた。

が、若者がそんな環境にずっといれば外の世界も見てみたくなる。兄兄は「もっと多くの人と関わるような仕事がしたい!」と、25歳で逃げるように沖縄を飛び出した。

兄兄がいた建築の現場は、自分たちの受け持ちの工程が終わると別の現場へのくり返しで、完成形を見るということがなかった。そこでずっと興味を持っていたのが、ひとりで完成形が形作れる料理の世界。とはいえどこにもつてはなく、つなぎの気持ちで愛知県の工場で働き始めた。

一見コワモテだけど底抜けの明るさで誰からも愛される兄兄。
一見コワモテだけど底抜けの明るさで誰からも愛される兄兄。

そんな生活を送るある日、「この先どうしよう……」と途方に暮れながら飲んでいた酒場で、偶然ある創作居酒屋の社長と出会い、拾ってもらえることになった。すごくいい店で仕事も楽しく、めきめきと頭角を現す兄兄。ついには店長にまで登りつめると、さらなる意欲が湧いてくる。「ここでずっと働くのも幸せだろう。だけど、もっといろいろな店を見てみたい!」。そこからはあちこちの飲食店で働き、きっちりと仕事を、そしてその店のやりかたを吸収していった。小さな店には必ずならではの良さがあるし、大手チェーンでは数字にも強くなった。

そんな兄兄が最後に行き着いたのは石神井の隣、大泉学園という街にある「東京ラフストーリー」という店。リーズナブルで若者でも入りやすく、某名作漫画/ドラマのタイトルと「ラフ」をもじった店名どおり、笑顔のあふれる名店で、居心地も良かった。ちなみに、奥様の芳美さんはもともとこの店の常連で、ふたりの出会いのきっかけにもなった。

が、そこに3年勤めて気づけばもう40歳。そろそろ人の下で働くのではなく、自分の店を持ちたい。そう考え、常連の取り合いになってしまっては申し訳ないからと、ひとつ隣のこの街にオープンさせたのが、『兄兄酒場 BELL』というわけだ。

懐かしき“密”っぷりのコラージュ写真。全員笑顔がまぶしい。
懐かしき“密”っぷりのコラージュ写真。全員笑顔がまぶしい。
「私はね、特にこの人に執着があって(笑)」と、オリジナルのポスターを飾られる常連さんも。
「私はね、特にこの人に執着があって(笑)」と、オリジナルのポスターを飾られる常連さんも。

兄兄いわく、BELLのモットーはお客さんを飽きさせないこと。常連さんが毎日でも来られるよう価格を抑えつつ、グランドメニューは月一で、日替わりメニューは頻繁に品を変えてゆく。あえてジャンルも作らない。バーのようにお酒だけでも、定食屋のように食事だけに使ってもらってもいい。魚介類も、地元の業者から仕入れたい気持ちもあったものの、客の「こんな魚食べてみたいんだけど」というリクエストになるべく応えられるよう、全国発送に対応している大きな業者から取っているのだそう。

そしてまた、若き店長の和輝さんが店に入った経緯もおもしろい。

ある日、芳美さんがひとり、とある店で飲んでいて偶然出会ったのが和輝さんだった。

和輝さんは当時、別の店で料理人をしていたが、職場環境や仕事内容に対していろいろと悩みを抱えていた。ちょうどその頃、兄兄は、自分がいないときに代わりを任せられるくらいの人を採用したいと探していた。そこで芳美さん、その場で「じゃあうちで働けば?」と、そのままBELLに飲みに誘い、それが本当になってしまった。

例えば先ほどの春キャベツの天ぷら、あれは和輝さん考案のメニューだから、兄兄にも作らせてもらえないのだとか。つまりはそのくらい信頼されているということで、芳美さんのインスピレーションは確かだったというわけだ。

和輝さんに「実際、BELLに入ってみてどうですか?」と聞くと、「すごく楽しいです! それに、とにかくノンストレス。いろんな意味で解放されました。これまで飲食店で働いてきたなかで、今がいちばん解放されてます(笑)」とのこと。本当にいい出会いだったんだなぁ。

なんて話をあれこれ聞き、来るたびにわくわく感と満足感を満たしてくれるBELLの魅力の秘密が少しだけわかったような気がした。

ホッピーセット(白)500円と、唐揚げおろポンみぞれ和え580円。
ホッピーセット(白)500円と、唐揚げおろポンみぞれ和え580円。

強めの下味とニンニク風味がガツンと効いた唐揚げだが、驚くべき肉の柔らかさとふんわりとした衣で食べやすい。結果、当然のように中身焼酎の濃いホッピーが進みすぎる。それにしても唐揚げのこの標高! 惜しみないにもほどがあるボリュームだ。

宮城県石巻産の金華〆サバ680円。
宮城県石巻産の金華〆サバ680円。

炙られてじわじわと脂したたる絶妙なシメ具合の肉厚なサバが、こんなにもたっぷり。お味はもはや……説明するほうが野暮ってもんでしょう。それよりも、これには絶対、お酒!

華鳩 純米吟醸中汲み(1合)550円
華鳩 純米吟醸中汲み(1合)550円

「八反錦」という米100%で作られた広島の地酒「華鳩」の「純米吟醸中汲み」。香りと旨味のバランスがとれたほっと安らぐ系の味わいで、シメサバの美味しさが引き立つ〜!

コロナが生んだ「居酒屋弁当」

BELLの営業時間は通常19時から翌朝5時まで。かつては深夜0時をピークに、常連たちが朝まで盛り上がるような店だった。ところがコロナの影響により、それならばと営業開始を12時スタートに。つまり、石神井でも珍しい本格的な昼飲みができるスタイルに変更し、2021年4月現在のオープン時間は16時。それを聞いただけでも、飲食店の混乱や苦労が伝わってくるというものだ。

 

そんなコロナ禍に関するエピソードで特に印象的だったのが「居酒屋弁当」に関するもの。

昨年、初めての緊急事態宣言以降、誰にとっても外で飲むことが日常ではなくなってしまった。もちろん常連たちもしばらくはがまんしていたけれど、特にひとり暮らしの人などは、毎日毎日コンビニの弁当ばかりだと当然飽きてくる。どうしてもBELLの味が恋しくなってくる。限られた営業時間に顔を出せればまだいいが、そうでない人も多い。そこで、常連たちに「電話で『いつの何時ごろに取りにいく』と言ってくれれば、食べたいもの作って用意しておくよ」と伝え、テイクアウトの要望に応えるようになり、これがとても喜ばれた。

 

そんな常連のなかのひとりに、知り合いに年配のご夫婦がいるという方がいた。話を聞けばコロナ禍で外出するのも控えており、とある会社のヘルシー志向の宅食サービスを使っていた。ところが、毎日毎日薄味の食事ばかりでなんだか味気ない。たまには味の濃いものが食べたいのだと聞いた。そこでその方は兄兄に相談。試しに店のおつまみを詰めたお弁当を作ってあげると、普段居酒屋で飲むという習慣すらなかったご夫婦なのに大変気に入り、なんと約2カ月、毎日注文してくれたのだそう。

兄兄は「なるべく飽きないように日々品を変えたり、こちらもいい勉強になりましたよ。たまにいたずら心で、あん肝を入れてみたり(笑)」なんて言っていたけど、大変な状況のなかで営業を続けながら、たった1組の夫婦のためだけに毎日お弁当を作り続けるなんて、もう、なんていい人!

現在も専用のメニューなどはないものの、とにかく「客の要望にはできる限り応えたい」がモットーの営業スタイルで、電話でもその場でも、テイクアウトしたいものがあれば相談に乗ってくれるのだそう。

となれば図々しいながらも、先ほどのエピソードに出てきたなおまかせ弁当的なものはお願いできないかな……と聞いてみたら、もちろん返事は「OK!」。帰りがけに値段を聞いたら600円だというのでその安さに驚き、家に帰って開けてみてさらに驚いた。

人気メニューがギュギュっと詰まった、BELL特製「おつまみ弁当」。
人気メニューがギュギュっと詰まった、BELL特製「おつまみ弁当」。

青森県産の「渓流サーモン(ニジマス)」の塩焼きや「鯨カツ」を中心に、一品一品しみじみとうまいおつまみがあれこれ。こんなのを作ってもらえちゃったら確かに、毎日でも食べたくなるよなぁ……。

店主からのメッセージ

「うちは地下にあるし、看板もスナックやバーに見えて入りづらいかもしれませんけど、安心してください。単なる居酒屋なんで。『BELL』っていう店名もね、『人と人が呼び合う』というようなイメージでつけたんです。うちのかみさんはよく常連さんに『私が鈴木だからBELLになった』なんて言ってるけど、違うから!(笑)

それとね、私がこのお店を始めていちばん嬉しかったのは、地元のお客さんはもちろん、個人店をやってる方たちからも認めてもらえたことなんです。2年前、よそ者がいきなりオープンして、まだどこにも挨拶にも行けていなかったのに、さっそく飲みに来てくれた人たちがたくさんいた。不思議に思って聞いてみたら、あちこちの飲み屋の人だった。視察なら一度でいいでしょ? ところが、その後もたびたび来てくれてね。そしてその人たちが自分のお店のお客さんにまで『あそこいいよ』なんて宣伝してくれた。それでなんとかやっていけるくらいまでお客がついたんです。この連載でも紹介されていた『加賀山』さんも『とおるちゃん』さんもそう。みんな『もし悪酔いして暴れたりする客がいたらすぐ連絡して。うちらが追っぱらってやるから!』なんて。すごく優しい人が多いんです。感謝ですよ。石神井は本当に素敵な街。

あ、そうだ。個人店の酒場に入るのがちょっとこわいって人は、まず石神井に飲みに来てみたらいいんじゃないかな(笑)」(知花尚治さん)

『兄兄酒場 BELL』店舗詳細

兄兄酒場 BELL(にいにいさかば ベル)
住所:東京都練馬区石神井町2-7/営業時間:19:00〜5:00/定休日:毎月22日/アクセス:西武鉄道池袋線石神井公園駅から徒歩3分

取材・文・撮影=パリッコ