追悼ブライアン・ウィルソン 朗らかで切ない、米音楽の神髄 唯一無二のメロディー紡ぐ

産経ニュース6/19(木)7:00

追悼ブライアン・ウィルソン 朗らかで切ない、米音楽の神髄 唯一無二のメロディー紡ぐ

来日してサイン会に出席したブライアン・ウィルソン=1999年7月、東京都内

20世紀は2人の音楽の天才を生んだ。ブライアン・ウィルソンは、その一人だった。米ロックバンド、ザ・ビーチ・ボーイズのリーダーで、作詞作曲を手掛けた。華やかさとは裏腹に苦悩の多い人生でもあったが、明るく親しみやすい中に悲しみと慈しみが潜む唯一無二のメロディーを紡ぎ続けた。

もう一人の天才は、ブライアンの2日前に生まれた。英ロックバンド、ザ・ビートルズの中心メンバーだったポール・マッカートニーだ。2人はともに1962年に本格デビューし、60年代を通じてしのぎを削った。

ビートルズのアルバム「ラバー・ソウル」(65年)の革新性に奮い起こされたブライアンがアルバム「ペット・サウンズ」(66年)を作って応えたという逸話は、しばしば語られるところだ。

「ペット・サウンズ」には、米音楽の伝統と革新が同居。ポップだが深遠で格調高いメロディーとサウンドに満ちあふれ、ブライアンの一つの到達点となった。

大西洋を挟んだ両者の競争が20世紀の音楽に革命をもたらし、今日に至るポップ音楽の礎を築いた。

家族ゆえの問題

ただ、ビートルズにはもう一人、音楽という枠を超えた天才、ジョン・レノンがいた。また、メンバー4人の音楽的なつながりが非常に強固で、向かうところ敵なしのバンドになった。

一方、ビーチ・ボーイズはブライアンを長兄とするウィルソン3兄弟、いとこらで結成された5人組だった。大瀧詠一や山下達郎らにも影響を与えた、複雑で美しいコーラスワークが要のサウンドは、声質が同じ兄弟だからこそなしえたともいえる。

だが、一時期マネジメントに関わった3兄弟の父親がブライアンにしばしば手を上げる〝毒親〟であったとされるなど、ビーチ・ボーイズは家族ゆえの複雑な問題を内包し、ブライアンを苦しめた。

ビーチ・ボーイズは「サーフィン・U.S.A.」など米西海岸の若者の風俗を明るく歌って世に出たが、一方でブライアンは「自分の部屋にいれば安心だ」(「イン・マイ・ルーム」)と自己の内奥を見つめながら歌った。

バンド内で孤軍奮闘したブライアンは、やがて精神をむしばまれ、長く表舞台から姿を消す。

だが、傷ついた魂を抱え、孤独や苦悩を歌にしたブライアンの姿は、その後、多様化するポップスターたちの先駆けであり、むしろブライアンの延長線上にこそ今のJポップもあるといえるのではないか。

彼のいない世界

90年代に復活を果たしたのには驚いた。作品発表や公演活動などに精力的に取り組み、カーニーとウェンディという2人の娘も歌手として成功し、父娘共演も果たした。60年代に幻についえたアルバム「スマイル」の完成形もコンサートで披露。帳尻を合わせるかのように、音楽家としても家庭人としても幸せをかみしめたのではないか。2022年までステージに立ち続けた。

米音楽の神髄を極め、朗らかで美しいが、果てしなく切ない。「神のみぞ知る」は、そんなブライアンの才能のすべてが詰まった一曲だろう。愛する人のいない世界への恐れが神がかった美しさで語られる。もう一人の天才、ポールは、SNSで次のようにブライアンを悼んだ。

「ブライアン・ウィルソンのいない世界をどう生きたらいいのか…神のみぞ知るだ」

(石井健) 

ブライアン・ウィルソンは11日死去、82歳。

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