【桜咲く蹴球女子②】人生2度のピンチ乗り越え指導者へ セレッソ大阪堺レディース 竹花監督

【桜咲く蹴球女子②】人生2度のピンチ乗り越え指導者へ セレッソ大阪堺レディース 竹花監督

 サッカー女子の国内1部にあたるプレナスなでしこリーグに今季、初昇格したセレッソ大阪堺レディース。竹花友也監督(43)インタビューの2回目はプロのサッカー選手から指導者に転身するきっかけを聞いた。(聞き手 吉原知也)

子どもの頃から夢はプロサッカー選手

 −−選手としては1992年にセレッソ大阪の前身であるヤンマーディーゼルサッカー部に入り、94年はJFL時代のセレッソ大阪でプレーしました

竹花 プロになるという目標は小学校の文集に書いていました。現役時代はFW。シュートはうまかったですけど、それ以外はたいしたことなかったですね(笑)。プロになると、森島寛晃(ひろあき)さん(元日本代表FW、現セレッソ大阪強化部長)がいて、もがいてもこれは無理やなと。西沢明訓(あきのり)(元日本代表FW)も入ってきて、これはあかんなと思いましたね。

 −−現役を引退した翌97年からセレッソ大阪の育成部門で指導者の道に入ったんですね

竹花 指導者は絶対無理や、と思っていました。現役引退して半年ぐらい遊んでいたんです。朝と夜が逆転するぐらいに遊んでいて、半年してお金もなくなって。そのときにセレッソ大阪OBの宮本功さんから電話がかかってきて、「ミナミでふらふらしているらしいな。ちょっと来い」と言われて。それで宮本さんからコーチをやれと言われたんです。そういうタイミングだったので、「やります」と答えました。

2005年からコーチに

 −−宮本さんは現在、J1セレッソ大阪の育成・普及施策を担い、セレッソ大阪堺レディースの運営も受け持つ「一般社団法人セレッソ大阪スポーツクラブ」の代表理事も務めていますね

竹花 宮本さんからの電話。そこからスタートしました。最初はサッカースクールのコーチでした。

 −−2005年から育成年代のチームの指導を任されるようになった

竹花 サッカースクールで土日はイベントなどで飛び回って、それが面白くて自分に合っているなと思っていました。育成コーチをするようになって自分のチームを持つことが楽しくなり、すぐにハマりました。

 −−2013年に男子の育成部門から女子チームの監督になったのはどういう経緯で

竹花 女子チームへの要請は2度ほど受けていたのですが、断っていました。実は、歩いていて車にひかれる交通事故に遭っていたんです。鼻を骨折して左足の靭帯(じんたい)が切れるなどのけがをして、入院することになりました。これはできへん、もしかしたら来年はないかな…と思っていました。そうしたら入院中に、宮本さんから電話がかかってきたのです。宮本さんから「来年は女子を見ろ」と言われました。

人生のピンチを救った恩師

 −−人生のピンチに、また宮本さんからの電話ですね。それで次のステージに行けるようになった

竹花 そのときは動けなかったので、「はい、わかりました」と答えました。やれるんや…という感じでした。

 −−退院して回復手術もしながら女子チームの指導に取り組み始めた

竹花 そうですね。手術は1年ごとにやっていました。(つづく 3回目は4月18日午前8時に掲載)

プロフィル

 竹花友也(たけはな・ともや) 昭和49年7月22日生まれ、大阪府出身。大阪産業大付属高校を卒業後、ヤンマーサッカー部やセレッソ大阪などでプレー。現役引退後はセレッソ大阪の育成部門の指導者として活動し、平成9年からセレッソ大阪サッカースクールのコーチ、その後はU−12(12歳以下)監督などを歴任して平成25年にセレッソ大阪堺レディースの監督に就任。家族は妻と2男2女。

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