【虎番疾風録(40)】東京六大学、恐るべし 第1章−完

【虎番疾風録(40)】東京六大学、恐るべし 第1章−完

 「ロッテ・山本一義(かずよし)監督」誕生を一番喜んだのは、広島商−法大と同級生だった平本先輩だった。

 「よこいち、頑張ってほしいな」

 −−よこいち? 誰のことです?

 「広商の野球部に入って、一義に付けたあだ名や。野球部にはもう一人、山本がおったから、スタメンには『山本一』と書く。だから“よこいち”や」

 昔から山本の話をすると、平本の声は弾んでいた。

 「あいつはオレと違って、高校の時から“超”が付く選手やった。3年生の夏の広島大会では、ことごとく敬遠された。監督が思案して『1番にすれば勝負してくるだろう』と準々決勝で打順を4番から1番にした。相手もいきなり敬遠もできんから初球にストライクを投げてきた。山本はその初球を場外ホームランしたんや」と、まるで自分の自慢話のようにドヤ顔で話す。

 3年生の秋、平本と山本は2人そろって法大野球部のセレクションを受けに、東京へ行った。初めて乗る電車。汽車と違って自動ドア。平本はある駅で降りて、「うーん」と伸びをした。とたん電車のドアが閉まった。

 「渉(わたる)(平本の名前)、ここから飛び込め!」。山本が開けてくれた窓にめがけて、頭からダイビング。試験に間に合ったという。

 1年生の春のリーグ戦から4年間、山本は8シーズンの全試合に出場した。平本はネームも背番号もないユニホームで4年間を全うした。「だから平本さんは、この世界で信頼されている」と安藤監督は言う。東京六大学野球の“横のつながり”は強い。虎番2年目〈殿のような記者に…〉思わず身体が震えた。

 第1章はここでおわり。第2章は入社2年目の新米記者がなぜ、「虎番」になれたか−をお話ししよう。

 その頃、スポーツ各紙の「虎番」は近鉄や南海、阪急など幾つもの球団を担当したベテラン記者が務めていた。当然、紙面も玄人好みの「野球記事」が主流。ところが、ある「事件」をきっかけに、スポーツ紙を取り巻く環境が劇的に変わったのだ。その事件とは、昭和53年11月に起こったあの「江川騒動」である。

 当時、大学4年生。入社を前にサンケイスポーツで学生アルバイトをしていた。仕事は「受稿」。今のように記者が、パソコンで原稿を打つのではなく、みな原稿用紙に書いた記事を現場から電話で読み上げる。本社でその記事を書き取るのが「受稿」である。

 まだ、ファクスもない時代。だから「江川騒動」の取材現場から送られてくるすべての記事を書きとった。なんという「幸運」。そして、入社1年目、記者の運命を変えた大相撲・朝汐(現高砂親方)の大きな「つぶやき」−。第2章はそんなお話である。(敬称略)

 第1章−完


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