(セ・リーグ、広島1−2阪神、12回戦、阪神6勝5敗1分、3日、マツダ)タテジマのユニホームに袖を通し、頂にたどり着いた。阪神・岡田監督(66)が巧みな采配でブルペン陣を操り、競り勝った。阪神の指揮官として藤本定義監督に並ぶ球団最多の514勝目を挙げた。

「そんなん関係ないやん、関係ないってもう」

〝個人記録〟についての質問に笑みを浮かべつつ、チーム一丸の勝利を強調した。2−1の八回に先発の大竹に代えて、ゲラを投入。2死一塁から代打・松山に対して桐敷にスイッチし、空振り三振に抑えて反撃ムードを断ち切ると、九回は岩崎が三者凡退で締めた。

「7月入って(23、24日の)オールスターまでの区切りやな、そこでどんだけ貯金積み重ねられるかやろな。だから連投になるけどな、なるべく(投手は)球数を少なく」と虎将。シーズンを戦い抜くための術を詰め込んだ継投がハマり、1点リードを守り切った。

歯に衣着せぬが、裏方への心配りを欠かさない温かさを持ち合わせている。だから慕われ、チーム内の絆が深まり、勝ち続けられる。今季も遠征中に球団スタッフと外食し、労をねぎらってきた。岡田流の義理堅さの〝範囲〟は甲子園や鳴尾浜のグラウンドを管理する阪神園芸にも及ぶ。

1994年、オリックスに選手として在籍していたとき、当時ほっともっとフィールド神戸のグラウンドも整備していた同社・金沢健児現スポーツ施設本部甲子園施設部長から結婚の報告を受け、祝電を出した。それから10年後の2004年。虎を率いるようになった指揮官はキャンプ打ち上げの食事会場でビールを口にしながら、金沢部長への祝電に記した夫人の名前を口にした。

「嫁さんの名前を10年後も覚えていただいていた。衝撃だった。会ったこともないのに。すごくうれしかった」と金沢部長は今でも感謝を忘れない。百戦錬磨の将は常に天気とグラウンドの状態を気に掛ける。阪神園芸も戦力だと思っているからこその気配りだった。

記念のウイニングボールは「そんなん誰も覚えてないやろ。いらんよ」と岡田監督は照れ笑い。4日にも球団単独トップとなる515勝目となるが、もちろん通過点だ。愛する虎を再びセ・リーグの頂点に導くため、先頭に立って戦い続ける。(新里公章)

■藤本定義という男 1904(明治37)年12月20日、愛媛県松山市生まれ。旧制松山商から早大に進み、投手として活躍。東京鉄道管理局では監督も務め、35年巨人軍創立時の監督に就任。9シーズンで7回優勝して第1期黄金時代を築く。戦後、大映、阪急などを経て61年に金田正泰監督に請われて阪神の投手コーチに。金田が途中休養して監督就任。62、64年にリーグ優勝。66年、若返りをテーマに野田誠三オーナーの意向で杉下茂が監督、藤本定義は総監督になったが、杉下の体質改善策にベテランが反発。8月に再び藤本が監督に復帰した。68年に監督退任。監督年数29年は史上最長。通算1657勝(歴代3位)1450敗93分け。日本野球選手会初代会長。74年に野球殿堂入り。