経営者にとって、従業員の雇用を守ることは大事な使命。言うは易く行うは難しのこの使命を、東日本大震災後の危機的状況の中でまっとうした人物がいる。岩手県陸前高田市の醸造会社、八木澤商店の河野通洋社長(43)だ。奇跡の復活の様子を追った。

 もはや奇跡と言うほかない。岩手県陸前高田市の八木澤商店が製造販売する「奇跡の醤(ひしお)」は、その名前の通り奇跡的に生まれたしょうゆである。同社は、1807年創業の老舗醸造会社。「ヤマセン醤油」のブランド名で、県外にも大勢のファンを抱えていた。

奇跡的に「もろみ」を発見
 2011年3月11日、東日本大震災による大津波は、八木澤商店の本社や工場、倉庫に貯蔵していた原料にいたるまですべてを流し去った。代々受け継いできたしょうゆの味を再現するには、蔵つき微生物(菌)を含む「もろみ」がどうしても必要になる。「うちが大切にしてきたしょうゆの味を次の世代に伝えるのはもう無理なのでは……」。当時専務だった河野通洋社長はうなだれた。
 ところが、である。震災発生から約1カ月後、そのもろみが見つかった。釜石市にある北里大学バイオテクノロジー釜石研究所にサンプルとしてたまたま預けていた震災前のもろみ4キロが無傷で発見されたのだ。
 「スーパーマーケットに並んでいるしょうゆを一通り買ってきてアミノ酸の数値分析をしたところ、うちのしょうゆが際立ってアミノ酸の種類が多かったといいます。これは150年使い込まれた気仙杉の木桶でしょうゆを仕込んでいることなどが関係しているからだと思われますが、いずれにせよそこから共同研究の話が持ち上がり、そのためのサンプルとしてもろみを研究所に預けていたんです」
 海の近くにあった研究所も津波の被害を受けた。コンクリート製の建物は流されずにすんだが、部屋の中にはたくさんのがれきが流れ込んでいた。それらのがれきをかき分けて、研究員の1人が密閉容器に入って奇跡的に波をかぶらずにいたもろみを見つけ出してくれた。
 その研究員がなぜそうした行動をとったかというと、地元テレビ局のニュース番組で八木澤商店の入社式が紹介されているのを偶然目にしたからだった。会社が壊滅的な被害を受けながらも、従業員を1人たりとも辞めさせないことを宣言し、さらには内定が決まっていた2人の新卒者までも約束通り採用する奇特な会社──そんな取り上げられ方だった。入社式の様子に加え、かろうじて残った杉樽の底にこびりついた蔵つき微生物を削り取ろうとしている河野社長の姿がテレビ画面に映し出されていた。これを見て、もろみのサンプルを預かっていることを思い出したのだ。
 「発見された4キロのもろみは、盛岡市の岩手県工業技術センターで培養してもらえることになりました」
 担当したのは、県工業技術センターと八木澤商店で09年に共同採用した若手スタッフだった。最初の1年半は工業技術センターで研修を積み、本来なら11年4月から八木澤商店に入社する予定だったが、県のほうでもう1年雇用を延長してくれることになった。
 その後、4キロのもろみを160キロに拡大培養したものを仕込み、厳しい夏を2度経過させたしょうゆが14年11月に完成した。それが「奇跡の醤」である。震災前の看板商品だった「生揚醤油(きあげしようゆ)」の味を再現した。岩手県産大豆・小麦を使用し、昔ながらの伝統製法にこだわっている点も一緒だ。
 「うちの奥さんが『奇跡の醤』で作った料理を初めて子どもたちに出したところ、『今日は生揚醤油で作ったんでしょ?』と聞いてきたそうです。八木澤商店ならではのしょうゆの味を途絶えさせずに済んでうれしかったですね」
 現在、「奇跡の醤」は東京都内の有名百貨店などで取り扱われているほか、英国やフランスなど海外にも輸出されている。インターネットでの販売もしており、合わせて年間約4万本が売れているという。

約7割の生産量を回復
 現在の八木澤商店の商品パンフレットには、しょうゆ以外にも、つゆ・たれ類、みそ等の商品が並ぶ。麺つゆ、ドレッシング、焼き肉のたれ、三升漬(さんしようづけ)など約30品目が掲載されている。
 みそについては震災前から、原料となる大豆や米を提供して県内外の複数の味噌蔵にOEMで生産委託していた。しかしそれ以外のしょうゆとその加工品の製造については、廃校になった一関市内の小学校に新設した自社工場でおこなっている。
 「しょうゆの生産量は震災前に比べておよそ7割回復しています。つゆ・たれ類については約6割ですね」
 壊滅的な被害を受けてからわずか5年でここまで生産量を回復できたのは、38名いた社員を1人も解雇することなく、雇用を維持してきたからといえる。それだけのマンパワーが社内にあるのだ。仮に未経験者をいちから採用していたとしたら、思うように生産量を増やせなかったかもしれない。
 「また、異業種の会社と連携して共同開発した商品の製造販売もスタートしています。たとえば『館ヶ森アーク牧場』(一関市)で人気のホワイトソーセージにみそや三升漬を練り込んだものや、半熟カステラにみそを加えたスイーツがあります。社員にはこれらの商品の販売にも力を入れてもらっています」
 実は震災直後、社員全員の雇用を維持することを前社長の河野和義氏(現会長、河野社長の実父)に進言し、それを会社の方針として認めてもらったのが河野社長だった。和義氏のほうでも、家族同然だった社員をすぐに解雇してしまうのは忍びないと考えていた。ただ「2人の内定者も約束通り入社させたい」という息子からの申し出については異を唱えた。これまで会社に貢献してくれた社員はともかく、内定者に関してはそこまでお人よしになる必要はないというのだ。しかし河野社長の「商売をするうえで一番大事なのは信用だ。だから俺は内定者との約束を守りたい」という言葉に心を動かされ、結局は入社を認めた。
 社長交代を従業員たちの前で正式に伝えたのは、11年4月1日。前月の給料を現金で支給するとともに、社員全員の雇用を維持することを9代目社長に就任した河野社長が高らかに宣言した。

ファンドで資金調達
 なぜこのタイミングで事業承継をしたかというと、それは河野社長の強い意向からだった。すでにほとんどの権限委譲が済んでいて、実質的に会社を切り盛りしていたのは、専務の役職にあった河野社長だった。とはいえ金融機関にお金を借りる際などは、最終的な決裁を会社の代表である父親に仰ぐ必要があった。
 「雇用を維持しながら営業を再開するには、スピード勝負なところがあります。社内にリーダーが2人もいたのでは即断即決とはいかないし、社員たちも混乱する。だとしたら、自分がこのタイミングで社長になるのがベストだと思ったんです。父に『自分に社長をやらせてほしい』と頼んだら、二つ返事で了承してくれました」
 会社の危機的状況を救うために、社長になることを直訴したといえば格好良く聞こえるが、心中は穏やかではなかった。多大な借金を背負い込まなければならなかったり、社員の生活を守らなければならないというプレッシャーから、自分の手が勝手に震え出すときもあった。「なさけねぇな、俺も怖くて震えるんだな」と心の中でつぶやいていた。
 とにかく社員の雇用を守るためには、商品の販売を再開してお金を稼ぐしかなかった。そこでまず始めたのは、しょうゆやたれ類のレシピを公開して、岩手、秋田、宮城、埼玉、新潟、千葉の親しい同業者8社にOEMで商品を作ってもらうことだった。これにより11年5月、一関市大東町の元縫製工場を営業拠点に、「ヤマセン」の屋号が入った商品の販売が再開された。さらに同年12月には、コンニャク製造を営む須藤食品(岩手県一関市花泉町)の工場の一画を借りて、つゆ・たれ類の製造をはじめた。
 そして12年10月、廃校になった一関市内の小学校に自社のしょうゆ工場を新たに建設した。
 「建設にあたっては、国や県の補助金のほかに、ミュージックセキュリティーズ社のクラウドファンディングで調達した資金を使いました」
 クラウドファンディングとは、インターネットを通じて一般の人たちから小口の投資を募る手法のこと。河野社長は、出資者が1口1万円(プラス手数料500円)を支払うと、5000円が出資金、5000円が寄付になる「セキュリテ被災地応援ファンド」を通じて最終的に9600万円(2回にわたり実施)を集めた。延べ約4000名(1回目1600名、2回目2400名)の人が、従業員を大切にする八木澤商店を応援したいと出資をしてくれた。

地域の企業と共同開発
 東日本大震災から5年経過したいま、陸前高田市の復興は少しずつ前に進んでいる。周囲の山を切り崩し、その土砂を用いてまち全体の「かさ上げ工事」を行っている。津波に強いまちへと生まれ変わろうとしているのだ。
 だが、まちの人口は震災前に比べて減少傾向にある。企業の6割が事業を再開したとはいえ、新たな働き口を見つけて市外に出ていってしまった人も少なくないのだ。
 そうしたなかで、河野社長は地元の雇用を創出するために、さまざまな活動を行っている。「なつかしい未来創造」というインキュベーションカンパニーの専務として、陸前高田市に拠点を置く起業家の育成に取り組んでいるのもそう。陸前高田市の新規創業率が、全国の市町村別で第5位にあるのは、河野社長たちの活動が実を結んだからだ。
 「魅力的なベンチャー企業が出てきてくれたおかげで、UターンやIターンで陸前高田に移住する20代の若い人たちが少しずつ増えています」
 また、〝陸前高田ブランド〟を前面に押し出した商品を地元の仲間と共同開発し、新たなビジネスに発展させることにも取り組んでいる。三陸に拠点を置く4社で立ち上げた「madehni(までーに)」という共同開発ブランドでは、「和だしできのこクリームスープ」や「短角牛の濃厚トマトスープ」など十数種類のスープを商品化。県外でのイベントやネット通販を中心に販売している。
 いずれの商品にも、斉吉商店(さんまの佃煮などを製造)、石渡商店(フカヒレ加工品の製造)、オノデラコーポレーション(水産物の輸出入業とコーヒーショップの経営)、そして八木澤商店の知恵と工夫が落とし込まれている。ちなみに「までーに」というのは、三陸の方言で「手間を惜しまず、ていねいに」という意味だ。
 「ほかにも、『砥意思(といし)』という共同開発ブランドも立ち上げています。『までーに』が海のメンバーで集まっているのに対し、こちらは山のメンバーで集まったグループです」
 昨年3月、河野社長は、テレビ東京系の人気経済番組「カンブリア宮殿」に出演した。ほかにもテレビや雑誌などで取材を受ける機会も多い。そうした取材を通じて、陸前高田市の会社の奮闘ぶりを多くの人たちに伝えていくことも自分の大事な役目だと考えている。
 そもそも東京のマスコミ各社が八木澤商店に注目するようになったのは、コピーライターの糸井重里氏が「ほぼ日刊イトイ新聞」で河野社長の取り組みを積極的に発信していたことが一つの要因となっている。糸井氏が八木澤商店に関心を持つようになったのも、もとはと言えば「従業員を1人も辞めさせない」という姿勢に共感したからだった。社員の雇用を守るという、「言うは易く行うは難し」の経営者としての使命を愚直にまっとうしようとする河野社長のもとには、たくさんの支持者が集まってくる。
 陸前高田市に観光客を呼び込むことも、河野社長の目標のひとつ。奇跡の一本松(高田松原跡地に立つ松の木のモニュメント)に通じる道路沿いで、トレーラーハウスを利用した軽飲食店を営業しているのは、陸前高田に来てくれた人に少しでもよい思い出を提供したいからでもある。
 ちなみにその軽飲食店の名物は、「しょうゆソフトクリーム」。意外な組み合わせに思われるかもしれないが、ほんのりとしたしょうゆの味がソフトクリームの甘さを引き立てて、実においしい。「要は、みたらし団子のイメージです」と、河野社長はほほ笑む。

COMPANY DATA
八木澤商店
創 業 1807(文化4)年
所在地 岩手県陸前高田市矢作町字諏訪41
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