大河ドラマで話題の幕末〜明治初期。その時期に起こったお城にまつわる出来事を紹介します。

鳥羽・伏見の戦いに敗れ、江戸に逃げ帰った15代将軍・徳川慶喜を追ってきた明治新政府軍。あわや江戸が戦場になるかと思われましたが、旧幕臣の勝海舟と新政府軍参謀の西郷隆盛によって江戸城無血開城が決定され、ギリギリのところで危機を回避します。

これと並行して、新政府軍は諸藩を従わせるための鎮撫使(ちんぶし)を各地に派遣しました。旧幕府か、新政府か。日本中がどちらにつくか揺れる中、越後の長岡藩は独自の中立路線を貫こうとします。

駅チカ? いいえ、駅そのものが城!
お城の見学に行くときは、どんな服装で行きますか? 履き慣れた靴に長袖長ズボン、それに帽子も…という「城攻めファッション」は、山城に向かうためのもの。普段着で気軽に行ける、駅を降りたらすぐ目の前の駅チカ城ももちろんあります。

特に合戦が法で禁じられた江戸時代以降は、軍事拠点の山城よりも、政庁や住居として使われる平城がメインになり、交通に便利な平野部に城が築かれるようになりました。この区割りは現代にも多く引き継がれているため、交通の要である駅の近くに城が建っているわけです。

さらには、駅そのものが本丸という城もいくつかあります。その中でも越後の長岡城(新潟県)は、江戸時代に築かれた城、。でも、本丸が駅なら、肝心の本丸の建物はどうなっているのか気になりますよね。

残念ながら長岡城は本丸だけでなくほとんどの建物が焼失してしまっていて、長岡駅はその城跡に建っています。そして長岡城が燃え落ちた原因こそ、幕末の戊辰戦争における北越戦争での戦火なのです。