全国のお城に伝わる伝説や奇譚を取り上げ、歴史をひもとく「城に眠る伝説と謎」。今夜は、伏見城の血天井。伏見城の床板はなぜ寺院の天井になったのか。忠臣の壮絶な最期に迫ります。

伏見城の血糊の床板が寺院の天井に!?
京都市東山区にある養源院。創建は文禄3年(1594)で、豊臣秀吉の側室・淀殿が、父である浅井長政の菩提を弔うために建てたものである。元和5年(1619)に火災で焼失するが、淀殿の妹である崇源院(江)により再建された。寺内には俵屋宗達の襖絵や、左甚五郎の鴬張りの廊下もあり、観光スポットとしても有名だ。

とくに興味をそそるのは、本堂の廊下にある〈血天井〉。その名の通り、血糊のついた天井板である。「寺院内で斬り合い!?」と思う人もいるだろうが、この天井板はかつて伏見城の床板だったもの。

「床板を天井板に?資材不足を廃材で補ったの!?」。いや、それも違う。この血天井には、武士の忠義にまつわる壮絶な物語が隠されており、養源院のほか、京都府内の複数の寺院に見られる。伏見城の血糊の床板が、寺院の天井に使われた理由とは…?