江戸幕府に内密に造られた「城」
8代藩主・久留島通嘉(みちひろ)は、陣屋の敷地にあった三島神社を大規模に修復します。すると幕府に内密のまま、まるで城郭のような造りに変えてしまいました。

御長坂(おながさか)と呼ばれる参道を上ると垂直に積み上げられた石垣が築かれるなど、まるで城のような造り。御長坂には大量の石垣が用いられています。

紅葉を愛でるための御茶屋「栖鳳楼」(せいほうろう)も造られました。神社参篭(御通夜)や、花見、月見の場として使われていたそうです。二階からの眺望は素晴らしく、玖珠の城下町や周囲の山々を一望でき、城の天守を模しているのではないかと考えられています。やはり城への未練が残っていたのでしょうか。

森藩は別府に鶴見村という飛地を有しており、三島神社の改修にかかる藩の財政を支えたのは、明礬(ミョウバン)だったと考えられています。明礬温泉は現在も別府の有名な温泉のひとつですが、当時から血止め薬などに用いられる明礬の全国屈指の生産地として、森藩は知られていました。