戦国時代、越後の歴史に名前を残した戦の一つ「御館の乱」。御館の乱は、上杉謙信の二人の養子・上杉景勝と上杉三郎景虎が、上杉謙信亡き後の後継者争いをした戦です。

戦に敗れた三郎景虎が自害した「鮫ヶ尾城」は、今や三郎景虎ファンが集まる聖地に!そして、ダイナミックな遺構が城好きを虜にしてます。発掘調査でわかったことや、春を彩るカタクリの鑑賞スポットなど、鮫ヶ尾城をさらに楽しむための情報をお届けします!

鮫ヶ尾城の歴史と整備

丘陵の先端部分、標高185mに位置する鮫ヶ尾城(新潟県妙高市)は、弥生時代後期の「斐太遺跡(ひだいせき)」や「観音平・天神堂古墳群」と共に史跡公園として整備された山城です。散策する際は、山登りが伴うので、スニーカーまたはトレッキングシューズを履いた歩きやすい服装をオススメします!

天正6年(1578)に越後を治めていた上杉謙信が亡くなり、家督争いの戦が勃発。長尾家から養子になった上杉景勝と、北条氏から養子になった上杉三郎景虎が争ったこの戦いを「御館の乱(おたてのらん)」と呼びます。戦の舞台となった鮫ヶ尾城は、三郎景虎が敗走し自害した城なのです。

城内には150mを越える大きな竪堀や、往時を偲ばせる土塁、曲輪などの遺構を見ることができます。