上空から見ると綺麗な星形を描く城の写真を見て、「ヨーロッパの城だ」と思う人もいるかもしれませんが、そのとおり、星形の城はヨーロッパで誕生しました。

それがなんで日本に築かれたのでしょうか? そしてなぜ星形なのでしょうか? 

星形の五稜郭が函館(箱館)に建てられた理由とは?
北海道を代表する観光地であり、金銀に彩られる夜景が有名な函館。2016年の北海道新幹線開通により、東京や関東・東北圏からのアクセスがぐんと良くなりました。

この函館を代表する観光地の一つが五稜郭! 実際に行ったことはなくても、上空から見た星形を描く城跡の写真を見れば、「あぁ、このことね」と気づくことでしょう。 

われわれがよく知っている日本の城(近世城郭)は基本的に四角形の組み合わせで成り立っていますが、それと比べると五稜郭のフォルムはあまりに異質。なんで、こんな星形の風変わりな城が日本に築かれることになったのでしょうか。

五稜郭が築城されたのは、慶応2年(1866)。この年はペリー来航から13年後で、江戸幕府が崩壊する2年前のこと。つまり、幕末もいよいよ差し迫ったときに造られたわけです。

江戸時代は基本的にお城の新築は禁止されていましたが、幕末になって西洋列強の艦隊が来航するようになり、幕府は国防のための城を築き始めました。江戸湾に築かれた品川台場や北海道の松前城も、幕末に築かれた海上防衛のための城(要塞)です。

それにしても、なぜ函館(当時の表記は「箱館」)だったのでしょうか。直接的な理由は、箱館が開港してこの地に奉行が置かれたためですが、その背景にはロシアの脅威がありました。

日本と領土を接するロシアは、じつはペリーよりもずっと早く日本へと来航し、虎視眈々と北海道(蝦夷地)や北方の島々を狙っていたのです。ロシアを牽制し、いざというときの防衛拠点にするための最前線基地が、五稜郭だったわけです。