【豆知識】御殿には「表」と「奥」が存在する

【豆知識】御殿には「表」と「奥」が存在する

現存例が少ないこともあり、天守の存在に隠れがちな御殿ですが、江戸時代の藩政において天守よりも遙かに重要な建物でした。今回は、この御殿の「表」と「裏」の役割などをご紹介します!

藩政の中心であった御殿
駿府城(静岡県)の天守台発掘や鳥取城(鳥取県)の擬宝珠橋完成など2018年も様々なお城ニュースがありましたが、それらの中でもお城ファンの注目を集めたのが6月に全体公開された名古屋城(愛知県)の本丸御殿。金銀極彩色の障壁画や彫刻の数々に圧倒された方も多いでしょう。

豪華絢爛な建築を持つ御殿ですが、その役割を説明できる人は多くはないのではないでしょうか。今回はそんな御殿の役割について解説していきます。

御殿の役割を一言で説明すると「政庁」と「城主の住居」です。現代でたとえるならば、都道府県の本庁舎と知事の公邸(あるいは公館)が合体した建物といったところでしょうか。

城内御殿は中世の山城には存在しない建物でした。武田家が躑躅ヶ崎館を政治の場として使い、緊急時は要害山城(いずれも山梨県)に籠もったように、中世は城と政庁が別々の場所に置かれるのが一般的でした。

織豊期になり大名の力が強くなってくると、石垣をめぐらせ豪奢な建造物を配した近世城郭が登場します。城はより広大な平地に築かれるようになり、政庁や城主の住居も御殿として城内に造られるようになったのです。

御殿は配置された場所によって本丸御殿、二の丸御殿、三の丸御殿などと呼ばれました。必ずしも本丸御殿が政庁となったわけではなく、地形の制約上本丸が狭くなる平山城などでは、広い二の丸や三の丸に御殿を築くことがありました。

築城当初は本丸御殿を政庁にした城でも、奥まった場所にある本丸が不便になったり、本丸を将軍の宿泊用に提供したりしたために政庁機能が二の丸や三の丸に移動した例が。

伊達政宗の居城として名高い仙台城(宮城県)は、戦国時代が終わって間もなかった築城当初は青葉山山頂の本丸に御殿が築かれましたが、江戸幕府が確立し太平の世となった息子の忠宗の代になると広く利便性のよい二の丸に御殿が移されています。

また、先ほど紹介した名古屋城の本丸御殿も元々は城主である尾張藩主の住まいでしたが、後に将軍の宿泊所となり、藩主は二の丸へと引っ越しをしています。

明治時代になると廃藩置県で藩が廃止されため、御殿は無用の長物となり、次々と取り壊されていきます。破却を免れた御殿も災害や戦争で多くが失われたため、現在は二条城二の丸御殿(京都府)、高知城本丸御殿(高知県)、川越城本丸御殿(埼玉県)、掛川城二の丸御殿(静岡県)の4例しか残っていません。

天守は12城に残っていますから、実は御殿は、天守以上に貴重な遺構なのです。


関連記事

城びとの他の記事もみる

中国/四国の主要なニュース

鳥取 アクセスランキング

ランキングの続きを見る

地域 新着ニュース

新着ニュース一覧へ

総合 アクセスランキング

ランキングの続きを見る

東京 新着ニュース

東京の新着ニュースをもっと見る

東京 コラム・街ネタ

東京のコラム・街ネタをもっと見る

特集

特集一覧を見る

地域選択

記事検索