【お城マニア向け】古代の人が造った城

一般的に城というと、中世山城や近世城郭が思い浮かびますが、実は古代にも濠で囲まれて防御を固めた“城”が存在していました。今回は、そんな古代の城・環濠集落について解説します!

古代のムラも濠で守られていた!
今回は、日本の城の起源といわれる、古代のムラにあった城のお話です。「古代人と城って何だかピンとこないけど…」と思う人も多いでしょう。という訳で、まずは城とは何か? をおさらい。──城とは、軍事的防御施設です。外敵から身を守るために工夫を凝らした、戦うための施設。つまり、争いごとのある社会でなければ発生しません。

ということで、大陸から稲作文化が伝えられて集住生活がはじまり、水や土地・食糧などの奪い合いから、ムラとムラの間で戦いが行われるようになった弥生時代に、「環濠集落」が登場するのです。この新しい集落の形が日本における城の起源とされますが、これは日本オリジナルではなく、稲作と一緒に大陸から伝わったもののようです。さてさて、古代の日本人が築いた城とは、一体どのような構造だったのでしょうか。

環濠集落の構造は字のごとく、集落の周りに濠(ほり)をめぐらせたもの。ちなみに、水堀と空堀で「濠」「壕」と漢字を使い分けることもありますが、一般的には「環濠」と書きます。大まかに、水田に近い平野では用水路と排水を兼ねた水堀、台地や高地では空堀となっていたようです。

当初の環濠集落は、堀で囲っただけのシンプルな構造だったでしょうが、次第に防御の工夫も凝らされていきます。土塁に柵を設置したり、物見や横矢用に一部を張り出させたり、朝日遺跡(愛知県)や大塚遺跡(神奈川県)に見られるように逆茂木でバリケードを作ったり。

これらを超えて侵入しようとする敵には、弓矢や石礫(いしつぶて)などで攻撃したのです。これらは中世城郭以降の日本の城と共通するものばかりですが、弥生時代の土塁の多くは環濠の外側に築かれたようで、これは後の城とは逆の構造。これは、土塁に柵を設置して壕との高低差を大きくし、壕内に侵入しにくくするためとみられています。


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