小諸駅を越えて東側の大手門へ

本丸と二ノ丸を見学した後は、小諸駅を挟んで東側にある三ノ丸と大手門を目指しましょう。大手門は小諸城の正門として、慶長期から元和期(1596〜1623年)に創建されたとされ、二重入母屋造りの楼門は強固な造りの1階に対し2階が居館形式となり、石垣と門が一体化していないなど、独特の特徴を備えています。

大手門の別名「四之門」が物語るように、三の門などとともに4つの門を本丸までの導線上に構え、守りを固めました。明治時代に民間に払い下げられた後、平成に入って小諸市に寄贈され、約5年におよぶ平成の大改修を経て、創建当時の姿がよみがえっています。

漫画「センゴク」の主人公となった小諸城主・仙石秀久

小諸城を近世城郭に改修した仙石秀久は、豊臣秀吉子飼いの武将として全国を転戦しました。「四国の雄」長宗我部(ちょうそかべ)氏と戦うため洲本城(兵庫県洲本市)を築城し、讃岐国を領有すると高松城(香川県高松市)や引田(ひけた)城(香川県東かがわ市)を整備しました。

天正14年(1586)、豊後国(ぶんごのくに。大分県)に侵入した島津軍と争った際には、大友・四国連合軍の軍艦を務めますが、戸次(へつぎ)川の戦いで大敗。さすがに秀吉の怒りを買い所領を没収され、高野山へと追放されてしまいます。

その後、天正18年(1590)の小田原攻めの際には、浪人の身でありながら豊臣軍に加わって奮戦し、功績によって小諸城主となります。秀久の死後は息子・仙石忠政が小諸藩主を引き継ぎ、後に上田城の城主となり、復興に着手します。

秀久の波乱万丈の人生は、漫画「センゴク」(講談社)の主人公として描かれており、城びと読者のなかにもファンの方がいらっしゃるのではないでしょうか。