戦国時代を彩った大名や武将の生涯と城との関わりを紹介する「逸話とゆかりの城で知る!戦国武将」。第9・10回は武田信玄の生涯を前後編で追います。前編は、出生から生涯のライバルと鎬を削った信濃攻略までの前半生を紹介します! 数々の逸話が残る第四次川中島の戦いの発端となった城とは——?

父を追放し武田家当主に
武田信玄。最強の騎馬軍団を率いて乱世を席巻した戦国大名。合戦においては巧みな采配で常勝を誇り、その強さはあの織田信長・徳川家康も恐れたほどです。1988年の大河ドラマ『武田信玄』では主人公に選ばれたほか、戦国時代が舞台のメディア作品には必ずといっていいほど登場します。

そんな信玄が生まれたのは大永元年(1521)の甲斐国(山梨県)。父は平安時代から続く名門の当主・武田信虎です。この年、信虎は駿河の今川家との戦いで劣勢に追い込まれており、正室・大井夫人は信玄を身ごもったまま詰城(緊急避難用の城)の要害山城(山梨県甲府市)に避難。夫人はその地で信玄を出産したと言います。合戦に明け暮れた生涯を暗示するような出生ですね。

最強騎馬隊を率いる英雄というイメージが強い信玄ですが、意外にも幼少期は和歌や詩を好む文学少年だったそう。また、思慮深い性格だったようで、こんな逸話が残っています。ある日、今川義元に嫁いだ姉から大量の貝殻が届きました。信玄はやって来た家臣に貝を見せ、「何枚あるか分かるか」と質問。家臣たちは2万枚、1万5000枚などと予想しますが、信玄は「答えは3700個だ。あなたたちは大軍を率いたことがないようだな。5000の兵を率いる将なら数を誤ることはない」と、家臣たちの合戦経験を見抜きました。これには家臣たちも驚き、信玄の器量に一目置いたと言います。