外部からこの“城”に入るには、「切通し(きりどおし)」を通る必要がありました。切通しとは山や丘の一部を掘削し、人工的に切り開いて通した道のこと。鎌倉の出入り口としては7つ切通しがあり、「鎌倉七口」と呼ばれてきました。朝夷(比)奈(あさひな)口・名越(なごえ)口・巨福呂坂(こぶくろざか)口・亀ヶ谷坂(かめがやつざか)口・化粧坂(けわいざか)口・大仏坂(だいぶつ)口・極楽寺(ごくらくじ)口の7ルートです。車道などのために開発されてしまった切通しも多いのですが、往時の姿を偲ぶことができる切通しを写真で紹介しましょう。
頼朝の父親である源義朝の館が鎌倉にあったこともわかっています。頼義以降、歴代の源氏棟梁が鎌倉の地を守っていたということでしょう。鎌倉入りを果たした頼朝は、自分が正統な源氏棟梁であることをアピールするため、真っ先に義朝の館跡を尋ねました。頼朝はここに自分の屋敷を建てようとしましたが、地形的にせまかったため断念したといいます。