このエピソードからもわかるとおり、頼朝が鎌倉に入った理由は、鎌倉が源氏にゆかりのある土地だったからです。鎌倉を本拠にすることで、源氏の正式な跡取りであることを関東の武士たちに示したかったのでしょう。鎌倉の地理的特徴については、その後都市づくりをしていく過程で、「おっ、鎌倉ってなかなか使える場所じゃん!」って気づいていったのだと思います。

最後に、最近では「鎌倉城」という名称について、専門家の人たちから疑問の声が挙がっています。「鎌倉城という呼び方は間違っているんじゃないの?」という投げかけです。

「鎌倉城」の名称は、同時代の貴族である九条兼実の日記『玉葉』に、「鎌倉城にいる源頼朝が木曽義仲追討のため出発した」と記述されていることにはじまります。時代は下り、現代の城郭研究や都市研究の中で鎌倉の城塞都市としての軍事面が強調されるようになり、九条兼実が用いた「鎌倉城」の言葉が援用されるようになりました。

ただし、九条兼実はあくまで京都にいた貴族であり、実際の鎌倉を訪れて「これは城だ」と感じて書いたわけではありません。この時代の「城」は戦国時代や江戸時代の「城」とは異なり、街道を臨時的に封鎖した防御施設のような、軍事的に用いられた空間も「城」と言い表していました。「城」の意味するところが現在よりもずっと広範だったんです。だから九条兼実も鎌倉の防御性や地理的特徴などの情報を持たないまま、「武士の本拠地だから“城”って付けてみたけど、何か?」程度の意識だった可能性が高いわけです。