評論家・岡田斗司夫がスタジオジブリによる長編監督作全10作品を時系列で読み解くことで、宮崎駿が語ってきたこと、愛したものを分析している著書『誰も知らないジブリアニメの世界』 (SB新書)。今回は『崖の上のポニョ』を解説した章から一部抜粋・再構成してお届けする。

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#3(2023年6月3日(土)14時公開予定)


海なる母たるグランマンマーレはアンコウだった


ポニョの母であり、フジモトの妻である、海なる母たるグランマンマーレの描写なんて、宮崎駿が好き放題自分の描きたいものを詰め込んだ、最たる例だと思います。実は宮崎駿が正体を明かしています。公開当時の雑誌で語っていたその答えは、現在は『続・風の帰る場所』というインタビュー集で確認できます。


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異種婚礼っていうのは日本には数々あるからね。あのお母さんだって本当は巨大なアンコウなんだとかね。そういうことは、スタッフの中で話してたんですよ。でも差し渡し1キロのアンコウが出てきても画面の中にどう入れていいかわかんないから(笑)、ちゃんと人間の姿を取ることもできて、その代わり大きさは自由自在っていう。要するに孫悟空の世界ですね。孫悟空の中に、天界にいた金魚が3日間ほど地上に逃げて、化けものになって暴れるっていう話があるんですよ。それが地上では3年間だったとか。最後は観音様だったかに連れていかれちゃうんですけど(笑)。
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※宮崎駿『続・風の帰る場所』ロッキング・オン


まさにグランマンマーレは観音様であるわけです。もっとも、最終的にはポニョを人間にして陸に残すことに決めるのですが......。

それよりもっとおもしろい証言として、グランマンマーレの正体はアンコウだと言っています。異種婚礼というのは、違う生き物同士が結婚することで、確かにそういった話は日本には多くあります。一番有名なのは『鶴女房』ですかね。昔話として今よく知られている鶴の恩返しはおじいさん、おばあさんと鶴の物語ですが、そうではなくて若い男と鶴が結婚するバージョンの鶴の恩返しがあるのです。



アンコウと人間の異種婚礼という宮崎駿のマニアック


ポニョも異種婚礼によって生まれた子であり、父が人間のフジモト、母の正体はアンコウというわけです。グランマンマーレを母なる海としてしか認識していないと、なぜポニョが「さかなの子」として生まれているのか不思議ですが、アンコウなら確かに一応魚の血が入っているということになります。

それでもアンコウとポニョでは、同じ魚でも全然イメージが違いますが......。ポニョが金魚の見た目をしているのは、孫悟空の元ネタからの影響でしょうか。

ともあれ、グランマンマーレの正体はアンコウということで決着です。光り輝くアンコウ。さながらチョウチンアンコウといったところでしょうか。

アンコウと人間の異種婚礼なんて、宮崎駿もかなりマニアックですね。ただこの設定、実にうまくできています。たとえば、アンコウはメスが巨大で、オスは本当に小柄。メスの数十分の一といったところでしょうか。グランマンマーレとフジモトのサイズ感の極端な違いに合っています。


フジモトの正体は『海底二万里』ノーチラス号の生き残り


ところでアンコウの生殖方法はかなり独特で、性的寄生と呼ばれています。

まず小柄なオスがメスに嚙みつきます。そしてこれが寄生と呼ばれる所以なのですが、そのままオスの全身はメスの体に埋め込まれていき、やがて目もヒレもほとんどの内臓が退化してなくなります。精子放出に特化したメスの臓器になると言えば、わかりやすいでしょうか。メスに完全に吸収されてしまうわけですね。

メスはこうやって生涯に何度もオスを吸収していきます。どうでしょう、かなり恐ろしい話ではないでしょうか。フジモトのもとに定住しないグランマンマーレですが、お得意の光でオスを誘導して吸収してまわっている普段の日々が想像されます。

ではなぜ、フジモトは吸収されないで済んでいるのでしょうか。

グランマンマーレがアンコウというように、フジモトにも出自が設定されています。フジモトは、ジュール・ヴェルヌのSF小説『海底二万里』に出てくる潜水艦ノーチラス号の生き残りです。



他の夫たちはどうなった…もう死んだのか、吸収されたのか


この設定は劇中でも暗示されていて、フジモトが生命の水を抽出しているシーンで、一番古い壺に「1871」と年号が刻まれています。ワインのように生産年を記録しているわけですが、1871年というのは、1869年から1870年にかけて連載された『海底二万里』の単行本が初めて刊行された年です。

『海底二万里』は同時代を舞台にしているので、『海底二万里』の物語のあとにグランマンマーレのもとで働き始めたということは、1871年が最初の仕事だということで辻褄が合います。

フジモトは1871年から現在まで、生命の水を精製して管理する仕事をしてきました。フジモトは、生殖以外の方法でグランマンマーレの役に立ってきた。だからこそ、ほかの夫のように同化吸収されずに生き残ってきた。そう考えるのはいかがでしょうか。

グランマンマーレにはフジモトのほかにもたくさんの夫がいるはずですが、海のなかでせっせと生命の水を作っているフジモト以外にまったく気配が見えないのはなぜかというと、おそらくほかの夫はもう死んでしまったか、あるいはせっかくアンコウにわざわざ設定しているのですから、すでにグランマンマーレに同化してしまったと考えるのが適切だと思います。


グランマンマーレの足元が隠された理由


多分、フジモトも歳を取ってこういう作業ができなくなってしまったら、グランマンマーレに同化してしまうのではないでしょうか。『エヴァ』の人類補完計画のような結末でしょうか。その時にフジモト自身がそれを嫌がるのか喜ぶのか、あるいは怖がるのか。この世界観のなかではちょっとわかりません。案外、喜ぶのかもしれませんね。

物語の最後、グランマンマーレが陸に上がります。ポニョと宗助の今後をどうするか、リサと立ち話で話し合っているシーンです。

『ポニョ』を見返す機会のある方はぜひ、グランマンマーレの足元に注目してください。どのカットでも、グランマンマーレの足元は手前の花に隠されています。1カットだけでなく、どのカットでもそのようにしているので、これは意図的なレイアウトです。

これには、いくつかの説明がつきます。
まず単純に、グランマンマーレの足元をうまく描けなかったという説。海の象徴なので人魚のしっぽにするべきか、あるいは幽霊のように足を描かずにフェードアウトさせるか、いっそ素直に人間と同じような足を描くか。どれもしっくりこないので隠して逃げたという説明がひとつ目です。



陸に上がって見えている人間の姿はチョウチンの先


ふたつ目。観音様の蓮の花よろしく、神々しさの演出。
最後が一番おもしろい説で僕がぜひ提唱したいのですが、花で見えなくなっている裏に、実は触手が隠されているのではというものです。

グランマンマーレはチョウチンアンコウですし、海の象徴でもあります。映画『パイレーツ・オブ・カリビアン』に登場するデイヴィ・ジョーンズと同じように、陸に上がれないのではないでしょうか。

陸に上がれないはずのグランマンマーレがではどうやって陸に上がっているかというと、実は陸に上がってないのです。陸に上がって見えている人間の姿をチョウチンの先で、触手が伸びて本体はまだ海のなか、という解釈です。この解釈ならグランマンマーレの設定が生きますし、宮崎駿ならそんな荒唐無稽な発想もありえる気がします。


リサと話し合って決めたポニョの処遇


さて、グランマンマーレの足のゆくえはともかく、このシーンでリサと話し合うことでポニョの処遇は決まります。グランマンマーレはポニョと宗助の相思相愛を確認すると、ポニョを人間にする魔法をかけます。宗助がキスしたポニョは人間の女の子に姿を変えて、おしまい。これを果たして子ども向けアニメのハッピーエンドと呼んでいいのでしょうか。

僕は世間に大人気のウェルメイドな宮崎作品の裏には、隠された怖い世界・設定があることをいつも解説していますが、『ポニョ』の場合はグランマンマーレの正体よりも何よりもこのラストが怖いです。

またもや『続・風の帰る場所』から宮崎駿の言葉を引用します。


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女ですよ、ポニョは。で、宗助は男です。男の悲哀を十分背負ってこれから生きていくんですよ(笑)。ポニョはますます女になるんですけど。
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※宮崎駿『続・風の帰る場所』ロッキング・オン


『ポニョ』には、宮崎駿の女性観があらわれている


男を食うグランマンマーレだけが強くて怖くて美しいのではなくて、リサもポニョも、女はすべて強くて怖くて美しい。それが『ポニョ』のテーマです。いわば『ポニョ』には、宮崎駿の女性観があらわれているのです。

先ほどから取り上げている、リサとグランマンマーレが話しているシーン。このシーンの会話内容は、一切、観客に知らされません。遠くで話している描写があるだけでセリフも何も聞こえない。あまりに不自然なシーンです。

内容を教える気がないのだったら、いっそ話し合っているシーンごとカットすればいいのです。そのほうが無駄がありません。アニメは実写と違い、とりあえず撮っておくということができないので、このシーンをそもそも作らないほうがいいのです。ところがこのシーンは、コンテの時点からかなり長い秒数を指定されています。



怖すぎる理不尽なラスト…ポニョのストーカーまがいの恋


つまり、「何を話しているんだろう?」と、観客に想像してほしいということです。教えないけれど想像して、察してほしい。リサとグランマンマーレが何か内緒話をしている、という雰囲気だけは伝えたい。大事なことは知らせてもらえない、という実感を味わってほしい。

宗助の未来は、リサとグランマンマーレの話し合いと、ポニョのストーカーまがいの愛によって一方的に決められてしまいます。宗助はポニョを守ると約束しましたが、あの場面で断れるはずもありません。女性3人に誘導されて、しかも町の運命もかかっているのですから。

大切なことは、女性が決める。男は頭が上がらない。それが男の悲哀。グランマンマーレには逆らえず、ポニョには振り回され、目にクマを作って疲れを感じさせるフジモトは、そのまま宗助の未来の姿です。

そんなハッピーエンドとは言いがたい煮え切らないラストでありながら、何やら楽しげな主題歌でお茶を濁す。その幕引きの仕方こそが、『ポニョ』のなかでもっとも恐ろしいことかもしれません。




#1「〈ジブリアニメ大解剖〉『ハウルの動く城』主人公ソフィーはなぜ唐突に年老いたり若返ったりしたのか…」はこちらから

#3「〈ジブリアニメ大解剖〉ジブリ名作『風立ちぬ』「自分の映画で初めて泣いた」という宮崎駿=堀越二郎の真相とは」(2023年6月3日(土)14時公開予定)


『誰も知らないジブリアニメの世界』(SB新書)

岡田斗司夫

2023/4/6

990円
232ページ

ISBN: 978-4815617776

オタキングが読み解く宮崎駿のジブリ作品

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ジブリでの長編監督作全10作品を時系列で読み解くことで、 宮崎駿が語ってきたこと、愛したもの、またその変化と成長を分析。

各作品ともにテーマを設けて岡田斗司夫が徹底解説します。


はじめに 宮崎駿は何を描いてきたのか
第1章 宮崎駿の鋭すぎる技術論――『風の谷のナウシカ』
第2章 SFアニメはどうあるべきか?――『天空の城ラピュタ』
第3章 手塚治虫の光と影――『となりのトトロ』
第4章 「才能」とはどういうものか?――『魔女の宅急便』
第5章 飛行機オタクの大暴走――『紅の豚』
第6章 始まりは、1954年――『もののけ姫』
第7章 スタジオジブリと銀河鉄道――『千と千尋の神隠し』
第8章 戦争は続くよどこまでも――『ハウルの動く城』
第9章 グランマンマーレの正体――『崖の上のポニョ』
第10章 「堀越二郎=宮崎駿」は本当か?――『風立ちぬ』
終章 進化する宮崎駿