5月31日、北朝鮮が弾道ミサイルとみられるものを発射し、政府は沖縄県を対象にJアラートを発出した。宮古島市の航空自衛隊の宮古島分屯基地の中には、迎撃用のPAC3が配備されており、今後も緊迫した状況が続きそうだ。宮古島分屯基地といえば4月に陸自ヘリの墜落事故が起きたばかりだ。今、現地で何が起きているのか?

石垣島に自衛隊のミサイルが配備され半月が経たない4月6日、宮古島の航空自衛隊分駐屯地を離陸した陸上自衛隊ヘリUH-60JAが、宮古島と伊良部島の間の海上で消息を絶った。行方不明者は10名。3月に着任したばかりの陸上自衛隊第8師団のトップである坂本雄一陸将や、宮古島駐屯地の司令である伊與田雅一1等陸佐など陸上自衛隊の幹部が搭乗していたことや、同日に中国海軍の艦艇が宮古島と沖縄島の間を航行したことなどから、ネット上には様々な真偽不明の投稿が並んだ。憶測が憶測を呼び、事故原因も判明しないなか、筆者は現場、宮古島へ向かった。


池間島から捜索を続ける自衛隊員、4月18日


到着したのは下地島空港だった。この島は2015年に宮古島と伊良部島間に伊良部大橋が開通したことにより、隣接する伊良部島を介して宮古島まで自動車で20分ほどでいける場所となった。到着するといきなり米軍F16戦闘機2機に滑走路で出迎えられた。この2機が陸自ヘリ事故の翌日、この下地島空港に緊急着陸したことも不穏な憶測を呼んでいた。


4月14日、下地島空港に駐機する米軍機F16。メンテナンスのための米軍ヘリも飛来した


私は自衛隊ヘリの捜索が行われている伊良部島、佐良浜港に宿をとった。

自衛隊ヘリが消息を絶ったのは、この伊良部島と宮古島の間の海域だ。取材を開始するとすぐにこの佐良浜港からほど近い「サバウツガー」という古い井戸がある海岸で漂流物が見つかったと地元の人の情報があり、駆けつける。そこでは、ちょうど地元警察が自衛隊ヘリの「発煙筒らしきもの」を運んでいた。地元警察はこちらの目にナーバスになっているようで、漂流物は隠すように回収されていった。

図版作成/海野智


4月14日、サバウツガー付近で回収された漂流物


伊良部島の佐良浜集落は、すれ違う人すべてに挨拶するような牧歌的な集落だった。その姿は、駐屯地ができる前のかつての与那国を思わせた。夜9時を過ぎると歩くのもままならないほど真っ暗になり、そのなかを蛍だけが静かに飛び回っている。

地元の老人に話を聞くと「(行方不明者が)早く見つかってほしい。中国の船も一緒に探してくれたらいいのに」と、ネット上の喧騒とはほど遠い、やさしい言葉が返ってくる。また別の住民から「消息を絶った日は晴れていたが、翌日から2日間、悪天候で地元の漁船も捜索に参加できなかった。このあたりの海には鮫も多いから心配だ……」という話も聞いた。素人目には、遠くまで透き通る海に見えるが、ひとたび荒れると漁師でさえも太刀打ちできない強い自然が広がっている。

地元のある男性は「事故の原因はニングヮチカジマーイではないか」と語った。ニングヮチカジマーイとは、漢字では「二月風回り」と書く。旧暦の2月頃(現在の3月から4月にかけて)突如として、突風が吹く現象で、地元の漁師たちも恐れているそうだ。

事故から1週間が経過した13日、陸自ヘリが沈んでいる地点が発見され、翌14日には乗組員と見られる5名も沈んだ機体と共に海中で確認、飽和潜水による引き上げが始まった。

伊良部島から宮古島を見渡せるある廃墟には、自衛官たちが陣取って捜索を続けていた。地元の方が「この場所の使用許可を取ったのですか?」と質問すると、「広報を通してください」と答えるだけだった。彼らからは疲れ切った雰囲気と緊張感が漂っていた。島のいたるところで自衛隊員たちを見かけるが、話しかけるとおどおどする様子が気になった。人命救助活動をしているのだから胸を張れば良いと思うのだが、その対応に不自然さが漂っていた。捜索活動に関して私有地に無断で入り、揉め事になったという話も後に聞いた。

伊良部島、三角点。自衛隊機が消息を絶った海域が見渡せる


伊良部島の廃墟から捜索を続ける自衛官たち。戦地のような光景だった


伊良部島は自衛隊車両だらけと言って良い状態だった


ネット上で巻き起こった他国の攻撃説について


事故当初、ネット上を賑わせたのは他国からの攻撃説だった。この説は防衛省が公式に否定している。ミサイルやドローンなどの外部からの攻撃の場合、爆発音がするはずだが、その爆発音を聞いた者がいないことが大きな根拠だ。また、2019年に宮古島駐屯地に配備された第7高射特科群は、中距離地対空誘導弾を使用し、他国の艦船からのミサイルを迎撃する部隊であるため、攻撃があった場合、この部隊がいち早く察知するであろう。

事故直後から、宮古島−沖縄島間の中国艦船の通過とこの事故を結びつけるような報道があったが、公海を通過しただけの違法性のない行為を違法かのように、危機を煽るメディアには不信感を覚えた。

個人的な現場での体験を合わせると、捜索現場で自衛官が白い歯を見せて笑うことがあったり、夜の繁華街で私服の自衛官たちが焼肉を食べながら談笑する場面にも遭遇した。仮に他国からの攻撃を組織的に隠蔽しているとしても、そんな非常時に自衛官たちが焼肉を焼きながら乾杯するとは思えない。もちろん、九州以南のトップと宮古島駐屯地のトップが同時に事故で亡くなり、依然事故原因も判明せず行方不明者がいる状態で焼肉を焼く自衛官たちにはいささかの違和感があるが、現実とは案外そんなものなのかもしれない。

捜索を続ける自衛官たち。池間島


元自衛官に今回の事故の話を聞いた。事故原因については、「例えば鳥がヘリの尾翼にぶつかるだけで墜落の恐れはある」と話す。また、現場で笑顔を見せる自衛官の存在については、「普段の駐屯地施設内の作業から解放された安堵感あるのではないか。一概に自衛官と言っても立場や所属部隊によって、教育内容や意識は全く異なる。現在の自衛隊内部の構造では、国防を担っているという自覚のない、ただ上司の命令を聞いているだけの者も多い実状がある」と分析する。さらに「自衛隊幹部でなければこんなに大規模な捜索にはならなかったでしょうね」とも寂しげに語った。

島にリゾートバイトとして訪れ半年になる飲食店アルバイトの20代女性は、「自衛官のお客さんも多く、駐屯地開設4周年のお祭りに私も参加した」と言う。

「店が暇な時にネットで情報を集めている。お客さんとして飲みに来た隊員かもしれないなあと不安になる。あの事件以降、夜の飲食店に自衛官は来なくなった。今は遺体が流れてくるかもしれないから怖くて海には行けない。こんなことはあまり言ってはいけないけど、海に落ちてまだ良かったかもしれない。街に落ちていたらもっと巻き込まれて死者が出たかもしれない」と、ため息まじりに心情を語った。

島で観光業を営む50代の男性は、「観光業なのでキナくさい話にはできるだけ関わりたくない」と前置きした上で、「島の中ではできる限り自衛隊車両とすれ違いたくないが、この1週間で一生分の自衛隊車両とすれ違った」と話す。

「中国の撃墜とか、攻めてくるとか、いい加減にしてほしいですね。防衛省が予算を増やすための口実でしょう」と周囲を気にしながら言う。

「前市長が自衛隊誘致がらみで逮捕されたのも島民としては恥ずかしい限りです。かといって今の市長も、市長になりたかっただけの人に見えますが……」と前市長の逮捕に触れた。これはとても重要な話だ。

自衛隊配備、その背景にあった事件


2019年に開所した陸上自衛隊宮古島駐屯地だが、この誘致に絡み、前市長の下地敏彦氏が2021年に逮捕された。下地前市長はゴルフ場「千代田カントリークラブ」が候補地として選定される過程で、自衛隊沖縄地方協力本部や沖縄防衛局に対し「千代田を中心に事業を進めてほしい」などと要望し、ゴルフ場側から650万円の現金を受け取ったという収賄の容疑だ。同ゴルフ場の経営者も贈賄の疑いで逮捕され、この事件は翌22年に有罪が確定している。

この下地俊彦氏は沖縄の自民党系首長で作る「チーム沖縄」の会長で、菅義偉首相(当時)とのパイプを誇っていた人物。「政府自民党とのパイプ」がもたらしたものは、結局贈収賄事件だったというわけだ。今の日本政府と防衛省の基地利権構造を象徴する事件だが、宮古島の自衛隊配備の背景にこのような事件があったことは、本土ではほとんど知られていない。

「不透明な自衛隊候補地選定」、さらに「ゴルフ場」というキーワードが並ぶと、石垣島の駐屯地配備の構造とも似通ってくる。ただ、大きく違うのは、下地氏が2021年の市長選で落選したことだ。この落選から4ヶ月後。下地前市長は逮捕された。

この贈収賄の情報は、ゴルフ場の用地測量業務などを代行していた建設コンサルタント業者のある男性によってリークされたものだった。その人物に取材を試みたが、すでに亡くなっていた。

ある島民は「下地は650万で島を売った」と話す。また別の島民女性は「市長の在任中は警察も遠慮して捜査しないのよ。狭い島だから、いろいろとあるのよ」と意味深に語ってくれた。5万5千人のこの島には、この島独自の力学があることを感じさせられた。

陸上自衛隊宮古島駐屯地。撮影していると自衛官が警告に来るが「撮影禁止の法的根拠が無いこと」をこちらが告げると自衛官はそそくさと帰っていく


島民たちが語る「祟り説」


防衛省がこの事故に関する情報を出さないなか、島民たちからある言葉を耳にするようになり、いつしか自分もそれを無視できなくなっていた。それは「祟り」という言葉だ。島の人と打ち解ければ打ち解けるほど、「あまり言いたくないけど」と前置きした上で、島民たちは祟り説を口にする。

この駐屯地の中にはいわゆる「御嶽」(琉球諸島にある聖地。拝み場所で、多くの場合、立ち入りが禁止されている)があるという。また、自衛隊ヘリが消息を絶った池間島の南東には大神島という島全域が聖域とされる島もある。この島では神事の際、今でも部外者の入島が禁止されている。

プライバシーに配慮し詳細は避けるが、この自衛隊誘致を推進した議員が数名亡くなったこと、さらにはその家族にも不幸があったこと、駐屯地に隣接する自衛隊官舎で自衛官家族による児童2名の殺人事件があったことや、交通事故で自衛官が死亡した件など、調べると確かに2019年の開所から4年にしては関連する人物が死にすぎている。そしてさらに今回の10名不明事故だ。

非科学的で無根拠な噂話ではあるが、この数を考えると「呪い」や「祟り」と口にする島民の気持ちも少なからず理解できる気がした。

また、実際にこの島々を訪れると、都市で暮らす人々の理解を超えた「何か」が今でも存在するのかもしれないという強いバイブスを感じる。この島々に暮らす人々はそういうものを守り、守られ、共存し続けてきたのだろう。言語化は難しいが、それは軽んじてはいけない自然や祖先、異界への畏怖のようなものだ。個人と共同体、そして自然との距離感が都会人とは全く違うという感覚は理解しておいてほしい。

もう少し客観的な目線で考えると、この自衛隊基地は配備や運用に、いくつもの無理があった。さらに言えば自衛隊という組織の在り方自体が現代的な感覚と合っていないと感じる。そういう理不尽や無理強いの中で生まれた軋轢や機能不全が事故や事件を誘発しているとの見方もできるのではないだろうか。

この点について、先ほど話を聞いた元自衛官はこう指摘する。

「現在も自衛隊内部の組織構造は、旧時代的な精神論、根性論によって成り立っている。ここに一般社会と大きな乖離が生まれている。その価値観の差に、隊員たちは皆苦しむ。防衛省は自衛官のメンタルヘルスケアについて力を入れているとアピールしているが、内部には結局、精神的な不調を持つものは馬鹿にされる体育会系的な風潮が根強く残る。防衛費を倍増し、装備やミサイルを拡充しても、結局それを使う自衛隊員たちが古い組織構造や教育制度の中で、ストレスを抱えている現状では、国防という観点からも合理的とは言えない」

そもそも「戦争」と「人権」とは矛盾するものである。であるとしても、事実上の軍人に類する自衛官の人権を見落とす現在の構造には問題を感じる。「人権を尊重される軍隊」一見、矛盾した話ではあるが、現行憲法の理念を踏襲すれば、「人権を尊重する自衛隊」という針の穴を通すような概念を具現化することが、国家という共同体の本質的な平和に繋がるのではないかと、新たな問いを立てられた気分になる。

人頭税と慰安婦の碑


人頭税石、平良港を見つめるように立っている


与那国島の記事でも触れたように、この宮古島にも人頭税があった。島民たちは身長がこの人頭税石の高さを超えると重税が課せられたとの伝承がある。宮古島は15世紀に目黒盛豊見親によって統一され、その後、琉球王府との主従関係を結んだ。1500年代、石垣島、オヤケアカハチの蜂起や与那国島の鬼虎の乱を鎮圧したのも、琉球王府の後見を得た宮古島の軍勢だった。

1609年、薩摩藩が琉球侵攻を行い、その後の1637年から人頭税は始まる。

先島や八重山の島々を苦しめたこの人頭税は、琉球が日本に併合された明治時代以降も1903年まで続いた。廃止運動は島民や近隣の島々を巻き込んだ抗議運動となり、1894年、宮古島民たちは過酷な妨害を受けながら東京の帝国議会におもむき、請願書を提出し直談判を行った。彼らは帰郷後、島民総出でクイチャーを踊って迎えられたという(クイチャーとは宮古島に伝わる伝統舞踊で、祝いや雨乞いの際に行われる、集団で輪になる踊り。沖縄島のカチャーシーと大和の盆踊りの原型のような踊りだ)。

その請願から9年後の1903年、人頭税は明治36年に廃止された。薩摩が琉球を抑圧し、その抑圧がさらに辺境へと押し付けられる。人頭税はこの二重支配の象徴とも言える。

「本土」出身者たちには見えづらいが、沖縄島から島嶼部への差別を垣間見ることもいまだにある。例えば、私が10代から一緒にラップをやっていた友人の父が宮古島周辺の島の出身なのだが、数年前その友人が父の故郷を訪れた際にお土産に魚の干物を渡された。その魚を沖縄島、いわゆる沖縄本島の友人に土産として持っていくと、「宮古の魚はいらんなあ(笑)」という嫌な冗談を言われたという。

こうした差別感情は現在は解消されつつあるが、本土から沖縄、沖縄から島嶼部へと押し付けられてきた歴史がある。このような歴史を踏まえ、「本土」や「本島」そして「離島」という言葉の使用は現在、議論の対象となっている。また、基地問題や貧困について、辺境に押し付けられることについても構造的な差別であると、沖縄の島々を取材し私自身も認識するようになった。心情的な差別が解消されつつあっても、構造的な差別は残っている。そして加害側のマジョリティである私たち大和人がそこに無自覚であり続ける限り、この構造の解消は困難である。

陸上自衛隊宮古駐屯地と航空自衛隊分駐屯地に挟まれた上野野原という集落には「アリランの碑」という、戦時中、宮古島に置かれた従軍慰安所と従軍慰安婦たちを記憶するための記念碑がある。その碑から10数メートル離れた場所に慰安所があったという。現在は畑になっているが、その向こうに自衛隊駐屯地が見える様は、異様というか、われわれは本当に歴史から何を学べているのかと不安になる光景だ。

アリランの碑「女たちへ」という碑文が12の言語で記されている


従軍慰安所があった場所の向こうに陸上自衛隊の駐屯地が見える


現在の航空自衛隊分駐屯地は、戦時中は陸軍の野原飛行場だった。山のない平らな地形から、この宮古島は旧日本軍の「不沈空母」構想の舞台となった。3本の滑走路や司令部などが置かれ、当時人口5万人だった島に3万人の軍人が流入した。それに付随して宮古島、伊良部島には16カ所の従軍慰安所が置かれたという。

平らな地形で隠れる場所がないこともあり、島民と従軍慰安婦との交流の記録も多い。マラリアに苦しむ住民がコリアンの慰安婦の薬で救われたとか、島で採れた唐辛子を彼女たちに分けると喜んでいたとか、交流の逸話は枚挙にいとまがない。井戸での洗濯を終えた慰安婦たちがこの場所で休息していたという島民たちの記憶から、この場所に記念碑が建てられた。

「日本軍による性暴力被害を受けた一人ひとりの女性の苦しみを記憶し、全世界の戦時性暴力の被害者を悼み、二度と戦争のない平和な世界を祈ります」という碑文が、日本軍による性暴力の被害を受けたオーストラリア、中国・台湾、グアム、インドネシア・マレーシア、日本、コリア、ミャンマー、オランダ、フィリピン、タイ、東チモールの11の言語と、さらにベトナム戦争時に韓国軍からの性被害を受けたベトナムも合わせ12の言語で記されている。

アリランの碑は陸自駐屯地から500m、空自分駐屯地から300mの場所で基地に挟まれるように立っている


アリランの碑から東に300m。日本軍の野原飛行場は、戦後米軍に接収され米軍基地となり、1972年の復帰後に航空自衛隊分駐屯地として継承された。この周辺にはいまだにトーチカや地下壕などいくつもの戦跡が生々しく残っている。このような事実を現在の自衛官たちは果たして学んでいるのだろうか。沖縄戦と現在が途切れることなく繋がってしまう不安感がこの場所に来ると芽生える。

ちなみに消息を絶った陸自ヘリが飛び立ったのはこの空自分駐屯地からだ。

駐屯地開設後も反対運動は続いている


宮古島駐屯地から南東に車で20分、保良地区にあるのが陸上自衛隊保良訓練場だ。いわゆるミサイルの弾薬庫を併設し、2021年の11月に反対運動のなか、地対空、地対艦誘導弾が搬入された。この場所では平日の午前中、地元保良地区の住民たちによる抗議行動が3年半続いている。写真を見てもわかるようにこの基地と集落との距離は最も近い場所で250mほどで、ミサイルと隣り合わせの生活を強いられている。

80年前、この地区では旧日本軍の弾薬庫の爆発に巻き込まれ、子どもたちが亡くなるという事故があった。その記憶が残る住民たちが、今、再び弾薬庫の影に怯えている。

基地の中に保良集落があるように見えるほど近距離だ


住民たちは工事車両へのスタンディング並びに通過する一般車両(主に観光客)へのアピール行動を行なう。また、彼らは基地の運用を厳しく監視し、問題があればその都度、要望書や質問状を提出して説明を求めるなどの活動を続けている。

防衛省は4月上旬、この訓練場内の射撃場を市や地元住民、マスコミへの公開を予定していた。しかし今回の陸自ヘリ事故でそれらは延期された。

保良地区の住民で、保良射撃場の前で毎日、スタンディングをする60代の女性は、「基地ができても監視や要望、情報公開の要請を続けていくことが大事、それをしないと自衛隊という組織は、一歩一歩ジリジリ、非合法に、なし崩しに、訓練や規模を拡大してくるからね」と話す。

保良訓練場で抗議を続ける地元住民


与那国、石垣島と自衛隊を、そして沖縄島で米軍基地を見てきた自分としてもこの感覚にはとても同調した。

駐屯地開設後も反対運動を続ける人々の存在が、自衛隊という組織に法的にも道義的にも規範をもたらしているのではないか、それが彼らが計画外の訓練をしたり、性犯罪などの事件を起こすことの抑止力となっていると感じる。この件には元自衛官も同意を示し、こう語る。

「上官が反対運動の声を気にして、隊員たちに綱紀粛正を求めることは当然あります。まあ、反対運動が無くてもしっかりとしてほしいものですが……」

これは台湾有事や国防ばかりが報道されるメディアでは、なかなか語られない感覚だろう。なお現在、この弾薬庫周辺の土地の所有権に関して、住民が数件の裁判を起こしている。

宮古島の中心街では観光客が楽しげに闊歩している。インスタグラムにはきらきらした青い海の写真が並ぶ。自衛隊基地建設や海外、ドバイなどからの直行便の就航で、コロナ前の宮古島はバブルと呼ばれていた。しかしそれに伴う家賃の上昇で、ワンルームの賃貸が10万円台に高騰するなど、地元民の暮らしが壊される、いわゆるジェントリフィケーションが起き、半グレの流入問題も表面化した。

「プラスマイナスで考えると、島の人の得になることは、あんまりなかった気がします」と基地問題には無関心な地元の20代女性も不満を口にした。

自衛隊ヘリの事故やその背景となった駐屯地の建設、ミサイル配備、さらには戦争の歴史や、大和人としての加害性などにはまったく無頓着で明るくはしゃいでいる観光客を見ると、嫌気が差すような気分になった。しかし、それが地元の観光産業や、もっといえばこの島の平和にとってのバロメーターになっている側面もあり、なんともいたたまれない気分のまま、私は大和人として所在なく、島を見つめていた。

観光地の砂山ビーチからも自衛隊の捜索船が見える


島民の不安をよそに着々と進むミサイル配備


5月初頭、民間のサルベージ船によって機体が引き上げられ、あまりにも無惨な事故機の姿が露わになった。乗員6名の遺体は発見されたが、残る4名の遺体は今も見つからないままだ。沈没した機体を引き上げるサルベージ船を自衛隊が所有しておらず、民間に受注した事実にも一抹のさびしさがあった。命を賭けることを前提として隊員となった自衛官たちだが、その彼らの命を救うことは想定されていないのではないかという現実を垣間見た気がした。


行方不明者の遺体の引き上げがあった宮古島、平良港を出る自衛官は笑顔を見せた


「365日3食無料」が自衛官募集のキャッチコピーになる今、「経済的徴兵制」という言葉が現実味を帯びている。貧困や教育制度の不備を理由に選択肢を制限され自衛官になる者もあり、彼らもまたこの構造の犠牲者であるという視点も忘れてはいけない。雇用先の少ない島嶼部では、公務員の職に就くことは、重要な収入源だという現実がある。

自衛隊への反対運動を続ける宮古島市議の下地茜さんに話を訊いた。

「島を出なければならなくなるかもしれないし、戻ってこられるのかもわからない。そういう感覚を島外の人にわかってほしいんです。

この島で生まれ育ち、何十年も住んできた、この風景やリズムは自分の生き方そのものです。それが壊れるのは、先祖だったり、いろんなものを奪われる感覚で簡単な話ではないんです。そこに後から基地を作ったのが島外の皆さんです」

「ジュネーブ条約に基づけば、非戦闘員である民間人は保護されなければならない。有事が起きれば、逃げ場を失うこの島々に基地を作るということは、それと矛盾します。自衛隊がいたら国際法上、逆に住民を守れなくなる。今、広まっている自衛隊が助けてくれるという考え方は、理解がひっくり返っている。そういう誤解の上に基地が誘致されてしまっています」

自衛隊基地賛成派の60代女性にも話を聞いた。

「デニー知事は中国と外交するなんて、お人好しだ」と激しく批判しながらも、「この陸自ヘリの事故は、何も情報が公開されない。私らに納得のいく説明なんてきっとされない。裏に何があるかわからない。不安でしょうがない」と本音を口にした。

今回の事故や防衛省の情報公開に対する不満と不安感。その疑念だけはこの島に暮らす人々に共通していた。

墜落機のフライトレコーダーの情報公開が待たれる中、この事故から1ヶ月が経過した。

この間にも、宮古、石垣、与那国を取り巻く状況は目まぐるしく変化している。

4月22日、浜田防衛大臣は北朝鮮の偵察衛星に備える破壊措置準備命令を出し、石垣、宮古、与那国へのPAC3の配備を決定した。このうち、石垣島だけが駐屯地外(市街地に近い港湾地域、先月ミサイルが搬入された埋立地が有力)に配備されるとの懸念がある。合理的な配備ではないことはすでに専門家たちによって指摘されている。

4月25日、石垣島では、自衛隊駐屯地に関わる石垣市有地が無断で使用されているとして、住民側が市を相手取った損害賠償裁判に勝訴した。法的根拠や住民との合意形成を無視した、なし崩しの基地建設の一端が法廷で明るみになった形だ。

5月7日、与那国島の自衛隊駐屯地の拡張(ミサイル部隊の配備)が計画されている地域に16世紀の集落の遺跡があることが判明した。

5月11日、政府は土地利用規制法に基づく「特別注視区域」に、石垣島、宮古島、与那国島の自衛隊施設などを指定する方針を固めた。土地規制法は、私権の制限や恣意的な運用の懸念があり、この法案自体への「注視」が必要だ。

同じ頃、米誌「TIME」の表紙に岸田文雄首相が登場し、「岸田氏は平和主義を捨てて、日本を真の軍事大国にしたいと望んでいる」というタイトルがつけられたが、外務省からの申し入れでこの文言は変更された。

政府自民党は、東日本大震災の復興のための震災復興税を防衛費に流用できる法案を今週中にも可決する見込みだ。

5月15日、与那国島では防衛省の説明会が開かれ、ミサイル基地配備が明らかにされた。少し前まで「懸念」だったことが次々と具体化されている。

人口5万5千人、この島々で生まれ育ち、生きると決めた人たちの気持ちを私たちはどれほど想像できるだろうか。

石垣島、与那国島、宮古島とまわり、島の行方と自分の人生が一体となった人々の価値観や存在について、私自身も突きつけられる取材となった。

住む土地を好き勝手に選んだ私のような根無し草の大和人移住者には到底理解できない感覚、島の風土が自分のアイデンティティと混ざり合った人々の言葉に私は、大きな隔たりを感じ、ショックを受けた。しかし、その価値観の隔たりを知ることこそ理解の入口なのかもしれない。

今の社会の構造を決定しているのは、私のように愛する土地を持たない都市部の人間たちが大多数だ。島外の私たちは島々で暮らす人の気持ちを、逃げ場所がない人々の気持ちをどこまで背負えるだろうか。少なくとも彼ら彼女らから決定権を奪っている現在の構造を私は肯定することができない。

池間島から見える陸自ヘリ墜落現場


取材・文・撮影/大袈裟太郎

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