だれも見たことのない、独身者が5割となる超ソロ社会が2040年到来する。社会の個人化も、人口減少も、もはや誰にも止められないならその環境に適応する必要が出てくるだろう。適応するための思考と行動のヒントを『「居場所がない」人たち: 超ソロ社会における幸福のコミュニティ論 』(小学館新書)から一部抜粋、再構成してお届けする。

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人の行動のほとんどは無意識化によって制御されている


「人生は選択の連続である」とは、シェイクスピアの名作『ハムレット』の中の名台詞である。

私たちは、日々生きている中で、どこに出かけ、どんな食事をし、誰と会うのかを自分の自由意志によって選択していると思っている。日常のことだけではなく、どんな学校へ行き、どんな仕事につき、どんな相手と結婚するのか、も自分の選択と意志によって決定したと思っている。

しかし、昨今の科学においては「人間には自由意志などないし、意志によって選択などしていない」という説が有力となりつつある。

人の行動のほとんどは無意識化によって制御されていて、意志より先に行動している。
行動した後、その行動を正当化するために「これは、自らの自由な意志によって選択したのだ、なぜならば......」とその行動を弁護する後付けの理屈をつけ足す。

うまく理屈付けできない時は、その行動や環境によって生じた感情を整理することができず、モヤモヤとした気持ちになるだろう。理屈付けされないと安心できないからである。



親ガチャは残念ながら存在する


そんな時、誰かが「それってこういうことでは?」と理路整然と言語化してくれると、途端に納得して安心するだろう。腑に落ちるという感覚である。

そういった心の隙間を突いてくるのが詐欺師やカルト宗教の洗脳であったりするのだが、ここでは、心理メカニズムの話や「人間には自由意志は存在するか」という高尚な哲学的な話をしたいわけではない。要は、環境が大事だという話なのだが、環境とは自分の外側からだけのものとは限らない。

「親ガチャ」という言葉が話題となったが、親の経済環境が、その子の未来を大きく決定付けるのは残念ながら事実である。親の所得の多寡が子の進学を左右し、進学が子の年収に作用し、年収が結婚に大きな影響を及ぼす。

ある意味、親が貧乏であれば、子の選択肢の幅が狭められるということでもある。選択肢がある以上、それは子が自分で選択も決断もしているという反論もあるかもしれないが、選択肢が1個しかなければ選択も決断もありはしない。その子の今を決めたのは、その子の意志でも選択でもなく、親という環境によって導かれただけである。


両親の仲が悪いと子どもは結婚しない


年収以外に親から提供される「子の環境」というものを考えた時に、家庭内の人間関係の環境がある。親子の人間関係もそうだが、両親の関係性というものもある。つまり両親たる夫婦の仲のよさ加減だ。

子は親のことをとにかくよく見ている。たとえば、関係性が険悪になった夫婦が、子どもの前でどんな仮面で取り繕ったとしても、子にはバレている。両親がしょっちゅう夫婦喧嘩するような環境で育った子どもが、「自分も結婚したい」と思うだろうか。



実際、私が調査したところでも、両親の仲がよければよいほど、その子の既婚率は高まるという強い正の相関が見られている。特に、男女とも40−50代の中年層(いわゆる生涯未婚率対象年齢)ほど仲の悪い両親の環境で育った人は有意に未婚のままなのである。50代未婚女性の場合は、平均より1.7倍も未婚率が高かった。

勿論、親の仲が悪くても、離婚したとしても、自分はそうならないようにしようと結婚してしあわせな人生を送っている人もいるかもしれない。これだけで未婚化すべてを説明できるものとは思っていない。

両親が仲睦まじい場合でも子が生涯未婚になる可能性もある。しかし、親の影響がまったくない子もまたいないのである。親が貧乏だと物理的影響により結婚ができなくなり、親の仲が険悪な環境下で育つとその子は心理的影響により結婚できなくなるということもあり得ると考えた方がいい。


身長や体重は遺伝が9割、知能も学業成績も5-6割は遺伝


夫婦の中には、やれ収入面や家事育児の分担などで互いの義務不履行を責めいがみあっている夫婦もいるかもしれない。配偶者を減点方式で評価しがちな人もいるかもしれないが、減点方式は必ず誰でも最後は0点になるのでバッドエンドにしかならない。

ご自分が80歳になった時、家に未婚のままの子がいるような状況を回避したいのなら、夫婦間のいがみあいもほどほどにした方がいいだろう。

とにかく、子どもは親のことをよく見ている。子どもにとって親は環境そのものであり、世界そのものでもある。しかし、だからといって、親が与えた環境だけで子の一生がすべて決定づけられるものではない。環境とは、ある程度の年齢以降になれば、自分で形成していけるものだからである。

環境でなんとかなるというと、それを完全に否定するのが行動遺伝学である。慶應義塾大学教授の安藤寿康氏の著書『日本人の9割が知らない遺伝の真実』で有名だが、具体的には、身長や体重は遺伝が9割、知能も学業成績も5-6割は遺伝によるものとある。外向性や開放性、勤勉性などビッグファイブと呼ばれる性格の5つの因子も概ね5割弱程度である。



遺伝による才能も環境ひとつで潰せる


体格はともかく、他の部分の遺伝の影響が5-6割なら、環境の影響も半分弱くらいあるのではないかと思う人もいるだろう。ならば、教え方や努力である程度変えられるのではないかと考えたくもなるが、安藤氏はそれも否定する。当然学べば学んだだけ、それなりに成績は上がるが、誰もが東大には入れない。誰もが努力や訓練によってオリンピック選手になれるわけではないという。

それはそうだろう。しかし、逆に東大卒の親の子は全員東大に行っているのか?オリンピック選手の子は全員オリンピックに出ているのか?それは遺伝というより、東大を受験する環境、スポーツ英才指導を受ける環境の問題だろうと思うわけである。

大体、能力の遺伝というが、親が大企業の社長で下から慶應からあがって卒業したその子が、親のあとを継いで二代目社長になったとてうまく経営ができるかといえば、あまりそんな例は見たことがない。息子がいい大学に入り、社長になれたのは、それこそ、遺伝や本人の努力云々以前に親の環境の恩恵の力が大きい。

そもそも遺伝ですべてが決まるなら、なぜ長嶋茂雄や野村克也の息子は野球において親のレベルに遠く及ばなかったのだろう、といいたくもなる。逆にいえば、なぜ長嶋茂雄や野村克也があそこまでのスター選手になり得たのかという逆の視点から見てもいい。

それは彼らの親の遺伝子のおかげなんだろうか。彼らの能力が遺伝であったとしても、それを開花させる環境がなければ無意味である。万が一、遺伝による才能も環境ひとつで潰すことができてしまう。つまりは、どれだけ遺伝の影響があったとしても、環境という変数ひとつで変わってしまうのだ。


子供の将来は親の経済力が全てというわけでもない


勿論、遺伝の力を否定するものではない。しかし、現実の世界は研究室の中の無菌状態のシャーレではない。親の経済力など環境で子の将来がある程度決定づけられてしまうのもひとつの現実だが、それだけがすべてではないのだ。

遺伝子工学分野で新しい遺伝学として注目されているものに、「エピジェネティクス」研究がある。「エピジェネティクス」とは、「DNAの塩基配列そのものは変わらなくても、遺伝子の読み取られ方(オン・オフのスイッチ)が変化することによって、遺伝子の発現が制御されるメカニズム」のことだそうである。

簡単にいえば、遺伝子情報そのものは親から受け継がれ、変わらないが、その情報のすべてがオンになっているわけではなく、オン・オフのスイッチはその後の様々な環境によって変わるというもので、こちらの説の方が妥当性を感じる。人間、どこで何かの影響でスイッチが入るかどうかはわからないのだ。

繰り返すが、環境とは時間と場所と人である。どんな時代に、どんな場所で、誰と何を行動したのかによって劇的に変わる。



人間関係の変化こそが重要な環境になる


確かに、生まれてくる時期や場所、親は選べない。しかし、いつまでもその場所にいるわけではないし、親といつまでも一緒にいるわけではない。普通に考えれば親は先にいなくなる。時代を変えるというタイムスリップはできないが、タイミングを計ることはできる。場所などいくらでも移動できる。職場であれば、転職すればいいだけだ。

能動的でなくても、勝手にそういう環境になっている場合もある。経営者の交代やM&Aや、小さい事でいえば上司が変わっただけでも実は劇的な環境変化になり得る。そして、この人間関係の変化こそが重要な環境になるのである。

時間と場所と人をいい換えると、「時間・空間・人間」という言葉になる。この3つの「間」が環境そのものであり、その「間」をいかに感じられるか、スイッチとしてとらえられるかが、重要になる。


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『「居場所がない」人たち: 超ソロ社会における幸福のコミュニティ論 』
(小学館新書)

荒川和久

2023/3/31

1034円
224ページ

ISBN: 978-4098254439

居場所がなくても幸福と思える生き方とは?

2040年には、独身者が5割に。だれも見たことのない、超ソロ社会が到来する。
ますます個人化が進む中、私たちは家族や職場、地域以外に、誰と、どこで、どうつながれば、幸福度を高められるのか?
また、親として、人生の先輩として、これからその時代を生きる子どもたちに何を伝えられるのか?

家族、学校、友人、職場、地域・・・・安心できる所属先としての「居場所」は、年齢を重ねるごとにつくるのが難しくなり、時に私たちは「居場所がない」と嘆く。
また「そこだけは安心」という信念が強すぎるがゆえに、固執し、依存するという弊害も生まれる。

では、居場所がなく、家族や友達をもたず、一緒に食事をする相手がいないのは、「悪」なのだろうか?常に誰かと一緒でなければしあわせではないのだろうか?

社会の個人化も、人口減少も、もはや誰にも止められない。私たちに必要なのは、その環境に適応する思考と行動だ。著者が独身研究を深掘りした先に示すその答え=〔接続する〕関係性、〔出場所〕という概念とは?

結婚していてもしていなくても、家族がいてもいなくても、幸福度を上げるための視点とヒントに満ちた一冊。