ロシアによるウクライナ侵攻以来、エネルギー価格の高騰が私たちの生活を圧迫している。世界的なエネルギー危機にある中、水と大気中の二酸化炭素で人工石油を作り出すという夢の実験が年初に国内で行われた。実は今から84年前、あの山本五十六も同様の実験に挑んでいたのだが…。

水と二酸化炭素から作った人工石油で車が走った!?


現在、ガソリン代高騰で悲鳴が聞こえるなか、夢の装置が開発され、期待されている。2023年1月、“水と大気中の二酸化炭素から人工石油を作る!”そんな夢のような実証実験が大阪で行われた。

実験は大阪府、大阪市などが支援し、仙台の民間企業が実施。機械装置によって水と二酸化炭素から“人工石油”を生成、それを使って発電し、電気自動車を動かしている。使用されたドリーム燃料製造装置と呼ばれる機械を開発したのは、京都大学名誉教授(工学博士)の今中忠之氏。

現在、ドリーム燃料製造装置はすでに販売中で、安価な燃料の普及を期待する声がある一方、科学的にありえないと疑念を抱く声も上がり、SNSを中心に賛否両論となっている。



しかしながら、今から84年前、そんな夢物語に飛びついた近現代史の大物がいた。

ハワイ真珠湾攻撃を指揮した連合艦隊司令長官の山本五十六である。

1938年激しい戦下にあった日本は、国家総動員法を制定。これにより軍は議会の承認がなくても人や物資を調達できるようになった。その背景には、長引く日中戦争によって、物資が不足するという喫緊の事態があった。

当然、航空機の燃料、つまりガソリンも足りていなかった。そんな中、ある男の発明に日本海軍が注目したのだ。


山本五十六を騙した男


男の名は、本多維富(ほんだ・これとみ)。本多は「水からガソリンを作る」という何とも信じがたい発明に成功したという触れ込みで、時の政財界人、大学教授、公爵、大手メーカーなどが後ろ盾となり、名を上げていた。

そのアンビリーバボーな話は、海軍次官の山本五十六の知るところとなる。そして彼は真偽を確かめるために実験を命じたのだ。


山本五十六の胸像

実験が行われたのは、1939年(昭和14年)1月、海軍省の庁舎。

そもそも本多維富は、「藁から真綿を作る」など、非科学的な製造法を周囲に信じ込ませてきた前科があった。そのため彼のことを詐欺師、ペテン師と断定する、否定的な立場の人間も数多く存在した。
実際、山本五十六に実験を中止するように直談判した者もいるそうだ。

それでも、GOサインは出た。

燃料不足が差し迫った状況の中で、山本はその真偽を確かめるという使命感以外に、わずかな可能性にロマンを感じていたのかもしれない。


インチキがバレた瞬間


注目の実験は水に7種類の薬品を混ぜた液体に火をつけたところ、見事燃え上がったため、成功となるのだが、物言いがついた。

実は目を皿のようにして事の行方を注視していたスタッフがいたのだ。それは18名の航空本部の製図工だった。


「十八枚のスケッチと実験成功の薬瓶を照合したところ、スケッチの中に成功した薬瓶は見あたらず、逆に昨日のスケッチの中から一本の薬瓶が失われているのが分かった。(中略・・)かわりにスケッチとは異なる薬瓶が一本紛れていた。ガソリンとなった薬瓶だった。たしかに、すり替えが行われたのだった」(引用:山本一生『水を石油に変える人 山本五十六、不覚の一瞬』)より

写真はイメージです

そこで、再度実験が行われるが、結局インチキであると結論づけられる。

そもそも水素と酸素の化合物で、もしガソリンが生成されるとしたら、酸素が炭素に変化しなければならない。そうした当たり前の科学知識を山本五十六ともあろうものが持ち合わせていなかったのか?

燃える闘魂・アントニオ猪木も、生前はサトウキビの絞りカスから新たなエネルギーを生み出そうと奔走するものの、事業は失敗し、多額の借金を抱えた。

しかし、アントニオ猪木流に言うならば、「出る前に負けること考えるバカがいるかよ!」(猪木名言)であり、山本も常識的に重々承知していたが「やってみなければ結果は分からない!」という心境だったのかもしれない。

山本五十六が、一縷の望みを託した、まさに人間味を垣間見せた瞬間でもあったのだろう。

取材・文/集英社オンライン編集部
参考:山本一生『水を石油に変える人 山本五十六、不覚の一瞬』(文藝春秋)