中学時代に壮絶ないじめを受けた30代女性。いじめのトラウマで人が怖くなり、10年以上ひきこもった。その苦しさを家族にも理解してもらえず、死の一歩手前まで追い詰められた女性を救ってくれたものとは――。女性が生きる希望を取り戻すまでを追った。(前後編の前編)

厳しい母に叩かれて育つ

白石咲良さん(仮名・30代)の母親はとても厳しい人だった。保険会社勤務の父親は転勤族で、幼いころは社宅で暮らしていた。周囲は教育熱心な家庭が多く、白石さんは母親にしょっちゅう怒られていたという。

「みんなはいい子なのに、あなたはなんで同じようにできないの?」

白石さんは活発でやんちゃなタイプ。片付けや勉強をしないで遊びに行こうとすると、押し入れに閉じ込められたり、ベランダに放り出された。

「とにかく勉強して、いい大学に行って、いい企業に入れと。テストの点数が悪かったりすると、蹴られたり叩かれたりしてましたね。ピアノも習わせてもらっていたけど、1日2時間以上練習しないと叱責の嵐で、うまく弾けないと、めっちゃ手を叩かれましたね。

今風に言うと、ちょっと虐待入ってた感じですけど、母も祖母にほうきで叩かれて育ったので、厳しく育てるのが当たり前だと思っていたみたいですね」

小学校では友達がほとんどできなかった。転校が多かったこともあるが、母親が洋服など見た目を構ってくれなかったことも大きいという。いつも着せられていたのは男の子向けのトレーナーとズボンだ。

「3歳下の弟にお下がりできるようにって。しかも、お腹壊すからって、トレーナーの裾をズボンにインさせられて。見た目に関しては切なかったですね。顔も水疱瘡の跡がすごかったんで、あだ名はクレーター。私はけっこう生意気で、ガキ大将にも『バーカ!』とか言い返しちゃったんで、よく追いかけられて殴られてました」

ばい菌認定され、ひどいいじめに

小学校卒業と同時に転居。知っている生徒が一人もいない中学に入学すると、なじむ前にいじめが始まった。

トイレ掃除中にホースでバシャーっと水をかけられたり、男子に囲まれて押し倒されたり、コンパスの針で後ろからブスブス刺されたり、着替え中にカーテンを開けられたり、下敷きなど文房具に油性ペンで落書きされたり……。

「アトピーで全身の肌がかゆかったので、頭もかきむしっちゃってたから、フケがすごくて。制服のブレザーにつくと目立つので、自分でも気になって取ってたけど、髪もボサボサだったし、“ばい菌”認定されちゃって…。けど、一番心にダメージが来たのは、誰も口をきいてくれなくて無視されることでしたね」

両親に言うと父親が学校に電話をしてくれた。だが、その次の日に登校すると、「告げ口したな」と言われ、さらにいじめが激化――。

母親は励ますつもりだったのか、強い口調でこう叱責してきた。

「お母さんもいじめを受けていたし、いじめられるのは普通だから、なんで頑張れないの?もっと成績上げたら、人気者になれるんじゃないの?」

無視されるいじめが一番キツイと母親に相談したら、なぜか白石さんのことを無視して弟にだけ話しかけ始めたという。

「なんで母がそんなことをしたのか、よくわかんないんですけど、それで、ホントに私、1人ぼっちがダメになっちゃって。同じ学年のよく知らない人にもいじめられて、私は誰にも好かれないし、すべての人を不愉快にさせる存在なんだ。人は怖くて、会えば害を加えてくる生き物なんだと思うようになりましたね」

学校を休むことは許してもらえず、白石さんは毎朝、祖父母がくれたお守りを握りしめて、「今日はいじめが軽くなりますように」とブツブツ唱えながら登校した。

唯一の救いは部活だった。白石さんは音楽が好きで吹奏楽部に入りトロンボーンを吹いていた。顧問の教師がいじめを許さなかったので、その時間だけは楽しめたという。

ある日突然、起き上がれなくなる

中学卒業後に東京に引っ越し、推薦で受かった私立の進学校に入学した。母親に泣きながらお願いして美容院に連れて行ってもらい、肌を掻かないように我慢して見た目にも気を配った。

夜寝る前におもしろい話を考えて、毎朝、教室に入った瞬間に披露したら、一躍人気者になったそうだ。

「中学の3年間、1人だったから、ずっと周りを観察していたんですね。人気のある子は明るくおもしろい話でみんなを笑わせているとか、嫌われている子はこういうところが嫌われるとか。どうやったら人気が出るか考えて、芸人さんみたいにおもしろいことや変なことをやったら、同学年みんな友達かっていうくらい友達が増えたんです」

ところが、1年生も後半になると、一人の女生徒にこんな悪口を言われる。

「ちょっと調子に乗ってない?」

その一言で、白石さんは中学時代にいじめられたトラウマが一気によみがえり、布団から起き上がれなくなってしまう――。

「人への恐怖心に蓋をして明るい私を演じてたんですけど、すごい努力して無理して友達を作っていたので、もういっぱいいっぱいだったんだと思います。たぶん、その言葉でちょっと蓋が開いて、体が動かなくなっちゃったんですね。

本当に石みたいに動けなくなって、自分でもびっくりして。なんで体が動かないの、なんで学校行けないのって。パニックですよ。それから10年以上におよぶ長いひきこもり生活が始まったんです」

母親は毎朝、動けない娘のほっぺをペチンペチンと叩き、「起きて、起きて。聞いているんでしょ」と言って耳を引っ張った。2階の部屋から階段の下まで布団ごと引きずり落ろされたこともある。

「私の将来が心配だったというのもあると思うんですが、母親はひきこもりが恥ずかしくて許せなかったんだと思います。私もうまく言葉で説明できなかったから、『さぼりたいだけでしょ』って言われて。午後になるとゆっくり動けるようになったので、よけい怠けてると思われたみたいですね」

人を拒否して、ひきこもる

結局、登校できないまま高校は中退した。通信制の高校に行かされて19歳で卒業。大学受験をして福祉学部に入ったが、1週間で通えなくなった。

そのまま家にひきこもり、光を浴びない生活が何年も続いた。

「心が本当に人を拒否してしまって。日の光を浴びると明るく照らされるから、ご近所さんとか他人に自分の姿が見えるじゃないですか。人目にさらされることが耐えられなくて、誰にも見てほしくなかったんです。自信は皆無というかマイナスで、自分は根性もなくて、学校も通いきれない、醜い存在だと思っていました。

夜も眠れなくなり、苦しくて泣き叫んでいると、母が私の口にタオルとか入れて声を出せないようにして、上から布団をかけて押しつぶすんです。弟も一緒にやれって母に言われて。

弟は私より優秀で勉強も頑張っていたんですけど、私がひきこもって家の中が荒れてからは、グレちゃいましたね。高校で暴れて校舎のガラスを割ったり、消火器をぶちまけたり、家に帰ってこないでゲーセンに入り浸ったりして」

母親に「家にいるなら家事をして」と命じられて料理や洗濯をしたが、初めはうまくできずに怒られてばかり。ニンジンのグラッセを作ったときは、途中で焦がしてしまい、「こんなもの食べられない」と床にぶちまけられた。

息抜きにテレビを観ようとしても「なんで遊んでるの」と怒られる。弟のゲームを借りてプレイするのが密かな楽しみだった。

人が怖くて仕事が続かない

「働かざる者、食うべからず!」

母親にそう言われ、アルバイトを始めたのは20代半ばのころだ。

「無理やり外に出た一番の動機は、住む家がなくなるという危機感です。働かなかったら家を追い出すと言われたから、親の言うことをとにかく聞かなきゃって。ホントに言いなりでしたね。

もちろん、社会復帰できるならしたいっていう気持ちもありました。ずっとひきこもっていて孤独が本当にツラかったから。ちゃんと大学に行ってれば、お母さんもそんなに怒らなかっただろうし、仕事に就いていたら自分の好きなこともできたんじゃないかって思ったし……」

泣きながら自転車で近所を走り、店に張り出された求人募集を見て回った。

最初に勤めたのはファーストフード店だ。商品名の書かれた画面をピッピッと押していくだけなので、レジはどうにかこなせた。だが、周りの状況を見ることができず、無駄な動きをするなと怒られて畏縮するばかり。

「作業が遅いと注意されるだけでもビクビクして、さらに人が怖くなっちゃって……」

1年も経たずに辞めて、また家にひきこもった。

しばらく家にいると母親に「働け」と怒られるので、新しいアルバイトを探し求めて自転車をこいだ。

パン工場の製造ラインで、パンをひねり続ける、バナナを置き続けるなどの単純作業もしたが、他人と一緒に作業することが怖くて、すぐ行けなくなった。

校正の仕事をしたときは働き始めて数日でミスをして大泣きしたら、そのままクビになった。他にもカフェ、コンビニ、事務など10か所近くを転々とした。

「ひきこもりになって、外に出されて、ひきこもりになって、外に出されて、ひきこもりになって……という繰り返しだったんで、ゆるやかに自分を壊していったんですね」

 

ひきこもった原因である「人への恐怖心」が消えていないのに、無理やり外に出て働いたのがよくなかったのだろう。

ついに限界を超えた白石さんは、とんでもない行動をしてしまう――。

取材・文/萩原絹代