西日本のある農村で生まれたヨシオ(仮名)は、「エホバの証人」の教義を信じる両親に育てられた。宗教上の理由から、幼少期より周囲の子どもたちとは違った生活を強いられた彼は苦悩を抱え、徐々に「死にたい」という感情を抱くように……。宗教2世が抱える、思春期独特の悩みをレポートする。
同級生とは共通の話題がなく、いじめの対象に

<サカキバラセイト参上!>
高校入学直前の夏休み、ヨシオ(仮名)は宗教施設内に落書きをした。この「サカキバラセイト」とは、1997年2月から5月にかけて起きた神戸連続児童殺傷事件で犯人とされた少年Aで、犯行声明で「酒鬼薔薇聖斗」と名乗っていた男性のことだ。もちろんヨシオが少年Aではないし、特にその事件に共感や共鳴をしたわけではない。
「驚かせようと思ってやった」
それだけストレスが溜まっていたのだ。いったい何があったのか。
ヨシオは西日本の農村で生まれた。「エホバの証人」の教義を信じる両親に育てられた。父親は以前から宗教そのものに興味があり、やがて信者になった。母親も信者だった。人口が少ないその地域では、他の地方から送り込まれる信者もいた。周囲の子どもたちとは違った生活をおくっていたため、ヨシオは「変わり者」と見られていた。
夜寝る時に「目が覚めなければいいな」と思うようになったのは小学校の高学年のときだ。近所ではヨシオだけが保育園も幼稚園にも行っていなかった。屋内の遊びとしては、〝テレビゲームは暴力的なものがある〟として、親から禁止された。
それもあって一年生のころから、同級生とは共通の話題がなかった。そのため、いじめの対象となり、髪を引っ張られたり、殴られたり、蹴られたりした。
「学校がある平日はとても苦しかった」
それでも学校に行き、いじめに耐えてきた。もちろん、人と考え方や行動が違うからといっていじめを正当化する理由にはならないが、狭い地域の中での人と違った行動は、目立つものになっていた。そのため、加害側からすれば、いじめる格好の材料となっていたのだ。ただ、いじめは、主犯格が転校したことでなくなった。
中学では信仰を理由に剣道の授業を見学

中学では、信仰を理由に「剣道」があるときは体育を見学した。さらに運動部は宗教活動に影響がでるために、文化部に入ることになった。下校時に、宗教活動に参加するために親が迎えに来ることも多かった。周囲から、「さぼっている」「甘えん坊」と見られた。
「中学校のころって、みんながやっていることを同じようにやってみたいと思うじゃないですか。友達がやっているのに、『申し訳ない』と思ったりしていました。自分の中で、『仲間に入れていない』なって感じたりした。本当は運動部だってやってみたかった。それに文化部は女子ばかり。嫌でした」
クラス内での人間関係もうまくいかず、2年生のころになると、「死にたい」と思うようになっていく。両親はこれまでのいじめのことは知っていても、「いじめがあれば逃げればいい」としか言わず、いじめ解決には積極的ではなかった。むしろ、ヨシオがいじめられたとき、親は聖書を片手に諭した。
「聖書を持ち出されても納得いかない。自分の気持ちをわかってほしいのに、わかってくれないんですから」
親は、「エホバの証人」の支部役員だった。そのこともあり、高校のときの、<サカキバラセイト参上!>という落書きは、親自身が被害届を出していた。ただ、その後、ヨシオが落書きの犯人だと分かった親は、警察署にヨシオと一緒に行き、被害届を取り下げた。それ以後、ヨシオは宗教活動に参加する機会が減った。
「宗教活動に参加しなくなると、突然、自由な時間ができるんです。時間ができれば、これまでの分を取り戻すかのように遊びたい。でも、お小遣いには恵まれていないし、親に対して『もっと欲しい』とは言いにくい。そのため、近くの事務所などに忍び込んで窃盗を繰り返したんです。金を盗んでは、遊ぶ金に回していました」
「自分がこうなったのは親のせいだ」

高校2年のとき、自動車整備工場に盗みに入ったことで逮捕された。留置所内ではあることがふと頭に浮かんだ。
「自分がこうなったのは環境のせいだ。その環境を作ったのは親だ。親に復讐するぞ。親を殺して、自分も死んでやろう」
ヨシオは、これまでの苦しさやイライラ感は、すべて親のせいだと感じていた。
しかし、少年院に入り、「内観」という作業をする。これまでの自分の人生を振り返り、自分が他人に与えられてきたことを考えさせられた。そうしたことが、「親に感謝する自分」「親から与えられたものは大きいと感じる自分」を発見することになっていく。
出所後、これまでのような焦燥感はなくなっていた。しかしながら、高校は休学し、4月からは別の高校に転校する。不安感以上に、恐怖感が襲ってきた。
「新しい学校になじめるのかな」「友達はできるだろうか」
高校まで友達と呼べるほどの人との出会いはなかった。転校先でも友達はできないだろうと、ヨシオは考えていた。
「高校では、よく話す人はいましたよ。だから最初の高校では孤立していなかった。でも、孤独だったんです。転校先の高校でも同じになるんじゃないか、って怖かった。だから、将来を考えるのが面倒だったんです」

そうした思いの中、インターネットで募集し、見ず知らずの人と一緒に自殺をする「ネット心中」を知ることになる。そうしたことがヨシオの自殺願望を再燃させ、刺激した。「練炭自殺」の実験もした。その様子をレシートにメモしている。
1分後 アンモニア臭
15分後 眠い(まぶたがおもい)
30分後 脈拍80―90
体が熱い。
40分後 タバコを初体験したような感じ
45分後 市販薬を一箱飲んだような感じ。気持ちが悪いのである
その後、苦しくなってヨシオは車外に出た。そうした経験の上で、ヨシオは<一緒に死ねる人いませんか? 連絡ください>とインターネットで呼びかけた。
「この時に、今すぐに死にたいという願望があったわけではないんですよね。ただ、〝誰かとの約束〟があれば、自殺ができるのではないかと思っていました」
取材をした数日後、ヨシオが行方不明に

ヨシオは自らも心中相手募集に何度か応じたが、返信が一度もなかった。だから、「もうその人は死んでしまったのかな?」と思ったという。もちろん、反応がないからといって、呼びかけ人が死んだかどうかはわからない。怖くなってやめてしまったのかもしれないとも感じていた。そのため、応じるよりも、募集した方が効率いいと考えた。
<関西で一緒に死にませんか?>
その後、呼びかけに反応があった。20代後半の男性だった。同じ県内に住んでいることから、実際に会うことになった。メールでもそうだが、実際の心中方法について話し合った。あくまで、ヨシオは練炭にこだわった。
この計画では、もう1人加わる予定があった。男性が別の掲示板で知り合った近県の女性(16)も参加するはずであった。しかし、その打ち合わせ以後は男性からの連絡は途絶えた。
さらにヨシオは掲示板で呼びかけた。同じ県内で、統合失調症と思われる20代前半の男性からメールがきた。一ヶ月ほどメール交換をした後、会うことになった。その打ち合わせでも、練炭自殺にこだわっていた。
2人は車の免許を持っていない。話し合いの結果、ヨシオがわざわざ免許を取ることになった。睡眠薬はすでに入手していた。精神科に通い、処方されていたのだ。眠れないわけではないのに、不眠を装ったのだ。さらに関西地方に住む女性(32)も加わった。
3人での打ち合わせをした後、統合失調症の男性は「やっぱり、死にたくない」と言い、抜けた。再募集すると、さらに別の20代中程の男性が加わるが、途中で脱落。結局は女性との2人になる。ただし、その女性は別のグループを優先して、連絡が取れなくなった。
「自分が世界のすべて。つまり、自分がいなくなれば世界が終わる、という考えもあるけれど、自分が死んでも世界は続くとも思っています。いずれ人は死ぬんです。ただ、そう感じながら生きていくのも嫌です。だから、他人と約束していれば、〝死ななければならない〟でしょ」
取材をした数日後、ヨシオが行方不明となった。父親が所有する車に乗り、いなくなった。その後、ヨシオは、先の女性と一緒に発見され、死亡が確認された。
宗教2世としての苦悩があった。一時は少年院での「内観」で親への感謝が芽生えた。しかし、それまでに培った人間関係のスキル、人生観などはなかなか変えられるものではなかった。
ストレスが蓄積された結果、「死にたい」という感情を湧き上がらせた。宗教2世は思春期に独特な悩みを抱える。そのケアを充実させる必要性を感じている。
取材・文/渋井哲也 写真/shutterstock