『週刊プレイボーイ』でコラム「呂布カルマのフリースタイル人生論」を連載している呂布カルマ
『週刊プレイボーイ』でコラム「呂布カルマのフリースタイル人生論」を連載している呂布カルマ
ラッパーとしてはもとより、グラビアディガー、テレビのコメンテーターなど、多岐にわたって異彩を放っている呂布(りょふ)カルマ。『週刊プレイボーイ』の連載コラム「呂布カルマのフリースタイル人生論」では『大学生活』について語った。

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★今週のひと言「骨折してスタート失敗。童貞大学生の芸大ライフ②」

ゴールデンウイークも過ぎ去り、そろそろ皆も新生活に慣れ始めてきた頃だろうか。4回前のこの連載コラムで、大学生活のスタートを腕の骨折が原因で大失敗し、学校に居場所を失った話をしたと思うが、今回はスタートを誤った童貞大学生のその後について。

俺の通っていた名古屋芸術大学美術学部は、専門コースにそれぞれ分けられるのは2年生からで、1年生のうちは全員共通でひと通り各コースの入り口に触れさせられる。

漫画家になるために画力の向上を目指して入学し、ひたすら絵だけを描いていたかった俺にとってはよけいなお世話だったのだが、中にはなんとなく芸大に入ってきたヤツもいたはずで、そんなヤツらの適性を見極めるためのシステムだったのだろうか。

とにかくそんな感じで、大学に入学して一発目の課題は粘土細工だった。

なるべくリアルに野菜や果物を粘土で作る。ところがだ、俺はその当時、左腕を骨折(大学入学直前、高校のクラスメイトと腕相撲をして負傷)していて片腕だ。

俺が本来志望していた絵なら片腕でもなんとかなるが、粘土はそうはいかない。俺はいきなりつまずいた。

それに加え、高校までとは違って大学はどの授業を選択するかすべて自分で決められる。当然、進級やのちのち卒業までには規定の単位数が必要なのだが、当時の俺にそんな先のことまで考えられるはずがなかった。

片腕で課題もままならず、学校にも居場所がなかった俺は、最低限の授業しか履修登録せず、その登録した授業さえもまともに出席しなくなった。

数ヵ月して骨折が完治した後も、地元にはなぜか平日の昼間から遊んでくれる友達が何人もいたから遊びには困らなかった。

それと確かその頃、実家で飼っていたウサギが子ウサギを大量に出産したりして、ウサギなんかはすぐ大きくなってしまうから子ウサギ期は非常に尊く、そして言葉ではいくら説明しても伝わらないのだが、絶対にあらがえないほどにかわいい。

俺は子ウサギに夢中になり、しばらく大学をサボりまくっていた。

いや、これは2年生の頃だったかも。まぁ20年以上も前だ。そのへんは曖昧だが、とにかくさまざまな理由にかこつけて、大学をおざなりにしてしまっていた。

たまにキャンパスに行っても写真をやらされたり、芸大行ってんのになぜか体育をやらされたり。今考えるとなんで体育とか英語とかやっていたんだろう?

そんな感じで、アッという間に自由な1年間が終わる頃、年度末にその年に制作した作品の学内展示、レビューというものがあった。

その展示を各コースの先生たちから評価を受け、それぞれが志望する専門的なコースに割り振られていくのだが、まともに通っていなかった俺はレビューの存在自体知らず、参加しなかった。

数日後、学内掲示板に呼び出しが張り出されているのを見つけてのんきに学務部を訪ねたところ、お互いに驚いた。

学生たちは皆1年の集大成であるレビューのため、何日もかけて少しでも見栄えを良くするよう準備をしていたのに、それを知らなかったわけはないだろうと。

けど、友達がひとりもおらず、まともに通ってもない俺は本当に知らなかったんだと説明すると、なんと俺ひとりのために泣きの展示をさせてくれるというではないか。

しかしあろうことか、俺はその温情の特別個人展示さえすっぽかしてしまうのである。その話はまたいずれ。

撮影/田中智久