年を重ねたからこそ、「大人」になったからこそ気づけることや口に出せる言葉がある。

若い頃は「ありがとう」という感謝の気持ちや謝罪の気持ちを心の中で思ってはいても、なかなか口に出せなかったりする。でも、経験を積むことでよけいなこだわりやプライドが溶けてなくなっていくのか、素直に言葉に出せるようになったりする。そう考えると、年齢を重ねるのは悪いことばかりでもないと思える。

■年をとることは「わかりやすくなる」こと 料理家が至った境地

50代を迎え、もう十分に大人になった今の視点から、料理家の飛田和緒氏が日々の生活を「自分の言葉」で伝えるエッセイ『おとなになってはみたけれど』(飛田和緒著、扶桑社刊)が味わい深い。

飛田氏は、神奈川県の海辺の町に暮らし、近所の野菜や漁師の店の魚などで、シンプルで素材の旨味を生かしたレシピが人気の料理家。

旬の味はシンプルがいい。飛田氏がそう感じるようになってきたのは、40歳を過ぎた頃。調味料が格段に美味しくなっているから、足し算よりも引き算をしながらの料理が多くなってきたという。

そんなシンプルな料理を作る飛田氏だが、暮らしの中ではとにかく捨てられない性格だった。本や雑誌は本棚に収まりきらず、ベッドサイドやリビングの隅は積読の山。さらに、家にあふれるものは無駄な買い物だったと、反省する反面、そのときは楽しんだからいいではないかと、開き直る気持ちもあったという。それが、50歳を過ぎてやっと物欲が収まり、ようやく必要なもの、欲しいものを見極められるように。

50歳を過ぎて、飛田氏の生活は「ものを減らす」というより「ものが増えなく」なりつつある。使わない、着ないものに囲まれていることが落ち着かないと感じる変化があったという。やはり、少しでも片付くと、心の波が鎮まるような気がすると綴る。これも大人になり、若い頃とは変わった一面なのだろう。

また、飛田氏が年齢を重ねたことによる体の変化を綴った「わかりやすくなる」という表現も、なんだかいい。若さへの執着も、自分の老いへの自嘲も感じられず、フラットな感じがするからである。

飛田氏の場合、原稿がたまってくると、肩が凝ってくる。精神的に詰まってくると、肩や腰にくるようになった。外的な環境や精神状態が、わかりやすく体にあらわれるようになったという。体が疲れたときは、とにかく寝ること。

家が仕事場で、仕事の内容も生活の一部のため、プライベートと仕事の区別がつかず、気持ちの切り替えも難しい。なので、頭の中を空にする時間を飛田氏は大切にしている。庭の草むしりや土いじり、鍋磨き、アイロンがけや拭き掃除など、無心でできる作業が気持ちを入れ替える時間となっている。無心でできる家事が、ストレス解消法の一つになることがわかったのも、ここ10年くらいのことだという。

「正直ちょっぴりあがいてはいるけれど、年を重ねるのは楽しい」と素直に言える飛田氏の日々を綴ったエッセイ。大人になることは、体の衰えや仕事の責任が大きくなるなど、ストレスや疲れも抱えやすい。そんなとき、飛田氏のエッセイを読むと、大人になった自分を楽しむ気持ちを思い出させてくれる。

(T・N/新刊JP編集部)