「特急の停まる無人駅」として知られる、鹿児島県の肥ひ薩さつ線「嘉か例れい川がわ駅」。ある日、旅の途中のようにふらりと現れ、待合室に居ついたのは、青い目をしたたぬき顔の猫。人懐こい彼は、やがて「観光大使」の命を受け、地区の活性化に乗り出した。

(末尾に写真特集があります)

フレンドリーな猫紳士

 河津桜と菜の花が線路ばたに満開の春の週末。JR肥薩線「嘉例川駅」の一つだけのホームに、観光列車「特急はやとの風」が入ってきた。停車時間は6分。明治36年に建てられた駅舎は味わいある木造建築で、国の登録有形文化財になっている。ホームに降り立ち写真に収める人も多い。

 飼い主の山木由美子さんに抱かれてホームにいたにゃん太郎は、たちまち猫好きグループや家族連れに取り囲まれた。「何回来ても会えなかったけど、やっと会えた!」と、うれしそうな女性。初めてにゃん太郎に会って撫でさせてもらい、「この猫、なんでこんなにおとなしいの。ふーん、おじいちゃんなんだあ」と、納得顔の男の子。触りたいけど触れない小さな女の子のそばでニコニコと目を細めるおじいちゃん。

 推定16〜17歳のにゃん太郎は、大勢に囲まれて撫でられても、動じない。老若男女誰にでもフレンドリーな猫紳士だ。そのブルーの瞳は、澄みきって、「この世の中はいい人ばかり」と信じているようでもある。チョコレート色と白のツートンカラーの毛皮だが、耳と鼻周りだけが黒いのが、たぬきっぽい。

嘉例川駅の観光大使猫「にゃん太郎」と山木由美子さん

 待合室には、JRから寄贈された「観光大使」用の屋根付き猫ベッドが置いてある。壁には、「にゃん太郎は愛され猫。さくらねこ。ご飯はちゃんと足りてるにゃ」と、ファンの餌やりをやんわり断るポスター。平成28年5月5日付の「観光大使」任命証のあて名は、「たぬき猫
 にゃん太郎殿」とある。

そして、こんな貼り紙も。「にゃん太郎に会いに来てくださり、ありがとうございます。にゃん太郎は、高齢のため、今後は体調を見ての出勤となります。あたたかく見守っていただければ幸いです。にゃん太郎の母より」

耳カット済みの迷い猫

 にゃん太郎の鼻先の黒い模様は、風の又三郎がマントをひるがえしているようでもある。そう、にゃん太郎は、5年半前の11月、北風と共にこの駅にふらりと現れたのだった。すでに10歳を超えたさくら耳カットの猫だった。どこかで可愛がられていた外猫だったと思われるが、旅心に誘われ、山道をここまでやってきたのだろうか。

「この子がやってきた日のこと、よく覚えていますとも。ええ、一目で大好きになりました」と、山木さん。

 駅前の「ふれあい館」所長をしていた山木さんは、餌を与えながら、飼い主が現れるのを待ったが現れない。誰に聞いても知らない猫だった。人懐こい猫は、無人駅の待合室をねぐらと決めて居ついた。

 寒さが増してきたので、山木さんはねぐらの籠を用意した。「にゃん太郎」という名もつけてやった。駅を利用する人たちがおやつや掛け布を持ち寄ったり、学生たちが寝入る猫にそっと毛布を掛けなおしてやったりと、にゃん太郎は「駅猫」として認知されていく。

女性と嘉例川駅の観光大使猫「にゃん太郎」

 当時の嘉例川駅は、乗降客も少なく、駅前は閑散として賑わいのない駅だった。おまけに寝台列車の「ななつ星」が停まらなくなることも決まり、さびれる一方と思われた。

 駅100周年をきっかけに作られた「嘉例川地区活性化推進委員会」の委員長になった山木さんは、ひらめいた。そうだ、にゃん太郎にひと役かってもらおう!

観光大使、大人気に

 かくして、風来のにゃん太郎は、嘉例川地区をにぎやかす特命を帯びて、「観光大使」に任命された。

 無人駅で暮らす観光大使のたぬき猫・にゃん太郎は、テレビや雑誌にも取り上げられ、全国からにゃん太郎に会いに来る人が増えていった。古い駅舎に佇むにゃん太郎には、愛嬌と華があった。ひな祭りなど季節折々の駅でのイベントも企画され、にゃん太郎の周りに笑顔と笑い声が溢れた。山木さんたちが願った「いろいろな人が集い、子どもたちの声でにぎわう駅前に」という夢を、にゃん太郎が叶えたのだ。

 駅にいるにゃん太郎を撮り続けているカメラマンの大鷹さんは、「やってきたばかりのときはガリガリの犬体型で、みるみるふっくらたぬき体型になっていった」と笑う。

ホームで伸びをする嘉例川駅の観光大使猫「にゃん太郎」

 駅で自由に暮らし、来る人来る人に愛想よく「観光大使」としての勤めにも励んでいたにゃん太郎だったのだが……。夏休みとなり、切れ目なく訪れるファン対応に、にゃん太郎はさすがに音をあげた。そして、プチ旅を決行した。

「ある日、ふと見たら、うちの車庫でにゃん太郎がへたばっていたんです。駅からうちまで2キロ近く。家に連れ帰ったことはありません。私の車がやってくる方角と、車の匂いだけを頼りに、踏切を渡って辿り着いた……その姿にボロボロ涙がこぼれて、うちの子にすると決めました」

 でも、にゃん太郎は、駅や人間が嫌いになったわけではなく、多忙のあまり職務をエスケープしたくなっただけのようだった。以来、常駐から通勤の「観光大使」になった。昼前に山木さんが駅に連れて行き、夕方に迎えに行くという勤務体制だ。にゃん太郎も心得たもので、ひとりでのんびりしたいときは人目につかないベンチなどで風に吹かれて過ごした。

悠々自適の老後

 重役勤務となり、お達者で駅に通っていたにゃん太郎ではあるが、16歳過ぎと言えば、人間だと80歳くらいのおじいちゃん。「今日の勤務はもう終わり」と思えば、夕方の山木さんの迎えを待たずして、お得意の方向感覚で線路を渡り、藪道を通って自宅に帰ってしまう。

 勤務中に本物のたぬきに襲われ肩を咬まれて病院へ担ぎ込まれるという、山里の駅ならではの事件もあり、昨年夏には体調も崩してしまった。老齢期になり、腎臓機能が悪くなっていたのだ。

 そのため、現在は、ほぼリタイア状態。「高齢のため、体調を見ての出勤」と書かれた待合室の張り紙を見て、心配顔のファンも多いが、ご安心あれ。点滴・注射のため、病院に週2回通うほかは、悠々自適、大好きな山木お母ちゃんに甘え放題の日々を送っている。体調のいい時やイベント時など、駅に顔を出すときは山木さんがずっと付き添う。

抱っこされる嘉例川駅の観光大使猫「にゃん太郎」

 子どもたちに囲まれて「かわいい〜〜」と口々に言われたり、ゲートボール帰りの地元の皆さんに「元気そうじゃね」と声をかけられたり。いろいろな手に撫でてもらって、まんざらでもなさそうに目を細めるにゃん太郎だ。構内を悠然と歩く姿にも「観光大使」の誇りが、まだまだみなぎる。

「家の中ではどこでも後をついてきて、お風呂に入っても『ニャンニャン(入れて)』とうるさくて。それで、入れてやって、肩湯をかけてやると気持ちよさそうにしていますよ。しょうがないわね、にゃん太郎はお母ちゃんの子だからねえ」と、山木さんも可愛くて可愛くてたまらない様子。

 どこからやってきたのやら、ねぐらも勤務先も終生の我が家も自ら訪ね当てて、今は平穏な老後を得た旅猫にゃん太郎。鼻先の黒い模様、風の又三郎がひるがえす旅のマントはもう脱がなければ、ね。

(文・佐竹茉莉子 写真・芳澤ルミ子)

(sippo編集部より にゃん太郎は7月11日、天国へ旅立ちました)

嘉例川駅
住所:鹿児島県霧島市隼人町嘉例川
TEL:0995-45-5111
JR九州駅弁グランプリで3年連続1位に輝いた全て手作りのお弁当「百年の旅物語 かれい川」。嘉例川駅と特急はやとの風の車内でのみ販売されているレアなお弁当は、百年を超える無人駅嘉例川駅をイメージして地元食材にこだわって作られました。鹿児島の郷土料理で、さつまいものかき揚げのような「がね」も味わえます。

「百年の旅物語 かれい川」
価格:1,091円+税
購入方法:嘉例川駅(10:30頃〜土日・祝日のみ販売)、特急はやとの風車内(2日前までにJR九州の各窓口で要予約)
商品に関するお問合せ:森の弁当 やまだ屋
TEL:090-2085-0020