1人のサッカー選手が、スパイクを脱ぐ。その光景はいつだって感傷的なものだが、12月5日のデンカビッグスワンスタジアムには、粋な舞台が用意されていた。
 
 前日の4日、今季限りでの現役引退を発表した新潟の田中達也は、J2リーグ42節・新潟vs町田戦で先発出場。キャプテンマークを巻き、1トップのポジションに入った田中は、現役最後の試合を噛み締めるように、ピッチを駆け回った。そして迎えた32分、交代ボードに刻まれた背番号14。三戸舜介と交代するため、9年間、ホームスタジアムとして戦ったビッグスワンのピッチを去る時、思わぬ光景が目に飛び込んできた。

 新潟と町田の選手、そして両チームのベンチメンバーやコーチングスタッフが“花道”を作り、田中を送り出したのだ。一歩一歩、現役最後のピッチを踏みしめるかのように歩みを進める田中。自身の仲間だけではない。相手チームの計らいにも、当人は驚きを隠せなかった。

「新潟だけではなく、町田の方々の協力がなければ、あのような形での交代の仕方はできませんでした。多くの方々の協力があったことに、とても感謝しています」

 前日には国内トップリーグの担当審判員を、今季限りで勇退した村上伸次主審や、家本政明主審の功績を称え、試合後に両チームの選手たちが両主審の花道を作っていた。しかし、試合中のこうした事例は異例な出来事だ。両陣営をそこまで突き動かしたもの。それは田中の実績に敬意を表したからに他ならない。

 現役最後の試合後、田中は昨季チームメートだった町田の鄭大世と対話の機会を持ったという。
「思い出話だったり、どうして(引退を)決めたのか。そういった他愛のない話をしました」

 惜しまれつつ現役最後の試合を終えた田中は現在39歳。浦和で12年。新潟で9年。プロ生活21年、ともにサッカーが根付くホームタウンで過ごす日々は、ピッチ外でもサッカーに対する熱量を体感できる貴重な時間でもあった。

「浦和の方が熱いイメージで新潟は温かいイメージです。それぞれのクラブの色や、関わる人々、そして選手の特徴からずっとそう思ってきました」

 ピッチを離れてもなお感じる、それぞれのホームタウンのサッカーに対する熱量。全く性質の異なるホームタウンでサッカー人生を送れたことも、彼の財産のひとつだろう。

【動画】現役ラストマッチを終えた田中達也を“試合中”の花道で送り出す
 花道を通ってピッチを去る時も、引退セレモニーでスピーチをしている時も、さすがに涙を隠し切れなかった。それでも、試合後のオンライン会見に登壇した田中は、晴れやかな表情をしていた。
「100パーセントは出せたと思います」

 前を真っ直ぐに見つめながら、現役最後の30分間を田中はそう振り返った。

 その会見では、浦和レッズで切磋琢磨してきた盟友・長谷部誠とのエピソードを明かした。今もドイツで現役を続ける元日本代表キャプテンへ、引退報告の連絡をした際、長谷部から掛けられた言葉が印象に残っているという。
 
「ハセは冗談で言っていると思いますが、『やっと達也が(現役を)やめたから、オレも自分で決められるわ』と言っていました」

 浦和でチームメートだった当時から「常にライバル関係」(田中)であることを意識してきたという長谷部との関係性。

“アイツが先に現役をやめると言い出すまではやめられない”。

 日本とドイツ。二人は遠く離れていても、常にお互いを意識し、認め合ってきた。そうした長谷部の存在も、田中が息長く現役を続けられる原動力だった。

「ハセはいつも僕のことを気にかけてくれていました。こうして現役引退を発表したことで、僕の肩の荷も下りたなと思います。これからはハセがドイツで頑張っている姿を応援します」

 長谷部よりも先にスパイクを脱ぐ決断をした田中。「ハセはドイツでやれるだけ頑張れ」と伝えたという田中の意思は、長谷部の心に、確かに刻まれたに違いない。

取材・文●郡司 聡(フリーライター)