[インタビュー連載]パリの灯は見えたか|vol.3 山本理仁/後編

 順風満帆のサッカー人生を過ごしてきた一方で、東京Vでのプロ入り後は苦難の連続だった。2年目のシーズンからスランプに陥り、何をしてもうまくいかない日々が続く。

「サッカーが楽しくない」

 そんな言葉を残す場面も珍しくなく、山本理仁の顔から笑顔が消えた。「自分の通過点になる大会で、世界に飛び出すために勝負になる」はずだった同年に開催予定のU-20ワールドカップも中止に。さらに恩師の永井秀樹氏(現・ヴィッセル神戸スポーツダイレクター)が2021年の9月にトップチームの監督から退いた。何もかもがうまくいかない――。永井氏に恩返しができないまま、別々の道を歩むことになった。

 苦しんでいた有望株は失意のどん底にいた。このままでは終われない。パリ五輪を見据える男は新たな出会いを肥やしに前に進み、再び輝きを取り戻した。“サッカーを楽しむ”。原点とも呼べる感覚を取り戻した男は東京Vで輝きを放ち、昨夏に大きな決断を下す。愛するクラブを離れ、さらなる成長のために新天地を求めた。

 G大阪で過ごす日々は刺激的で、ヴェルディ時代とはまた異なる楽しさを噛み締めながら前進を続けている。光は見えたのか――。パリ五輪を見据える注目レフティの今を追う。

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 2021年9月、永井氏と離れた山本は新たな監督の下でプレーを始めた。堀孝史氏(現・ベガルタ仙台コーチ)の下でスランプからの脱却を図ると、徐々に本来の良さを取り戻していく。

 セントラルMFのポジションで起用されると、創造性豊かなプレーと確かな戦術眼で瞬く間に東京Vの中心となった。なぜ、復調を果たしたのか。きっかけは自分と向き合ったからだ。山本は言う。

「守備が課題だったので他の選手のプレーを見て、自分も真似しようとし過ぎていた。特にジョエル(藤田譲瑠チマ/横浜)のプレーに影響され、アンカーならボールを取れないといけないと強く思い過ぎていた」

 調子を落としていた2021年シーズンは、前半戦の途中に出場機会を失ってしまう。ベンチを温めた期間に自分と向き合い、守備の課題を克服しながら自分の良さを取り戻すために“真似”を止めた。その時に脳裏によぎったのが永井氏からの言葉だったという。

「お前にはお前の良さがある。真似はしなくていい」

 考えが整理され、堀氏が監督に就任したタイミングで一気に状況が変わる。

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「1回力が抜けた」という山本は守備のタスクを担いながら、攻撃面では才気溢れるプレーでチームを牽引。2022年シーズンは開幕からレギュラーとしてハイパフォーマンスを見せ、パリ五輪世代の代表チームでも立ち上げから重要な役割を担った。

 3月下旬のドバイカップではキャプテンマークを巻き、第2戦のカタール戦では “キャプテン翼”を彷彿させる難易度が高いボレーシュートを捻じ込んだ。ゲームを作る役割に加え、攻撃面では勇猛果敢にゴールを狙う。肝心の守備面でもハードワークを怠らず、第3戦のサウジアラビア戦では、最終盤まで足を止めずに身体を張ってチームのために戦い続けた。

「当たり前にやっただけ」

 そういった山本の表情からは充実感が滲み、サッカーを心の底から楽しんでいる様子が伺えた。

 その後も好調をキープし、クラブでも代表でも安定したプレーを披露。6月のU-23アジアカップでは代表で主力として活躍し、大岩剛監督からの信頼も勝ち取った。そして、迎えた7月。山本はサッカー人生で最も大きな決断を下す。15年近く過ごした東京Vから巣立つ意思を固めたのだ。きっかけは7月のE-1選手権だった。
 
「あの時はジョエル、ザイオン(鈴木彩艶/浦和)、真大(細谷真大/柏)がパリ五輪世代からメンバーに入っていた。その時に記事で森保(一)監督のコメントを見たんです。(スケジュールの問題も含めて)J2からは選びにくいのかなと。やっぱり上を目ざさないといけない。そう感じたんです。ヴェルディの居心地が良過ぎたのも自分の中であった。環境を変える必要性があったんです」

 新たな道に進むしかない。しかし、その一方でヴェルディに対する思い入れが強く、何も残していない状況で去れないとも感じていた。

「ヴェルディからは残ってほしいと言われていたし、(もっと結果を残せば直接)海外に行ける可能性もある。でも、ガンバからの回答期限も迫っていて…。本当に夜も眠れないし、布団に入ってもドキドキして、2日間ぐらい寝られなかった。オファーが来て幸せだったのに…。ここまでしんどかったのは初めて。本当にヴェルディが大好きだし、仲間と離れるのもすごく嫌で不安も大きかった。移籍は冬でもいいのでは?とも思いましたから」

 自身でも驚くほど悩んだ。同級生・藤田がステップアップを果たしており、その姿を見て「オファーが来たら迷わずに行きたい」という想いがあった。しかし、いざその状況に置かれると、決断は簡単ではない。

 そう気付かされた山本は、「副キャプテンを任されていた自分が抜けることはどういうことなのか。チームに対する申し訳なさが一気に湧いてきた」。苦悩の日々を過ごし、辿り着いた答えは――。新天地で新たなスタートを切ることだった。

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 東京Vに所属していた際の負傷(内側楔状骨骨折)のため 、復帰まで3か月を要し 、移籍初年度は2試合(計23分)の出場に留まった。それでも、新たな環境での挑戦は刺激的だったという。

「このクラブを選んで良かった。選手の質が高く、練習から緊張感が違った。そういう日々を過ごしているからこそ、大事な局面で自分のクオリティを発揮できる」
 
 ほとんど試合に出られなかったが、残留争いの真っ只中に行なわれた31節・柏戦(0−0)、32節・横浜戦(2−0)でピッチに立てたのは財産だった。東京Vでは昇降格に絡んでおらず、今までに味わった経験がない緊張感を味わえたからだ。

 そうした経験値を携え、今季はキャンプ中からレギュラー争いに身を投じた。イスラエル代表のネタ・ラヴィ、ブラジル国籍のダワンといった助っ人とアンカーのポジションを競い、インサイドハーフには経験値豊富な宇佐美貴史もいる。そうしたハイレベルな戦いの中で今季はリーグ戦7試合出場で先発は1度。出場時間は137分に留まっているが、充実感は今までのサッカー人生で最もある。
 
 U-22日本代表でも同世代の仲間と接し、海外組との会話から新たなモチベーションをもらった。プレー面でも新たな発見があり、今年3月の海外遠征では「東京V時代よりも判断スピードが上がり、できる手応えは得た」という。

 春の匂いが漂うパナソニックスタジアム吹田。慣れ親しんだヴェルディを離れ、早9か月が経過した。レギュラーの座は勝ち取れていない。リーグ戦では途中からの出場が続く。しかし、山本の表情は充実感に満ち溢れている。

 理仁と書いて“リヒト”と呼ぶ。名前の由来はドイツ語で“光”だ。

「優先順位はA代表。そこからオリンピックに行きたい」

 パリ五輪まで残り1年2か月。光を探し続けてきたプレーメーカーは、向上心を持って直向きに走り続ける。自分の未来を切り開くべく、今は最高のクラブでさらなる高みを目ざす。

※このシリーズ了

取材・文●松尾祐希(サッカーライター)

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