女性レフェリーが堂々と笛を吹き試合を統率している。

 最近はJFLの試合前日のルーティンとして、DAZNでJリーグの14時キックオフの試合から19時キックオフの試合まで、3試合(2試合半)見る機会が増えている。
 

 その度、偶然だが女性レフェリーが笛を吹く試合が必ずあり、興味深く見ていた。

 女子リーグで女性が吹くのは自然だが、男子リーグとなると、海外で女性が吹いているワンシーンを見たことがあるだけで、しっかり90分間プラスアディッショナルタイムまで吹いた試合を見たのは初めてであった。

 男女平等ではあるが、男性と女性では身体能力、走るスピードも体力も違う。
 もしそこに性別をなくすとなれば、オリンピックの男子100m、女子100mも男女100mとなり、マラソンも男女マラソンに……。当然だが記録に差が出てしまう。それは仕方がない。

 サッカーにおいても、プレースピード、判断スピードには違いがあり、男女問わずレフェリーがついていけない場合もある。

 しかしそれは仕方がないことであり、それも含めてサッカーという競技であった。

 ここ数年の“誤審”の多さからかVAR(ビデオ・アシスタント・レフェリー)が導入されて決定的なシーンには確認が入る。

 女性審判がJリーグで笛を吹く時代になったのは、そうした主審をサポートする態勢も充実してきたためなのであろうか。

 彼女のレフェリングには驚いた。まるで選手と同じだ。

 選手にも足の速い選手と遅い選手はいる。筋力のある・ない、強い・弱い選手も存在する。その身体能力の差を埋める何かを武器として闘うのが選手だ。

 僕はレフェリーの資格を持っていないし、レフェリーになれる基準も知らない。だが、きっと厳しいフィジカルテストなどをクリアした人たちが、レフェリーになる資格を得るのだろうが、やはり一方でセンスのようなものが大事になると思う。

 それは身体能力をカバーする。ポジショニングや動体視力のようなもの。選手で言えばスピードや瞬発力、パワーなどが足りなければテクニックをつける。頭を使う。判断する。人より早く考える。速く動く。インテリジェンスを働かせる。

 まさしく、それが女性レフェリーに求められるものなのであろう。女性であるという身体能力的なハンディをいろんな工夫(アイデア)によってカバーしているのではないか。そうでなければ90分間、務まるものではない。

 そして、一つひとつのジャッジにおける態度でも、レフェリーに物を言えるタイミングを与えていない。両チームに対してフェアな雰囲気が流れていた。
 
 確か、名古屋グランパスvs横浜F・マリノスの試合だったと思うが、ラストチャンスのコーナーキックを蹴らせる前に試合終了を告げた。

 これも凄い勇気である。ベンチ、選手がよく言うのは「蹴らして下さい」のような交渉をする。ほとんどのレフェリーがラストワンプレーとする。
 
 そこには、いろんな意味合いがあるのであろう。
時計を止める、ラストプレーに何かが起こる、スポーツという筋書きのないドラマ、エンターテイメントとして時間を与える……。それは別角度で捉えれば、大事なことでもある。

 アディッショナルタイムは、レフェリーの権利みたいなもので、本人しか分からない。ラストプレーでコーナーキックを蹴らせる・蹴らせないという判断も、レフェリー次第で変わるのだろうが、あの場面で試合終了の笛を吹いた彼女は凄い判断をしたのだと思う。

 フットサルであれば時計を止める。バスケットボールも時計をその都度止めてプレーする時間が試合時間になる。

 サッカーのルールは違う。ファウルで止まる。スローインで止まる。ロングスローを多用するチームはその都度タオルでボールと手を拭き、試合が止まる。接触で選手が倒れて止まる。怪我などで長く止まる時もある。異例な場面ではユニフォームが破れても止まる。交代も止まる。レフェリーがベンチに何かを言いに行って止まる。ゴールキック、コーナーキック、フリーキックも蹴る瞬間まで止まっている。

 そしてサッカーはプレーをしている時間は長くて60分間という。

 あとの30分は試合が止まっている。そのうち、長くて7分のアディッショナルタイムはレフェリーが決める。

 僕が言っていることが間違っていたら申し訳ないが、第4審判がレフェリーにアディッショナルタイムの分数を聞いて時間の掲示板を出すのだから間違いないであろう。

 決めることができるのは、レフェリーなのだ。

 僕がDAZNで見ていたのは、厳密には試合終了間際のコーナーキックがエンドラインを割り、再びコーナーキックになったという2本目を蹴らせず試合終了した、という場面だ。

 もしかしたら1本目はレフェリーが蹴らせてあげたのかもしれない。ただし、レフェリーに聞いても、絶対にそんなことはないと言うであろう。

 試合時間が終われば終わり。

 躊躇なく試合終了の笛を吹いた女性レフェリーに拍手だった。
 
 僕が育成の指導者をやっている時にこんなことがあった。

 小学生5年か6年の公式試合だった。公式戦と言っても、区大会のさらに予選のような試合だ。
 
 ラストプレーでセンターフォワードがスペースを抜け出しGKと1対1になった。そしてドリブルでシュートという瞬間、レフェリーは試合終了のホイッスルを吹いた。

 これでもレフェリーに文句を言ってはいけない。区の大会であればレフェリーの免許を持った別チームの監督かコーチ、または父兄の方であろう。

 僕はその場にいて時間通り終わることは大事だが、そのレフェリーが育成に関わる人であることが本当に寂しかった。

 プロであればエンターテイメントとしてやらせて欲しいだけで良い。しかし、子どもはそのプレーの成功、失敗でその先、大きく成長度が変わるはずだ。

 1対1をゴールすれば。失敗すれば。それをシュートブロックできたか、抜かれて入れられるか? もちろん笛が鳴ってしまえば分からない。

 今はJ1であればVARがある。試合が終了していたかどうかをVARで確かめることはないが、バスケットボールにはある。

 サッカーの場合、万が一女子レフェリーのスピードが追いつけず、決定的なシーンでのジャッジミスがあったとしてもJ1であれば、しっかり確認できる。(女子だけではなく、男子レフェリーでもミスを見逃さない時代になっている)

 ITテクノロジーが発展してサッカー界もVARを導入。別室でTV画面、モニターを前にレフェリーの格好をした人が3、4人いる。

 それならそのレフェリーを使って、レフェリーを3人にする。線審(ラインズマン)を4人左右に置き、ゴール横に1人ずつポストの横に置いて、サッカーは人の目で行なう――というのも良いかもしれない。

 柔道の判定で旗の多い方が勝ちのように、判定を何人かの多数決にする。それは選手もやりづらい……。

 間違いなくVARの導入によって女子レフェリーも思い切ってチャレンジできる環境になったのであろう。

 大事なのは僕で言えばペレの時代から、マラドーナ、ジタンと、それぞれの時代の英雄に象徴されるようなサッカーの魅力、それが変わらず伝えられていくこと。未来においてもサッカーはそうであってほしい。

 今も昔も、サッカーにはたくさん魅力的なことが起こる。変わらないように変わっていくことが大事なのであろう。

 コンビニでも自動精算機がある。ユニクロへ行けば、カゴを置いただけで何点買っても自動で支払い精算ができる。

 サッカーもロボットがレフェリーをやる時代が来るなんて言ってほしくない。

 人が情熱的に、感情を爆発させてプレーする。それをレフェリーが冷静にジャッジする。

 今回、レフェリーの大事さを改めて感じることができた。

2023年5月15日
三浦泰年
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