関東大学サッカーリーグ第5節・法政大対筑波大の一戦。法政大は1−5の完敗を喫してしまったが、途中出場の2年生ストライカー・相澤デイビッドのプレーに目を奪われた。

 相澤が投入されたのは、0−3で迎えた77分のこと。点を取るためにMF髙橋馨希に代わってピッチに入った相澤は、195センチの規格外の高さとフィジカルを武器に、最前線で空中戦の強さとポストプレーを披露した。

 日本文理高時代から、すらっとした足と、高さに加え、下半身も上半身もバランス良く鍛え上げられていて、力強さとしなやかさを兼ね揃えたストライカーとして、試合を見るたびに驚きを与えてくれる選手だった。

 ライナーの高いボールに対し、驚異的なジャンプを見せると、そのまま胸で収めてターンしたり、鋭い動き出しでディフェンスラインをブレイクして、長いストライドで相手を置き去りにしたりと、前線でのパワーとスピードは目を見張るものがあった。

 だが、彼が高校3年生の時の日本文理は新潟県リーグ1部に所属しており、かつ3年間で一度も全国大会に出場できなかったこともあり、凄まじい素材を持ちながらも全国区にはならなかった。
 
 それでも、関東大学サッカーの強豪大学が相澤の才能を見逃さなかった。目立たなかったが、水面下では強豪大学同士の激しい争奪戦が繰り広げられた結果、進路は法政大に決まった。

「県リーグでプレーしていて、全国区ではなかった僕を欲しいと言ってくれたことが嬉しかった」と、相澤は感謝しながらも、「ほとんどの人が僕を知らないと思うし、実際に新潟県のレベルから大学に行けば、いきなり全国トップレベルの戦いになる。通用するのかは不安がある」と正直な気持ちを口にしていた。

 だが、臆することなく法政大に進み、2年生ながら出番を得ている。確実な成長の跡を見せながら。

「最初はレベルの差があまりにもありすぎて戸惑ってばかりでした。でも、だんだん慣れてくると、ポストプレーは出せるようになってきたし、通用する自信も出てきた。でも、まだ本当に自分のプレーができているかと言われたら、そうではありません」

 筑波大戦後のミックスゾーンで話すと、自身の現状をこう口にした。彼の言うように、まだ『ターゲットマン』の要素が強すぎて、本来持っている一発の裏への抜け出しからのシュートや、スルーパスから抜け出してのシュートというシーンはなく、足もとやハイボールが多く、DFを背負いながら処理するというプレーが目立った。

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 もちろん、筑波大戦の試合展開を考えると、相澤が投入されたのも前線で起点となって、1年生ストライカーの小湊絆、MF中川敦瑛などの攻撃力を引き出して、1点でも多く返すという明確な狙いがあったからこそ、そこは仕方がないことだった。実際に88分には相澤のお膳立てから、小湊が一矢報いるドリブルシュートを決めた。

 その役割はかなりの質の高さを持って披露できることは、この試合でも証明した。だからこそ、もうワンランク上のステージに行くためには、高校時代に見せていたラインブレイクからのフィニッシュで、もっとアピールしていかなければならない。

「絶対にプロになりたいと思っているので、もっとやれることを増やしていきたいと思っています」

 自分を見つめながら、成長を求めて日々を過ごしている相澤には、明確な目標となる存在がいる。6人兄弟の3番目である彼は、2番目の兄、ピーターコアミに影響されてサッカーを始めたという経緯がある。
 
 GKであるピーターコアミは日本文理を卒業後、ジェフユナイテッド千葉に加入。しかし、1年目から怪我に苦しみ、プロ3年目の2021年に一度も出番を得られないまま契約満了が告げられた。

 相澤は「兄でもこんなに苦しむほど、プロの世界は厳しいものなのかと痛感した」と、自分が行きたい世界の現実を目の当たりにする。その一方で、「僕の中で兄はサッカー選手の見本というか、苦しい状況でも前を向ける人間。尊敬していますし、自分が苦しいと思った時に真っ先に相談するし、親身になって聞いてくれる。本当に凄い存在だと思っています」と、自分にとって唯一無二の存在として、苦しみながらも前に進む兄を心から尊敬をしていた。

 だが、その兄にさらなる困難が襲い掛かった。2021年12月のJリーグ合同トライアウトで、ピーターコアミはフィールドプレーヤーと激しく接触し、頭を強打。そのまま病院に救急搬送され、中心性脊髄損傷で全治未定という、選手生命どころか生命にも影響を及ぼすような大怪我を負った。

 これは当時、ニュースになり、多くのサッカーファンがその復帰を願った。身内である相澤は「もう兄を信じるというか、祈るしかありませんでした」と、心の底から兄を思い続けた。
 
 そこからの兄の姿は、相澤にとって心をより奮い立たせるものだった。あれほどの大怪我を負ったピッチにもう一度戻りたいと強く願った兄は、治療とリハビリを懸命にこなし、並みの人間なら絶望に襲われてもおかしくない状況でも、歩みを止めることなく、自分を信じて努力を重ね続けた。

 そして、復帰して2022年3月にJFLのラインメール青森に加入すると、今年はJ3のヴァンラーレ八戸に完全移籍して、再びJリーグの舞台に帰ってきた。

「本当に凄いという言葉しかありません。苦しんでいる姿や努力する姿を見てきたからこそ、僕も負けていられないし、一生懸命やらないといけない」
 
 ただ、尊敬しているだけではいけない。自分も成長し、同じプロになって、兄に刺激を与えられる存在にならないといけない。その覚悟が発する言葉から滲み出ていた。

 筑波大戦の翌日に行なわれたJ3第10節のいわてグルージャ盛岡戦で、ピーターコアミは初のベンチ入りを果たした。出場のチャンスこそ回ってこなかったが、一時期はサッカーを諦めないといけないかもしれない状態からのベンチ入りは、本人にとって大きな価値があり、弟である相澤にとってもさらなる勇気を与えたに違いない。

 奮い立つ要素は揃っている。あとはそれを体現するのみ。規格外のストライカーの成長と、個人的にはさらなる驚きを与えてくれることに大きな期待をしたい。

取材・文●安藤隆人(サッカージャーナリスト)