ねじれたサッカーの世界には、不可能を可能にする道は無限にある。ミステリアスなレアル・マドリーが絡めば、なおさらだ。今回、クラブの長い歴史における最新章で、新たな矛盾を探した。

 蝶から幼虫へと成長に逆行しても勝ち続けることができるし 過去に見せたことのないようなサッカーができるし、劣勢を強いられる展開でも、小さなチームのような守備的な戦いで偉大さを発揮する。

 舞台はホームの第1レグを3−3のドローで終え、マンチェスター・シティの敵地エティハドに乗り込んだチャンピオンズリーグ(CL)準々決勝第2レグだった。マドリーは歴史的なプライドを捨てることなく、雄弁にそのすべてを語った。

 マドリーのお気に入りの前提は決してあきらめないことであり、最後に選んだ道は、まるで銃をずっと頭に突きつけられているかのような苦悩に満ちたものだった。その戦いぶりは犠牲的精神に溢れ、選手たちはまつげにまでも痙攣を起こして試合を終えた。

 そしてもちろん、気高さ、寛大さ、忍耐力、連帯感といったサバイバルに生き残るために必要な要素を最適な配分ですべてを含んだ一種の競争欲のような英雄的精神に溢れた。マドリーは再びサッカーを少し先に進めた。
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 歴史は感情、偉業、統計の上に築かれる。マドリーはCLにおいてそのすべてを十分に備えている。シティの印象的なサッカーは、マドリーに別次元で試合と繋がることを要求した。芸術家が創造的な恍惚の瞬間にしか披露できないような狂信的な集中力が必要だった。

 侵略者としての相手、脅威としてのボール。シティが許さなかったため、それ以外の要素は存在しなかった。観客はバックグラウンドノイズに過ぎず、戦術は相手の猛攻の前ではカウントされない情報の一部だった。万が一、すべてがうまくいかないという結末は、超集中状態では考慮すらされなかった。

 苦しまぎれにシティの攻撃を凌ぐたびに、それがマドリーに残された最後の抵抗のように見えた。しかし、まるで守備のメカニズムというロープを張り直すかのように、次のシティの猛攻では再び全員が完璧な準備態勢を整えた。

 クルトワもミリトンもアラバもチュアメニもいなかったが、そこには、強靭なメンタルを持って魔法のような結末を自覚して戦う誇り高きチームの姿があった。勝利の女神からも敬われ、見守られているような長年にわたって築き上げてきた歴史への確たる自信が垣間見えた。
 
 今回はボールを魔法の杖に見立てて3分間ですべてを変えた2シーズン前とは異なり、120分間という長い時間をかけてピックとシャベルで奇跡を起こした。シティのプレーはサッカー界の祝福であり、対戦相手を死に至らしめるまで従属させる。

 しかしアンチェロッティは試合後、マドリーは決して死なないと胸を張った。その通りだ。しかもシティ戦でのマドリーは、いつも以上に死の淵から甦る準備が整っているように見えた。

 最初の1本を外したPK戦でも、その失敗とそれを犯したのがモドリッチであったことで我々は二重の痛みを味わった。しかしその後、ベリンガムに続いて、ルーカス・バスケスとナチョという傑作映画を支える脇役がキッカーを務め、成功させた。
 
 最後に登場し決めたのは、マドリディスモにもろ手を挙げて受け入れられた表情豊かでハッピーなライオン、リュディガーだった。ファンは勝利の喜びを苦しみの大きさに比例して祝った。興味深かったのは、PK戦で歓喜の最大の立役者を演じたルニンが身じろぎもしなかったことだ。

 アンチェロッティが言ったように、マドリーは死ななかったのだから、あの墓掘人のような表情も見かけ上だけだったのかもしれない。ルニンは120分間続いた雨あられと降り注ぐマシンガンの銃弾にも、銃殺刑もののPK戦にも動じることなく、チーム全体の心拍数を下げることに貢献した。

 そしてさらに称賛に値するのは、キャリアのターニングポイントとなるだろう一戦で、チームメイトだけでなく、自身の心拍数も下げたことだ。クラシコ以降の試合で、ルニンは新たに手に入れたステータスに気づくことだろう。無表情が笑顔に変わる可能性も否定できない。

文●ホルヘ・バルダーノ
翻訳●下村正幸

【著者プロフィール】
ホルヘ・バルダーノ/1955年10月4日、アルゼンチンのロス・パレハス生まれ。現役時代はストライカーとして活躍し、73年にニューウェルズでプロデビューを飾ると、75年にアラベスへ移籍。79〜84年までプレーしたサラゴサでの活躍が認められ、84年にはレアル・マドリーへ入団。87年に現役を引退するまでプレーし、ラ・リーガ制覇とUEFAカップ優勝を2度ずつ成し遂げた。75年にデビューを飾ったアルゼンチン代表では、2度のW杯(82年と86年)に出場し、86年のメキシコ大会では優勝に貢献。現役引退後は、テネリフェ、マドリー、バレンシアの監督を歴任。その後はマドリーのSDや副会長を務めた。現在は、『エル・パイス』紙でコラムを執筆しているほか、解説者としても人気を博している。

※『サッカーダイジェストWEB』では日本独占契約に基づいて『エル・パイス』紙に掲載されたバルダーノ氏のコラムを翻訳配信しています。

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