「指導者が伸びなければ、選手は伸びない」日本フットボール学会の会頭が考える育成現場の理想形

「指導者が伸びなければ、選手は伸びない」日本フットボール学会の会頭が考える育成現場の理想形


 カリキュラムをあえて持たないスポーツクラブが千葉県にある。
 
「1週目はこれをして、1年後はこうなっている。そういうノルマや目標を設定すると『できた、できない』という評価が下されます。ここでは評価は一切しません。公式戦にも出場しません。ユニホームも背番号もありません」
 
 代わりに何があるのだろう?
 
「サッカーが大好きな大学生のお兄ちゃん、お姉ちゃんたちと、子どもたちが一緒に過ごせる時間です」
 
 土曜日の夕方、活動を見学させてもらう。印西市の長閑な郊外だ。小高い丘の上の大学構内に人工芝のグラウンドがある。近づくと、ワイワイ何やら楽しげな空気が伝わってきた。ざっと見たところ、40人以上はいるだろう。そのおよそ半数が小学生以下の子どもたちで、近隣から毎週集まってくるという。この日のメニューは、その大学の女子サッカー部員たちが練ってきたそうだ。
 
 大学生と子どもたち(に加え、実は付き添いのお母さんやクラブ出身の中学生、さらには近隣に暮らす農家の方も参加していたと後で聞いた)がごちゃ混ぜになり、サッカーボールを使ったり、使わなかったりするチーム対抗戦は、身体を動かすレクリエーションのようにも見える。ものすごく横長のピッチでボールを4つ使い、ゴールがいくつもある全員参加の(参加しなくてもいい)紅白戦にもハンデはなく、大学生と子どもたちが同じ条件で競い合う。滑って転んだ男の子に「頑張れ! あきらめるな!」と男子大学院生が声援を飛ばせば、女の子にボールを奪われた大学の女子サッカー部員が大声で「ヤバイ!(笑)」と叫ぶ。しばらく眺めているうちに、筆者は自分の頬が緩んでいるのに気がついた。目の前に広がる光景が、ただ微笑ましかったからではなさそうだ。
 
 大学生がただ教え、子どもたちがただ学ぶだけの、例えば教官と教習生のような通り一遍の関係であれば、どこかに余所余所しさが滲み出てくるものだろう。ふと、思い出す。クラブの代表を務める吉村雅文はこう言っていた。ここは大学生が子どもたちに「寄り添うクラブ」だと。なるほど、そうか。ほんのり場の空気が温かい気がするのは、人のぬくもりで溢れているからだろう。
 
    ◆   ◆   ◆

 吉村はなぜ、大学生と子どもたちのスポーツクラブを作り、カリキュラムのない独自の活動を続けてきたのだろうか。
 
「サッカーの、チームスポーツの面白さは“補完”にあると思います」
 
 チームメイト同士が足りないところを補い合い、それぞれの良さを活かし合うのが補完という考え方だ。補完がうまくいけば、組織の力は上がる。とはいえ、吉村が補完を強く意識してきたのは、チームを強化するためだけではない。
 
「レギュラーだから偉い。チームメイトを削ってでも試合に出たい。そういう残念な尺度を持った選手を育てるところに、スポーツの価値があるのでしょうか?」
 
 吉村がこうした疑問を呈するのは、大学の教員として学生教育に長年携わってきたからでもあるだろう。
 
 大きな転機となったのは、35歳からのおよそ1年3か月を過ごしたオランダへの留学だ。名門アヤックスの育成ダイレクターから直接聞いた話が、カリキュラムのないスポーツクラブのいわば原点にある。こう言われたのだ。サッカーは人間関係のスポーツだよ、と。
 少し噛み砕こう。そもそもの前提として「サッカーはミスのスポーツ」という認識が、オランダでは当時(吉村の留学は1996〜97年)から一般的だったのだろう。問題はそこから考えをどう発展させるかだ。
 
 アヤックスの育成ダイレクターはこう考えた。サッカーはミスのスポーツだ。それでも創造性を発揮しながら、ゴールを奪う可能性は追求していかなければならない。しかし、ミスが付き物のスポーツなので、全てがうまくいくはずはない。だからピッチ上の選手たちは、サポートし合わなければならない。
 
 吉村はその先をこう考えたのだろう。誰かのミスを補えるのは、システムでもボールでもなく人間だ。だからサッカーは、人間関係が重要なスポーツなのか……。
 
 目から鱗が落ちた。アヤックスの育成ダイレクターの話は、サッカー選手の育成やチーム強化のための思想に留まらない。サッカーを介した学生教育そのものにも当てはまるのではないか。やがてサッカー指導者としての吉村と、学生教育の担い手である吉村は、ある意味で完全に重なり合う。
 
 競争原理で選手同士を競わせ、サバイバルによって強いチームを作るというやり方は、おそらくどこにでもあるだろう。一方、補完の考え方を前提とすれば、指導の考え方も教育の考え方もがらりと変わる。補完によって組織力を高めていくには、選手同士の協力が不可欠だ。一人ひとりが思いを巡らせ、工夫を凝らしていかなければならない。対話を重ね、改善を図る必要もある。結果的に強いチームができれば、それはそれで喜ばしい。しかし、仮にサッカーで結果を残せなくても、大切なものが残る。選手たちの人間的な成長だ。人と人は補い合える。その実感や手応えは、むしろ社会に出てからさらに価値が出てくるに違いない。

 1997年夏の帰国後しばらくして、吉村は母校の順天堂大学から誘われる。当時勤めていた大学への恩義などから、進退の結論はなかなか出せなかった。それでも引き受けたのは、やりがいが大きかったからだろう。こう口説かれたのだ。サッカー部を強化しながら、人を育て、模範となる運動部を作ってほしい。注目度と発信力の高いサッカー部から、他のクラブや学生に良い影響を及ぼしてくれないか、と。
 
 2000年に順天堂大学の教員となった吉村は、補完を前提とする男子サッカー部の組織作りに取り掛かる。平坦な道ではなかった。基本的な考え方をしっかり伝えるための話だけで、3泊4日の合宿が終わってしまったこともある。入部希望の新入生とは、最初の夏を迎える頃まで対話を繰り返してきたと言う。
 
 サッカー部員を人として育てていく使命を果たしていくには、グラウンドの外で過ごす時間も大切だ。サッカークリニックなど、学外での活動にも積極的に取り組んだ。
 手応えが大きかったのは、夏休みなどに小中学生のサッカーチームを招待する共同の合宿だった。大学生の中に小学生を混ぜて紅白戦をする。あらかじめ大学生には伝えておく。手を抜かず、一生懸命やってくれれば、それでいいよと。
 
「大学生が蹴る強いパスなので、小学生はミスをします。でも、そのミスを別の大学生がカバーしてくれるんです。必死にカバーしてくれた大学生の姿を見ているので、その子どもは次こそはと懸命になって頑張ります。そうやって頑張る子どもから通ったパスを、大学生はなんとか生かしたいと必死になるわけです」
 
 こうした気持ちのやり取りこそ、人を心の底のほうから奮い立たせ、ぎりぎりまで力を絞り出させる。そうした作用を吉村はこう表現する。
 
「人は人でしか育ちません」
 
 子どもたちにとって、大学生はロールモデルとなる。身近な憧れだ。
 
「まだ完全な大人ではない、大学生のお兄ちゃんっていうのが、ちょうどいいんです。サッカーという共通の話題もありますし」
 
 体格も人生経験も異なる大学生と子どもたちが作用し合い、それぞれの限界を押し広げるきっかけはグラウンドの外にもできる。共同合宿中は大学生がそれぞれの下宿先に小中学生を連れて帰り、寝食を共にする。吉村は何度も驚かされた。そのわずか数日で大学生たちが劇的に変化したからだ。小学生の気持ちも、目線を変えれば想像できる。巡り巡って大学生のサッカー部員たちは、通常の部活動でも補完し合うようになる。

 カリキュラムのない総合型地域スポーツクラブ「NPO法人レーヴェン」を立ち上げたのは、2008年だ。オランダ語で「人生」や「生涯」「生活」を意味するレーヴェンをクラブ名としたのは、吉村がオランダ留学中に家族4人で会員となった地域のサッカークラブ(スポーツクラブ)をモデルとしているからだろう。
 
 スポーツの「する」「観る」「支える」の支えるとは、具体的には「お金を落とす」という行為に他ならない。ちなみにお金を落とす代わりに、時間と労力を捧げるのがボランティアだ。いずれにしてもオランダのサッカークラブは、それぞれの地域で守られるべき対象となっていた。上から数えて何部リーグなのかも吉村には定かでない、家族で会員となったローカルクラブも同じだ。
 
「オランダ人はこう思っているわけです。自分がチケットを買わないと、入場料収入が減ってしまう。ひょっとしたら、このクラブを守れないかもしれない。守りたいという強い意識を持っているので、後半からの観戦でもチケットを買うわけです」
 
 お父さんが子どもの手を引き、ハーフタイムのスタジアムへと急ぐ姿は、20年以上が過ぎた今も吉村の脳裏に焼き付いている。
 
「観戦中の飲み物を安いからという理由で、別の場所で買ってくるサポーターなんていません。みんなでクラブにお金を落とし、家族のように大事なものを守っていくんです」
 
 生活の欠かせない一部になっているものを、文化と呼ぶのだろう。
 
「小口のスポンサーもたくさんついていて、勝つ、勝たないなんて関係なく、支え続けます。試合に負ければサポーターも文句は言います。でも、とっても温かい。勝てばワイワイ喜びます。そうやってスポーツが地域の人々を繋げているわけです」
 
 NPO法人を立ち上げてから間もなく、近隣(八街市)の高齢者たちと一緒に運動する会もできた。順天堂大学の男女サッカー部員が毎週水曜日の午後、八街市の公民館を訪れる。やがて食事会を開くような交流にも発展し、学生たちは卵焼きや唐揚げの作り方を教わりもした。すっかり打ち解けたおじいちゃん、おばあちゃんたちが、大学のグラウンドで開催される試合に駆け付けるようにもなった。応援にも熱が入る。

「気持ちの入らないプレーなんて、それはできないですよ」
 
 吉村が順天堂大学男子サッカー部の監督を退任した14年以降も、クラブレーヴェンの子どもたちとの活動は続いている。現在は吉村の研究室に所属する男子大学院生が中心となり、女子サッカー部員も参加する。吉村はほんの時折、ちらっと様子を覗くだけだ。任せているのは、設立当初からの趣旨がしっかり息づいているからでもあるだろう。オランダでこんなクラブを作りたいと吉村が願った、地域に根差し、地域に貢献できる、そして地域の人々から愛される、オープンなスポーツクラブだ。
 

 オランダ留学時代の吉村にその後の変化を促す助言をくれたのが、すでに何度か言及している、当時はアヤックスの育成ダイレクターだったコ・アドリアーンセだ。彼自身、終身雇用とも言われたアヤックスを飛び出し、ポルトガルではFCポルトを国内リーグ制覇に導くなど、その名は世界的に知られている。
 
 吉村の記憶に強く残っているのが、指導者の重要性を説くコ・アドリアーンセの話だ。その頃のアヤックスは自前で育てた生え抜きの選手を中心とするチームで、欧州チャンピオンズ・リーグを制している(94−95シーズン)。栄光を陰で支えた育成ダイクレターに、こう言われた。
 
「指導者が伸びなければ、選手は絶対伸びない。アヤックスが強いのは指導者が素晴らしいからだ。日々努力するし、日々探求している」
 
 コ・アドリアーンセの仕事ぶりがどれだけ魅力的だったか。アヤックスの育成現場の見学にそれこそ日参し、穴のあくほど観察していた吉村の話は尽きない。育成ダイレクターであるコ・アドリアーンセの重要な任務はディスカッションだった。その日の練習が始まる前に、高校生、中学生、小学生という各年代の指導者たちと個別に徹底的に話し込む。
 
「各年代の指導者たちは、それぞれ当日のチーム状態を報告しながら、コ・アドリアーンセさんとのディスカッションを通してトレーニング内容を吟味し、必要ならば変えていきます。あらゆるカテゴリーのあらゆる指導者が、自分のレベルを少しでも上げていこうと、それは真摯に取り組んでいたものです」
 ひょっとすると……と、吉村は言う。「ひょっとすると日本の指導者に足らないのが、向上心や探求心かもしれません」。JFA(日本サッカー協会)のインストラクターとして指導者養成にも携わってきた吉村は、こう続ける。「もっと学ぼう、もっと探求しようという精神や魂を持った指導者が、現場にもっと増えてもいいような気がしています」。
 
 順天堂大学で「コーチ学」と「トレーニング科学」を研究している吉村には、少し違った観点からの危惧もある。エビデンスの裏付けがある科学的な知見を、サッカー指導の現場に活かそうとする動きの乏しさだ。
 
「その意味でも是非、多くの指導者に来場していただければ」
 
 そう呼びかけるのが、年末の12月23〜24日に順天堂大学さくらキャンパス(千葉県印西市)で開催される「第16回日本フットボール学会」だ。今回は吉村が会頭を務める。
 
「指導者の経験値はもちろんとっても大事だと思います。同時に科学的な知見を活かして指導の幅を広げてほしい。そんな願いも持っています」
 
「日本フットボール学会 16th Congress」と打ち込めば、ホームページを検索できる。森保一日本代表監督が登場するオープニングセッションから、「傷害予防とコンディショニング」についてのシンポジウム、又吉直樹さんを特別ゲストに迎える大討論会、アンプティサッカーをはじめとする様々なスポーツの体験会など、2日間のプログラムは盛りだくさんだ。大人から子どもまで一般の来場者も「大歓迎です。学会員以外は参加無料ですので」。

“フットボール学会”ゆえに、ラグビーやアメリカンフットボールの第一線で活躍する指導者や各種スタッフの登壇も多い。17年度から順天堂大学の全ての運動部を統括する「スポーツ・アドミニストレーター」を務めている吉村は、サッカー以外の大学スポーツを観戦する機会が増えている。とりわけ感銘を受けたのが、東京大学アメリカンフットボール部のヘッドコーチを務め、年末の日本フットボール学会では基調講演の演者を務める森清之の試合中の姿にだ。
 
「森さんは戦況をじっと見守りながら、“次のこと”を考えているのでしょうね」
 
 吉村が対比するのは“目の前のプレー”に反応し、いわば答え合わせを繰り返すだけの指導者だ。自分の正答に照らすだけなので、「違う! 何やってんだ!」といった声しか出てこない。
 
「森さんの姿を見ていると全然違うなと思います。サッカーの指導者がアメフトから学べること、めちゃくちゃあるんじゃないかと思いました」
 
 正解を教える人が指導者なのか。いや、違うだろう。吉村の言葉を借りれば「人間関係を育みながら、一緒に成長していける人」こそ本物の指導者ではないだろうか。
 
    ◆   ◆   ◆
 
 吉村と話をしていると、どこか包み込まれているような感覚にも陥る。筆者の勝手な感慨にすぎないが、やはりこの言葉が浮かんでくる。包容力だ。
 
「よく、吉村さんのサッカーってどんなサッカーですかって聞かれますけど、まったくないです。とにかく、チームが変化していく。そのための環境をつくるのが指導者の大きな役割だと思っていますから。人が成長していくには、変化がとっても大事です」
 
 変化を恐れない。それどころか歓迎する。ひょっとすると……と筆者は思う。取材中、そこはかとなく幸福な時間が流れていたのは、誰でもウェルカムといった吉村のオープンマインドに、そっと包み込まれていたからかもしれないと。(文中敬称略)

取材・文●手嶋真彦(スポーツライター)


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